31話 元王妃は盛大な勘違い(?)を受ける
「……もう行くのか」
「はい。私がいたら、ゆっくり休めないでしょう」
「そんなことはない。もう少しだけ、そばに――」
途中で、言葉が途切れる。見れば、瞼が落ちてしまっていた。
どうやら、起きているのももう限界だったらしい。
毛布がはだけたまま寝てしまっているからかけなおしてやって、私も椅子に座りなおす。
なんとなく、その気持ちが分かったからだ。
熱を出したときというのは、一人では、どうにも心細くなる。
不安の膜が自分の周りを包んで、なにもかもにマイナスのバイアスがかかって見えたりする。
そんなときは、誰でもいいから誰かに隣にいてほしい。
できれば、より信頼できる人ならなお嬉しい。
私がルベルトにとって、どういう位置づけの人間なのかは分からない。
でも、少なくとも今は、そばにいてくれてもいい。そう思ってくれたらしい。
「早くよくなるといいわね」
私は眠る彼にそう声をかけると、さっきまで彼が頭に乗せていた本を読みながら、しばらくの時間を過ごす。
それから、あまり長くいてもしょうがないからと、寝息が落ち着いてきたところで切り上げることにした。
部屋を出ると、そこにいたはずの従者はすでにいない。
薬師とはいえ、私は王家の人間でもない部外者だ。少し信頼されすぎな気もしたが、まぁ言ってもしょうがない。
私は元来た道を引き返して、本館を出る。
来た道を戻るようにして城内を外へ出ようと歩いていると、
「ちょっと待ちなさい」
どこからか怒声が聞こえてきた。
声のほうをつい振り返り、なにごとかと少し考えて、すぐに合点がいく。
そういえば、今日は夜会が催されていると、デアーグが言っていた。
もしかしたら、その夜会でなにか、いざこざがあったのかもしれない。
かつて王妃として何度も夜会に参加してきたが、あの場所は本当に特殊で、それくらいのことは日常茶飯事だ。
とくに女同士、男同士は恋愛感情のもつれなどもあって、揉め事に発展しやすい。
その仲裁をしたことも、過去には何度もあったっけ。
貴族社会というのは、本当に面倒くさい場所なのだ。
だがまぁ、いずれにしても今の私に関係のある話ではない。
「待て、と言ってるでしょう!!」
だから、第二声めは聞き流して、出口へと向かう。
が、しかし。
「待て、と言っておりますわ!!」
真後ろから聞こえたときには、さすがに振り返らざるをえなかった。
いったい誰が誰に言っているのだろう。なんで、近づいてくるのだろう。
そう疑問に思っていたら、そこには一人の真っ赤なドレスを着た、紫色の腰までつこうかというロングヘアが特徴的な令嬢が立っているだけだった。
よっぽど急いだらしく、背中の羽織がずれているうえ、自慢だろう長髪も、かなりばらっと広がっていた。
彼女はそれらを整えたのち、びしっと私を指さす。
「止まりなさい、庶民」
「え、私ですか」
「最初からあなたですわ。分かっていて無視したのでしょう」
私はただ単に首を横に振る。
まさか自分が呼び止められていただなんて、思いもしなかったのだ。
なにせ、呼び止めてきたこのご令嬢とはいっさい面識がない。
それは、オルセン王国の王妃・アストリッドとしても、の話だ。
ここまでの長髪を垂らした女性が社交の場にいたなら、確実に記憶に残っている。
「……えっと。私はあなたを存じ上げないのですが」
「わたしは、フィーネ。フィーネ・フェルスター、十八の歳よ。ミュラ王国のフェルスター領を治める侯爵貴族ですわ」
彼女は誇らしげに胸を張りながらにして言う。
フェルスター、その領土名自体は、聞いたことがあった。
たしか、ここトレールの街からはそう遠くない距離に、その領土はあった気がする。
地方の貴族としては、それなりの地位にいたはずだ。
「ふんっ、その顔。あなたも知っているのですわね。そう、いわゆる名家ですわ。あなたのような、どこの馬の骨とも分からない女とは違うの。アスタ・アポテーケ」
「……私の名前。どこでそれを」
「ルベルト様につく悪い虫に、そんなことを答える理由がないですわ」
きっと、強くこちらを睨みつけながた出てきたセリフがこれだ。
なるほど、どうやら盛大な勘違いをされているらしい。