33話 元王妃は、自分に毒を移す
そして、自分の家へと帰り着いた。
ルベルトの治療薬を作っていたぶん、個人的に作ろうと思っていた不眠症を解消できる薬の調合が止まったままになっていた。
私は、パンだけを食べながら、すぐにその作業へと取り掛かる。
そうして少しした頃、家の扉がこんと一回、弱弱しく叩かれた。
もしかしたら、石粒などが風に吹かれて当たっただけかもしれない。
そう思いながらも開けにいけば、そこには右腕を抑えて、居心地悪そうに立っている一人の女性がいる。
フィーネ・フェルスター、その人だった。
「とりあえず寒いですから、中へどうぞ」
「……失礼いたしますわ」
さっきまでとは、まるで別人かのごとく、その姿には生気が感じられない。
たぶん、あれだけ言ったあとに私を頼ることになったのが、気まずいのだろう。
そう察することができていたから、フィーネを、私は家の中に招き入れる。
それから、リビングにあったソファへと座ってもらった。
そのうえで出すのは、最近やっと少しずつ、まともに淹れられるようになってきた紅茶だ。
この間の薬草採取の際に摘んだミントも乗せてある。私としては、よくやったつもりだったのだが、
「……苦い。煮だしすぎですわ」
貴族の彼女の舌に叶うような代物ではなかったようだ。
たしかに、それは自分でもなんとなく分かっていた。
かつて使用人らに淹れて貰っていたお茶のように美味しくはどうしてもならない。だから、「申し訳ございません」と謝っておく。
「それで、ご用件は?」
「……決まっているでしょう」
「あの、ルベルト様のことならお帰り――」
「違う、違うの。これですわ」
フィーネはそう言うと、まず羽織を脱ぐ。
それから背中をこちらへ向けると、いったん周りを確認したあと、自分でボタンをぱちぱちと器用に外していく。
すると、そこから現れたのは真っ白で綺麗な肌と、対照的に塗りつぶされたような黒に染まってしまっている肌だ。
肩口から右半分は、すでに完全に黒くなってしまっている。
「これは、他の薬師には――」
「見せたわ。見せたし、薬ももらったけど、治せないって言われて」
「……思いのほか、進行していますね」
「症状が出始めたのは、一週間前からですわ」
それにしては、広がりすぎている。
ツキヤだけが原因ならば、ここまで進行することはないし、簡単な調薬で治せるはずだ。
とすればこれは、ただのツキヤの毒じゃない。
なにかと混ぜ合わせることで、毒性が増したものを摂取させられたらしい。
「身に覚えはあるのですか」
「……ないわけじゃないですわ。この間、別の夜会に参加したときに飲んだ酒は、妙な味がしましたの。ただ酔っていたから、誰に飲まされたかは分かってない」
やられ方としては、私が酒に薬を盛られて、屋敷ごと火をつけられたときとまったく同じだ。
この毒は、痛みを伴うだけではなく、見た目を変えてしまう。
大方、彼女の美貌を羨んでいた人間がその夜会に潜んでいて、一服盛ったのだろう。
「まぁ、わたし可愛いですから、しょうがない側面もあるのでしょうが」
そして、狙われていたという自覚もあったらしい。
私は苦笑いしながらも、その背中をよくよく観察する。
すると、まるで水の上を油の膜が浮くみたいにゆったりと、黒い肌の上でなにかが移動していた。
これを突き止められれば、対処できるかもしれないが、この場だけでは分かりようがなかった。
「フィーネ様、あなたはいつまでトレールに残られるのですか」
「……明日の昼には発つ予定ですわね。父上が政務のために戻ると言っておりますから」
「そうですか」
となれば、まだなにを材料に使えばいいのか見当がついていない以上、彼女がいる間に薬を作るのは難しいだろう。
そして、それはつまり、その症状を目の前にしながら調薬することも、現実的とは言えないということだ。
フェルスター領と、トレールを含むルベルト領とは隣接しているが、それぞれがかなり広大で、往復には何日も要する。
となれば、とれる方法は一つしか思いつかなかった。
私は彼女の座るソファの前でしゃがむと、その背中でたゆたうように動く黒い波紋に、自分の左腕を押し当てる。
「な、なにをしているの!? そんなことをしたら、あなたにもうつるんじゃ……」
「それでいいんですよ。これで、自分の身体を対象にして、実験ができますから」
「……あなた、なんでそこまで」
「これが一番効率がいいと思ったからですよ。そういう教えで薬師になりました」
「だからって、わたしは、あなたにとって恋敵になるんですよ!? そんな相手のためにどうして――」
もう、いちいちそういう関係ではない、と訂正するのにも疲れていた。
だから、その部分はスルーして、端的に答える。
「相手を選んで薬を作っているわけじゃないですから」
そう、別に誰が使うかは関係ない。
とにかく、この症状を改善する薬を作れればいい。そのうえで、人を助けられるならなおいい。
ただ、それだけだ。薬師として、単純に気になる。
その思いは、かつて私がオルセン王国にいた際、たまに薬学を教わっていた師が語っていたものと同じだ。
気になるから、とことんやりたい。
「……こんな真似をして、あなたまで毒に侵されきったら、わたしはルベルト様にどう言えばいいか――」
「私が勝手にやったと言えば、済む話です」
「……気が狂っているんじゃなくって?」
「そうお思いになるなら、そうかもしれませんね」
そんなふうに会話をしていると、少しだけ私の腕にも、彼女と同じ黒色がうつる。
こうなったら、もう十分だ。あとは勝手に毒性が強くなっていくはずだから、私はそこでフィーネから離れる。
それから、彼女の服のボタンを留めなおしてやって、その背中にぽんと一つ手を置いた。
「では、薬ができ次第、フェルスター領までお届けにまいります。しばらく、お待ちください」
私はそう伝えると同時、立ち上がり、向かいの席へと戻る。
そこで、自分の分の紅茶を飲んでみれば、たしかに苦い。こりゃあ、口に合わないわけだと思って、フィーネのカップを下げようとしたら、彼女はそれを取り上げる。
「……飲ませてもらいますわ」
「ふふ、お気に召したなら、なによりです」
「気には召してませんわ。ただ、喉が渇いていただけです」
その後、フィーネはしっかりと飲み干したうえで、帰っていく。
私はそれを見送るやすぐに、製薬へ取り掛かることにした。




