大陸横断鉄道
一冊目のノートを受け取ってからしばらくして、二冊目のノートが届いた。
そこには、私の親戚が若かりし頃に体験した、旅の思い出が綴られていた。
十九歳の夏、僕はアメリカ南部を横断しようと思い立ち、準備を始めた。
アウトドア用品店でバックパックと寝袋を買い、店を出ようとしたところで激しい夕立に見舞われた。
傘を持っていなかった僕は、店内をぶらつきながら雨が止むのを待つことにする。
キャンプ用品の辺りを見ていると、先ほど会計をしてくれた店員が寄ってきた。
彼は
「土砂降りですね」
などと言いつつ、キャンプ用の小さな鍋を勧めてくる。
「こういうの、持ってます?」
と聞かれたので
「キャンプに行くわけじゃないんですよ。大学の夏休みにアメリカ南部を横断してくる予定で、ドミトリー形式の安宿に泊まるつもりなんで、野宿はしないと思います」
だから鍋はいらない、と僕が続けようとしたら
「そういう宿って他の宿泊客とキッチン共用なんで、使う時間が重なると調理道具が足りなくなるみたいですよ。この小鍋なら持ち運びも楽だし、そのままお皿代わりにして料理を食べれば洗い物も少なくて済むから、一つあると重宝しますよ」
店員のセールストークにまんまと乗せられた僕は、クッカーと呼ばれる鍋の中から、屋外と屋内の両方で使えるものを選んで購入した。
結論から言えば、鍋を買う必要はなかった。
安宿を利用する若い旅行者の大半は、長期滞在者でもない限り毎日自炊などしない。
たいていはショッピングモールのフードコートやファーストフードで済ませたり、スーパーでパンやドーナツを買ったりする。
だからキッチンが混雑することはあまり無かったし、もし混み合っていたら時間をずらすか、その日は外で食べればいいだけの話だ。
ただ、この鍋を持っていたおかげで、僕は大島さんという人物と親しくなることが出来たので、その点では良かったと言える。
僕が大島さんと出会ったのは、ロサンゼルスの安宿だった。
当時の僕は怖いもの知らずで、弟に負けず劣らずの無鉄砲だったから、英語がほとんど話せない状態でアメリカへの一人旅を決行したのだ。
そのため宿泊の手続きすら満足に出来ず、カタコトの英語と身振り手振りを駆使して、フロントのアメリカ人と意思疎通を図ろうと苦戦していた。
その時に助けてくれたのが大島さんだ。
彼は高校時代に留学経験があり、ある程度は英語が話せるということで、僕とフロントの間に入って通訳をしてくれた。
その場はお礼を言って別れたのだが、夕飯時に鍋を持ってキッチンに行くと、大量のペペロンチーノを作っている大島さんに再会した。
彼は僕の鍋に目をやりながら
「作り過ぎちゃったから、食べるのを手伝ってくれない?」
と言って、人懐っこい笑顔を浮かべた。
僕はその日、持参したインスタントの袋麺を調理しようと思っていたのだけれど、ペペロンチーノから漂ってくるニンニクの香りがあまりにも美味しそうで、ありがたく食事を分けてもらうことにした。
僕の持参した鍋に、大島さんが熱々のパスタをたっぷり入れてくれる。
その後も香りにつられて何人かの宿泊客がキッチンに顔を出し、大島さんは彼らと会話を交わしながらペペロンチーノを分け与えていた。
食事中、大島さんから旅の目的を聞かれた僕は、鉄道でアメリカ南部を横断するつもりだと答えた。
すると大島さんは
「俺も一緒に行こうかな」
と言い出した。
良い人そうだし、英語を話せる彼が一緒に来てくれたら助かるな。
そう思った僕は、軽い気持ちで大島さんの同行を了承した。
「でも、大島さんにも旅の計画があったんじゃないですか?」
と尋ねたら、彼は
「何にも決めてなかったから大丈夫。俺、片道の航空券しか買わずに来たんだ」
と答えた。
詳しく聞いてみると、大島さんは日本で同棲していた長年の恋人から
「別の人と結婚する」
と告げられ、ショックのあまり何も手につかなくなり、会社を辞めて衝動的にアメリカまでやってきたという。
「仕事まで辞めちゃうなんて、何やってるんですか」
僕が呆れたように言うと、大島さんは
「本当にね。何やってるんだろうね」
と言って笑った。
アメリカで複数の都市を旅する場合、グレイハウンドバスという長距離バスや、アムトラックという鉄道、それから飛行機などを利用することになる。
料金的には長距離バスが一番安いのだが、何しろアメリカは広大だ。七時間とか八時間、バスの座席に座りっぱなしというのはなかなか辛い。
鉄道ならダイニングや売店、展望車両まであるとガイドブックに書いてあったので、僕はアムトラック鉄道で大陸を横断すると決めていた。
定められた期間内に指定の回数だけ乗車できるフリーパスを購入し、僕と大島さんは最初の目的地であるサンディエゴへと向かった。
ロサンゼルスからサンディエゴまでは、約三時間の道のりである。
日本では移動に三時間というと長く感じるのに、アメリカだと短く感じるから不思議だ。
サンディエゴはメキシコとの国境がある町で、手続きをすれば簡単に国境を越えられる。
せっかくだからということで、僕達もメキシコまで足を伸ばすことにした。
徒歩で国境を越え、ティファナというメキシコの町に入る。
昼食にタコスを食べようという話になり、賑わっている店の列に並んでタコスを注文した。
トルティーヤというトウモロコシの粉から作った薄い皮に、はみ出さんばかりの煮込んだ豆や肉が包まれている。
二人して大きな口を開けてかぶりつき、あっという間に平らげた。
サンディエゴでは二泊して、次はサンアントニオへと向かった。
アムトラックという鉄道は頻繁に遅延する。
ある駅では五時間待ち、また他のある駅では一日中待ちぼうけをくらい、延泊する羽目になったこともある。
大島さんによると、貨物列車の運行を優先するためにそのようなことが起こるらしい。
僕は遅延するたびにうんざりした気持ちになったが、列車を待つ人々はみんな慣れっこのようで、怒り出す人など一人もいなかった。
列車を待つ間、喉の渇きを覚えた僕は自動販売機で飲み物を買おうとした。
アメリカの自動販売機で買う飲み物には、砂糖や炭酸が入っているものが多い。
すっきりしたものが飲みたい気分だった僕は、グリーンティーと書かれた飲み物を見つけて大喜びした。
「緑茶がありましたよ」
と言って、買ってきたグリーンティーを大島さんに見せると、何だか微妙な顔をしている。
一口飲んで、あまりの甘さに僕は顔を歪めた。
それを見て、大島さんが笑い出す。
「知ってたんなら、飲む前に教えてくださいよ」
僕が恨めしそうに言うと
「もう買っちゃった後だったからさ」
と言って、彼は再び笑い声を上げた。
サンアントニオに着いた日の夜、大島さんは体調不良でベッドから起き上がれなくなってしまった。
医者へ行こうと言う僕に
「下痢してお腹が痛いだけだから、寝てれば治るよ」
と答えて、大島さんは病院へ行こうとしない。
結局、滞在中の三日間は観光どころではなく、ほとんど部屋で過ごすことになった。
大島さんからは
「俺のことは放っておいていいから、好きなところに行って来なよ」
と言われて近場に出かけたりはしたが、やはり様子が気になってしまい、すぐに部屋へ戻ってしまった。
そんなこんなで、サンアントニオでは特に何もしないまま、僕達は次の目的地のニューオーリンズへと向かった。
ニューオーリンズの駅に着いてすぐ、僕はトイレに行きたくなった。
大島さんに荷物を見ていてもらい、急いで用を足しに行く。
トイレの個室を出て手を洗っていると、別の個室から大島さんが出てきた。
「あの後、俺もトイレに行きたくなっちゃってさ」
彼は呑気な口調で言いながら、僕の隣に来て手を洗う。
「荷物は?」
と尋ねると
「ベンチに置いてきた」
と言うので、慌てて見に行く。
ベンチには僕達の荷物がそのまま置いてあり、運良く盗まれていなかった。
荷物に手を伸ばすと、すぐ近くに座っていた外国人が声をかけてきた。
早口で何を言っているかよく分からなかったが、どうやら僕達の荷物を見ていてくれたようで、真剣な顔で僕に何か伝えようとしている。
後から来た大島さんが
「荷物を置きっぱなしにするなってさ。見張っていてくれたって言ってるけど、本当かなぁ。そいつが盗もうとした時に俺達が帰ってきたのかもしれないよ」
と通訳した。
最後の言葉を聞いた瞬間、僕は頭に血がのぼって大島さんの胸ぐらを掴みながら大声を出してしまった。
「いい加減にしろよ! あんたが荷物を放り出してトイレに行ったりするから、この人が見ていてくれたんじゃないか!
人の親切にケチつけて泥棒扱いしてんじゃねーよ!!」
すると、大島さんも僕に負けないくらいの大声で
「俺だって腹の調子が悪いんだよ! 昨日まで寝込んでたの知ってるだろ?! こんなデカい荷物持ってトイレなんか入れるかよ!」
と怒鳴り返しながら、僕の足に蹴りを入れた。
そうこうしているうちに誰かが通報したようで、屈強な警察官が二人現れ、僕達はパトカーに乗せられた。
厳重注意くらいで済むのかと思いきや、留置場で一晩を過ごすことになってしまった。
留置場では大島さんとは別の部屋に入れられた。
僕と同じ部屋には他にも何人かの外国人がいて、そのうちの一人が
「お前は何をやったんだ?」
みたいなことを聞いてきた。
カタコトの英語で
「駅で喧嘩した」
と告げると、その人はちょっと笑って
「俺は……」
と話し始める。
早口過ぎて、彼が何をして留置場にいれられたのかは全く分からなかったが、適当に相槌を打ってやり過ごした。
翌日、罰金を支払って留置場を出ると、一足先に表に出ていた大島さんが待っていた。
「おっす。お疲れ」
と声をかけられ、僕も
「お疲れ様です」
と返す。
それから僕達は顔を見合わせ、二人で大笑いした。
安宿を探してチェックインし、小腹の空いた僕達はカフェデュモンドという有名なカフェに足を運んだ。
その店の名物はベニエという揚げ菓子で、長方形のドーナツのようなものに、白い粉砂糖がどっさりかかっている。
チコリーという植物を使ったコーヒーと一緒に注文し、テラス席に座った僕達は、揚げ菓子を口に運びながら道行く人々を眺めた。
もしも時を巻き戻せると言われたら、僕はあの日のあの場所に戻りたい。
そして、あのテラス席に座って、もう一度だけ大島さんとコーヒーが飲みたい。
彼がこの世から姿を消した日からずっと、そう願い続けている。