第3話 左の突き当りの部屋にて
きりのいいところで分けると、全話を大体同じ長さにそろえるのは難しいですね。
前より長めになりました。
身だしなみを整えてから、そろそろと言われた部屋に向かったところ、扉が全開だった。
ここまで歓迎を受けると、なんというか、気が立っていたのが馬鹿々々しく感じられてきた。
叔父夫婦への怒りが横滑りして、と言うか、気が立ってくさくさした結果、神殿や聖女の印象、これからこなす仕事内容にまで、だいぶ反感を抱いていたことに気がついた。
先入観や感情で状況の捉え方を間違えるとよくないって、はやく学べよ私。
「カーティス様。こちらにどうぞ」
「ありがとうございます」
シスター服の女性に声をかけられ、用意されていた一席につく。
大きなひとつのテーブルに、巡らすように、椅子とお皿とカトラリーと、切り分けられたレモンパイと紅茶まで、準備万端である。
「はやくはやく。テオドラさん」
扉を閉めにいったもう一人のシスターさんをファーティマさんが急かして、そのテオドラさんという人が最後に席についた。
最初に咳払いをしたのは、この場で最も年嵩の女性だった。
「イレネー・カーティス様。」
「はい。」
「この度は、聖女の任を引き受けてくださり、感謝致します。
私が神殿長を務めさせていただいております、マリラ・ゴートゥゴードと申します。
十四で親元を離れさせるこの制度はなかなか酷なのですが、私共は、聖女様方があたたかく息苦しくない五年間を過ごせるようにいたします。」
「……ありがとうございます。」
凛とした表情を、神殿長様はふっとやわらげた。
「これから、よろしくお願い致しますね。」
「はい。こちらこそ、よろしくお願い致します。」
「まずは紅茶をどうぞ。ベアトリス様が砂糖をとりあえず二個入れておりました。ミルクを足しても美味しい茶葉だそうですよ」
「わかりました。ベアトリス様というのは……」
「あちらの黒髪の綺麗な方です」
見ると、ファーティマさんの隣に、真っ黒な髪色でひときわ色白の、青い目の美しい人がいた。
「はじめまして、イレネーさん。
私はベアトリスと申します。二人目の聖女です。紅茶は私が淹れさせていただきました」
「ありがとうございます」
最年長の方がファーティマさんで、二人目のこの方の名前は、ベアトリスさん。
頭の中で復習しながら、お茶をそっと口に含んだ。
「お味はいかが?」
「……おいしいです」
「よかった」
お茶を淹れるのがお上手なんだなぁ。
それと、さっきから聖女の方だけ、姓はなぜか名乗られないのが気になった。
「これからよろしくお願い致しますね。ファーティマ姉さまが頼りにならなそうな時は、わたくしの所にいらっしゃい」
「……ご姉妹なのですか?」
「あぁ、いえ。ごめんなさい。姓を名乗らないせいで紛らわしかったわね。
姉妹ではないけれど、お姉さまとお呼びすることにしているの。」
ファーティマさんが静かに口を開いた。
「それぞれがどこの家の出自なのかについては、また今度ね。」
「……はい」
なぜか今は隠されるらしい。
ケーキもどうぞ、とベアトリスさんに促していただいて、力作だというレモンパイを味わった。
「さっくりしていて美味しいです。あと、クリームの味が格別です」
「……私たちもそろそろ頂いてよろしいでしょうか?」
そう口を開いたのは、ベアトリスさんの隣の方だった。
「いいわよ、ハリエット。じゃあ皆でいただきましょう。」
各々がお茶とケーキにようやく手を付け始めた。
私が手を付けるまで、皆さんちゃんと待ってくださっていたらしい。
レモンパイと紅茶を味わいながら、さっき聞いた名前を復唱した。
ハリエットさん。たぶん席の並びからして、
「……三人目の方で合っていますか?」
「わっ、はい!そうです。はじめまして、イレネーさん。これからよろしくお願い致します」
「よろしくお願い致します」
「四人目の子も、紹介しちゃっていいかな?」
「? はい。」
名前と紐づけて覚えようと彼女の特徴を探してみたが、ハリエットさんの髪色は、いわゆるありふれた茶色だった。あとは少しそばかすが見えるのと、髪をお下げにしているのが印象に残った。あまり、貴族の令嬢がする髪型ではない。
ハリエットさんが、彼女の隣に座って黙々とレモンパイを口に運んでいる、私より小柄な少女を、両手で指し示した。
「この子が、四人目の聖女のゾフィーです。無口なので分かりにくいでしょうが、今日は初めて最年少からお姉さんになるので、ちょっと緊張しています。」
ふいに手元から目線を上げた少女は、こちらをじっと見て、困ったようにも見える表情を浮かべた。そして、
「よろしく、お願いします。」
と言った。必死で絞り出したような発声だった。
「よろしくお願い致します。ゾフィーさん」
私が名前を呼んだためか、大きくびくついて、眼がきょろきょろと忙しなく動いた。
「よかったわね、ゾフィー」
ハリエットさんに小さく頷いて返した彼女は、なんだか少しワケありらしかった。
……少なくとも嫌がられているようではないので、ほっとする。
髪の色は、やわらかい黒橡色だと思った。
「ゾフィーまで済んだから、あとはシスターの皆さんですね」
ファーティマさんの一声で、残りのシスター服の方々が揃ってこちらを向いた。
「左から、オリヴィアさん、テオドラさん、フィリパさん。
担当部門の関係で特に関わることが多いこの三人の名前さえ分かれば、他のシスターの名前はまだ覚えなくて全然大丈夫。
……今、『担当部門』のところで疑問に感じたでしょう。
あなたが興味ある、組織としての構造の話は、またおいおいね。」
わかりました、と返事をするしかなかった。……そこまで顔に出ていたろうか?
「オリヴィア・カーラーと申します。他の聖女様方と同じように、私共のことは名前で呼んでいただければ大丈夫です。先ほどはカーティス様とお呼びしましたが、これからは、イレネー様と呼んでもよろしゅうございますか?」
「はい。」
「ありがとうございます。」
「私はテオドラ・フェンネルと申します。身の回りのもので入り用な品があれば、私に気軽にお申し付けください。」
「わかりました。」
「明々後日から指導を担当させていただきます、フィリパ・ランドンと申します。何事も焦りは禁物ですから、ゆっくりまいりましょうね」
「わかりました。よろしくお願い致します」
立て続けだ。
しかも髪は白い頭巾の中にしまわれているから、背格好と顔と声のみで判別しないといけない。
今すぐに覚えるのは、さすがに難しそうである。
*
二杯目の紅茶がふるまわれだした頃。
「イレネー」
「! はい。」
ファーティマさんが私を、初めて敬称をつけずに呼んだ。……タイミングがちょっと不思議な感じがする。
「一般的には、こんな小さい島には川もないから、海に囲まれているくせして、陸地よりも真水の確保に苦労するものなんだよ。」
頷いて返す。そうなのか。ということは、飲料水や生活用水も、かなり節約して暮らしているのだろうか。なるほど清貧というやつか。ーーと、納得しかけたのであるが。
……あれ?この島って、本神殿のある、国教の総本山だよな。
神殿だけでなく、神に仕える何千人の神官たちの生活区域もある。馬車の中から見えた限りでも、あれは中規模な町と言えるほどだった。
「実はねぇ。この島には、いまだ原因不明の謎の水脈が地下にあって。」
と、ファーティマさん。
「要はお風呂に入れるんですよ、ここでは。しかも毎日」
「毎日!?」
ベアトリスさんの発言に悲鳴を上げてしまった。
「お風呂って、あの、ええ!?えっ、薪代は?!」
「真水が神の恩寵かというほどに湧き出て止まらないので、それを国に売った収入が、実はこの島にはあってねぇ」
「びっくりするでしょう。それで古代からこの島が崇め奉られるようになって、今も神々の住まうところだと言われているわけ」
中級貴族の実家では、蒸し風呂か、体をお湯で拭くかであった。
大量の水を消費する上に、それを沢山の薪を使って沸かすお風呂は、王族や上級貴族ですら、月に一度か二度しか入れない贅沢だと聞くのに。
それを毎日だって?
「浴場と一人用の浴室と、どっちがいいかな?浴場のほうが足も思いっきりのばせるし、ひろびろしていていいんだけれど、初めてだから、案内に誰かつけないといけないじゃない?初対面の人と一緒にお風呂は、ちょっと嫌でしょう」
「『浴場』って、想像つかないと思うけれど、多人数用のお風呂のことなの。国内にはこの島にしかないものでね。慣れるまでは誰かと一緒にお風呂に入るのは緊張するから、今日は一人用のほうにしましょうか?」
そういう不安もあるにはあった。
だが、王族ですら体験不可能な貴重なものを、一刻も早く経験してみたいという欲が、その時不安に競り勝ったのである。