30話 元王妃は、隣国王子のお見舞いに行き、引き留められる
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ルベルトが熱を出した。
そう聞いたのは、大蛇による急襲にあってから三日後のことだった。
どういうわけか、ぱりっとした正装に身を包んだデアーグが突然家を訪ねてきて、
「いやぁ、うちの主人は言うなって言うんだけどさぁ。もう二日も続いててなぁ。ただの熱じゃないかもって話もあるんだよ」
なんて、ばつが悪そうに教えてくれた。
たぶん、ルベルトのことだ。
私が知ったら、「自分のせいだ」と思い込むとでも考えて、箝口令を敷いていたのだろう。
それくらいは簡単に想像がついて、私はため息をつく。
思いやりも度を越すと、自分勝手だ。
「……すぐに解毒はしたんですが。身体が過剰反応をしたのでしょうね」
「これって、放っといても治るもんか? うちの主人はそう言い張ってるけど」
普段は、ひょうひょうとしているデアーグだが、さすがに心配らしい。
玄関先で、顔をしかめて聞いてくるから、私は一つ首を縦に振る。
「一応は。すでに毒素の大半は取り除いているはずですので。もう数日もすれば、熱も収まるとは思いますが……。解熱する薬なら作れますから、できたら持っていきますよ」
「……まじで助かる! じゃあ、頼むぜ!」
「もう行くのですか」
「わりい。これでも、ちょっとはこの街の政治に関わってんだよ、僕。今日も代わりに城での夜会に参加することになってるし」
「だからその格好だったんですね」
「そんなところ。まぁ、あんたに見せられてよかったよ。じゃあ、薬は任せたからな!」
彼はそう言うと、親指をぐっと立てて、やけにさわやかな笑顔を私のほうへと向けてくる。
しかも、それをずっとやめないから、なにかと思えば、どうやら同じポーズをするよう求めているらしい。
それで、仕方なく親指を立てれば、酒屋で乾杯をするかのように、こつんと拳をぶつけてくる。
「いいじゃん、その感じ。今度会ったらゆっくり喋ろうぜ」
それから、こう残しながら、家の前に待たせていた馬車に乗りこんでいった。
いつもいつも忙しい人だ。
そう半ば呆れながらも、私は調合室へと戻る。
材料自体は、すでに揃っていた。
この間、採ってきたばかりのヒダネの根、それから最初に会った際にもらった魔猪の角、このあたりをメインにすれば、解熱剤はできあがる。
そして、そのやり方は、オルセン王国からの逃避をする道中で、しっかりと身に着けていた。
ヒダネの根は透明になるまで煮込んだあとに磨り潰して、魔猪の角はやすりで削り落として、粉状にして加える。
これらはほとんど水に溶けないから、錠剤の形に固めたら、できあがりだ。
ポーションと違って、見た目だけでその効果のほどは判断できないが、問題ないだろう。
私はそれを持って、王城へと急ぐ。
ちょっとの時間で、症状はが変わるわけじゃないことは分かっていた。
けれど、それでも歩いて向かうのは、少し違う気がした。
もう衛兵の間では、顔を覚えられたらしい。
私がかばんの中から、入城証である例の馬のお守りを出そうとしたところ、中に入ることを許可される。
それでも、どこに向かえばいいのやらと迷っていたら、一人の使用人が門の近くからすっと出てきた。
「アスタ・アポテーケ様。こちらへどうぞ。王子のところまでお連れしますよ」
どうやら、デアーグが出迎えの準備まで整えてくれていたらしい。
おかげさまで、あっさりと城内へと案内される。
書庫に入ったことは何度もあっても、本館に入ったことはなかった。
基本的には派手派手しいものはないながら、質のいいものが揃えられた調度品の数々や、深い床に感嘆しながら、階段をのぼり、奥へと進んだところで、その使用人の足が止まる。
「こちらです。デアーグ様の許可は得ておりますので、どうぞ」
「ありがとう」
私が一つ頭を下げれば、まるで王妃だったときに使用人と相対していたときみたく、深く頭を下げられる。
それから扉を開けてもらって、中へと入った。
天井から吊るされた魔導灯は、灯っていなかった。
広い部屋の奥にあるベッドの上だけに、オレンジ色のわずかな明かりが揺れている。
その近くまで行けば、顔の上に本を被せた状態で、寝転がるルベルトがいた。
その体温が明らかに高いのは、はたから見ているだけでも分かった。蒸気の膜のようなものが、彼にまとわりついているみたいだ。
「誰だ」
久しぶりに、トゲのある声を聞いた気がする。少しぎょっとしながらも、怖気づきはしない。
「……薬をお持ちしました」
「アスタ……。なぜ、ここに」
私の来訪がよほど意外だったのだろう。
苦しそうながらに、ルベルトはベッドボードを這うようにして、身体を起こそうとする。
今に崩れ落ちてきそうだったから慌てて支えに行けば、その身体はやはりとても熱い。
「デアーグに頼まれたんですよ」
「あいつか。まったく余計なことを」
「余計じゃないですよ。もっと早く言ってくれれば、ここまで苦しむこともなかったんですから」
私はそう言いながら、枕元に置いてあった椅子に腰を下ろす。
解熱剤を取りだすと、近くのテーブルの上に置いていたグラスに水を注いで、彼の手元へと持っていく。
「飲めますか」
と聞けば、首を縦に振るから任せるのだけれど、グラスを持ち上げる手すらおぼつかなくて、私はすぐにグラスを取り上げる。
「もういいですから、口を開けてください」
私がこう言えば、彼は素直に口をゆっくりと開けてくれた。
吐き出す息の熱さに、一瞬どきっと胸が跳ねる。
こちらまで顔が熱くなった気がして、うっかり錠剤を落としかけるが、この一粒しかないのだ。
私は一つ呼吸を整えてから錠剤を飲ませて、そこへ水を含ませる。
少し口からこぼれるのだけれど、顎をくいっと持ち上げれば、うまく飲み込むことができたようだ。
「やはり、アスタの作る薬はまずいな」
顔を歪めながら、ぼそりと呟く。
「すぐに飲み込まないからですよ。これで少しすれば、楽になるはずです」
「……そうか」
「あとは安静にしててくださいな」
「迷惑をかけたな。忙しいだろうに」
「いいんですよ。これが私の仕事ですから。それに、庭の手入れを手伝ってもらうためにも、元気になってもらわないとですから」
私はそれだけ言うと、片付けを始める。
病人に、これ以上無理に話させるのもよくない気がしたのだ。
薬箱をかばんにしまい、帰宅の用意が整う。
「じゃあこれで――」
別れの挨拶をしながら立ち上がろうとしたそのときだ。
思いがけず、後ろにくいっと引かれた。
それで振り返れば、ルベルトが私の羽織の裾を引いている。