第九話 復讐鬼2
「うにゃあ! 【変身】!」
小動物の様だと言われて来た細身の腕とは思えない、剛腕。
朝比奈が選んだその生物は、誰もが知る霊長類の長、ゴリラである。
「うにゃああああっ!!」
「グ、ガ……っ!」
しかしゴリラと言っても地球の生物。異世界で上級と称される力を持つオーガにとって、殴られたとて大したダメージにならないだろう。
しかし不意打ちで頬に入ったその一撃にオーガは耐えきれず、数歩よろけた。
「神楽一刀流 “不動・岩窟の滝”!」
――――その隙を“神楽一刀流の後継者”は見逃さない。
流麗。美しい剣技。鍛え抜かれた絶技。
そう思わせて来た今までの剣とは違う、ただ全身全霊を振り絞って振り落とされる一刀は、オーガの左眼を抉った。
上がる慟哭。
憤慨の意志。
荒れる鼻息。
理性を失った双眸。
雌を弄ぶという事を憤怒に忘れ、突進して来る鬼に誰もが身構えた時。
「近付くな!」
青年の声が上がった。
迎撃しようとした神楽坂は刀から手を離し、朝比奈もまた駆け出そうとした態勢で停止していた。
「間に合ったか」
「これって……」
鬼は拳を振り下ろせなかった。
正確には、透明な何かによって遮られたのだ。
「鬼の周辺の土地を買った。これでこいつはもう逃げられない」
「助かったにゃあ……」
俺がそう言うと、朝比奈は全身を脱力した様にしてその場に膝を突いた。
鬼が手出しできないという安堵感がこの場に満ちるが、俺はまだ気を抜けずにいた。鬼の周辺の土地を買ったが、家まで続く道は確保できていない。
とりあえず一坪分ずつ、道が真っ直ぐに家まで続くようにして購入した。かなりの額が吹き飛んだが、安全を守るためなら仕方が無い。
目視では確認できないので、杭を購入してここが道だと言う事を分かりやすくする。
「朝比奈、手伝って――――」
「そ、空乃。みんな、ありがと」
「ふざけないで!」
乾いた音が鳴り響いた。
空乃が涼宮の頬を平手打ちしたんだ。
「貴女がしたのは私達全員を危険にさらす行為なのよ!」
空乃はまだ、震えていた。
それでも遥を助けようと走ったんだ。
恐怖に抗いながら、自分よりも圧倒的に格上の存在に立ち向かって。
だから許せないんだろう。何も考えずに、ただ自分の信念を貫いて、みんなを危険にさらした涼宮のことが。
朝比奈だってそうだ。
まだ風呂に入っていたのだろう、満足に身体を拭けていないのか水が滴っている。
鬼の咆哮を見た時は恐怖におびえながら必死にスキルを発動したのだろう。今、こうして安全だと分かって脱力し切っているが、いつものように元気の良い声は出せていなかった。
しばらくの沈黙。
俺も朝比奈も突然の事に何も言えずにいる。
「わた、し――――」
その時、涼宮の頬にぽろりと零れ落ちる、一筋の雫。
次々と溢れ出る様に雫が滝のように流れ出た。
表情は歪ませず涙だけを流し、涼宮はその場に蹲った。
空乃はそんな涼宮に声を掛けるわけでも無く、抱き締めてあげるわけでも無く、ただ見下ろすだけだった。
その日の夜。俺達は、今日はもう休もうと家に戻って来た。
鬼はどうせ出て来られない。
理屈では分かっていても、寝られるとは限らない。
永遠と鳴り響く慟哭と破壊の音は、朝比奈達のトラウマを呼び起こすには十分だった。
「……っ」
「空乃?」
隣を見れば、空乃が震えていた。
何か声を掛けて
空乃の布団に手を忍ばせ、震えている手に指を絡ませた。
「っ、俺」
「大丈夫だ。俺がいるから」
そう言うと空乃は潤んだ眼で俺を見た。
ほっと安心した様に息を吐き、瞳を閉じた。
不思議と今日は心休まる一日になった。
異世界生活 九日目。
魔物の行動が落ち着き、安全な朝に大山の遺体を回収して自宅の横に埋葬した。流石に墓石は買えなかったので、巨石を購入して空乃に斬って貰った。
綺麗な長方形に斬られた墓石に名を入れる事は出来ないが、花を添えて大山が好きだったというお菓子をお供えした。
とりあえず逃げる心配が無い鬼は放置していた。まともに戦うのは危険だし、空腹にして弱らせれば比較的簡単に倒せるだろう。
この作戦に一番反対しそうな涼宮は何も言わなかった。
異世界生活 十二日目。
捕えた鬼は一向に弱る気配を見せない。
異世界生活 十三日目。
今までは一日に何度か暴れていたが、もう暴れる気力を見せずにいた。
異世界生活 十五日。
鬼は倒れ伏して動かない。
だが呼吸はあるので、生きているのだろう。
明日、鬼の討伐を開始する。
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