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連作短編集  作者: パンダカフェ
鍋を買う
7/26

図書館

 休日の朝、小学生の娘を連れた従姉妹(いとこ)が家にやって来た。


 彼女達の来訪は、いつも突然だ。


「あのさ、うちに来る時は事前に連絡してくれって何度も言ってるだろ? 家にいない時だってあるんだから」


 僕が言うと、従姉妹は涼しい顔で答える。


「さっき電話したじゃない」


「二十分前に『もうすぐ着く』って言われても困るんだよ」


「いいじゃない、親戚なんだから。それより私、美容院の予約を入れているから急がなくちゃいけないの。この子のこと、よろしくね」


 従姉妹はそう言って自分の娘を僕に押し付け、慌ただしく立ち去った。


 娘の方は、ちらっと僕の顔を見てから無言で靴を脱ぎ、リビングの方へと向かう。


「朝ごはん食べたか?」


 彼女は僕の問いかけに頷き、テレビをつけてアニメ番組にチャンネルを合わせる。


 離婚してシングルマザーになった頃から、従姉妹は月に一回くらいのペースで娘を預けに来るようになった。


 従姉妹は、面倒見が良くて我慢強い性格だ。

 だから、普段は家事にも育児にも仕事にも全力で取り組んでいるのだと思う。


 だが、我慢に我慢を重ね、頑張って頑張って限界まで頑張り抜いて「もう無理!」となった時に、今回のような行動に出る。


 それが分かっているから、子供を預かることは全然構わないし、むしろリフレッシュしてきて欲しいとさえ思うのだが、せめて前日までには連絡が欲しい。


 洗濯物を干しながら「さてこの後どうしようか」と僕は頭を悩ませる。


 サービス業に就いている姉は今日も仕事なので、帰宅するのは夜になる。


 弟が家にいた頃は、彼が率先して公園やショッピングモールなどへ連れ出してくれたので、特に困ることはなかった。

 けれども、今日は僕一人で相手をしなくてはならない。


 ベランダからリビングに戻ると、アニメを見終わった従姉妹の娘が、持参したゲーム機で遊んでいる。


「どこか行きたいところはある?」

 僕の質問に、彼女は首を振る。

「公園かショッピングモールにでも行く?」

 彼女はやはり、首を振る。


 再び行き先を考えているうちに、ふと図書館から借りた本の返却期限が迫っていることを思い出した。


 僕はダメ元で

「図書館へ行きたいんだけど、ついてきてくれる?」

 と尋ねてみる。


 すると意外にも彼女が頷いたので、僕達はさっそく図書館へ行くことにした。



 図書館の中は、ひんやりとした心地良い静けさが漂っている。


 僕達は子供向けの本が揃っているコーナーで、それぞれ好きな本を一冊ずつ選び、近くにある読書スペースで本を読み始めた。


 僕は、大人になった今でも絵本や児童書を読むことが好きで、家の本棚にも何冊か並んでいる。


 しばらくすると、絵本が置いてあるスペースの一角に人が集まり始め、読み聞かせのイベントがスタートした。

 僕は興味を引かれて顔を上げ、耳を傾ける。


 図書館のスタッフは『100万回生きたねこ』の絵本を掲げ、みんなに表紙を見せてから絵本の冒頭を読み上げた。


『100万年も しなない ねこが いました。

 100万回も しんで、100万回も いきたのです。

 りっぱな とらねこでした。

 100万人の人が、そのねこを かわいがり、100万人の人が、そのねこが しんだとき なきました。

 ねこは、1回も なきませんでした』


 この時点で、僕はすっかりこの物語に惹きつけられていた。


 前半は、何度も何度も、いろいろな死に方で主人公の猫が死ぬ。

 とにかく死ぬ。

 これでもかと言うくらいに死ぬ。


 これ、子供達に読み聞かせて大丈夫?

 と思い始めた頃、主人公が野良猫として生まれ変わり、物語が大きく動き出す。


 自分のことだけが好きだった猫は、うつくしい白猫に出会って他者を愛することを知り、100万回目にして初めての涙を流すことになるのだ。


 絵本の読み聞かせが終わると、従姉妹の娘が

「人間は、あの猫みたいにはなれないよ。だって、パパとママは離婚しちゃったもん。結局みんな、自分のことしか好きじゃないんだよ」

 と呟いた。


 彼女の言葉を聞いて、僕は少し考えてみた。


 絵本の中の猫のように、心底愛する相手に巡り合うことは、確かに難しいのかもしれない。

 それこそ、百万回生まれ変わって初めて出会えるくらい、奇跡的な確率なのかもしれない。

 けれども、可能性はゼロではない。


 それに、そのような運命的な出会いの対象が、人間であるとは限らない。

 動物や植物のような命あるものとも限らないし、形ある物とも限らない。


 そう考えると

「この出会いのために生まれてきた」

 と思えるような対象に巡り合う可能性は、割とあるのかもしれない。


 頭に浮かんだことを話そうかとも思ったが、彼女は特に返事を求めているわけでは無さそうだったし、僕も上手く説明できる気がしなかったので、自分の考えを口にするのはやめておいた。


 空腹を覚え、携帯を取り出して時間を確認すると、十二時を過ぎている。


「お昼ごはんを食べに帰ろうか」

 と声をかけると、彼女は名残惜しそうに本を閉じた。


 続きを読みたいのかな、と思った僕は

「その辺で食事をして、また図書館に戻って来ようか?」

 と尋ねた。


 すると、彼女は表情を明るくして

「そうする」

 と答えた。


 何を読んでいるんだろうと思って表紙を見たら、ハリー・ポッターシリーズの一冊だった。


 なるほど、夢中になるわけだ。

 僕もこのシリーズは大好きだ。


 僕達は近くの飲食店で手早く昼食を済ませ、再び図書館へ戻ると、従姉妹から連絡があるまで本を読み続けた。


 夕方、図書館の前まで迎えに来た従姉妹に彼女を引き渡す。


 別れ際に

「ハリー・ポッターなら学校の図書館にも置いてあるだろうから、借りて続きを読むといいよ」

 と告げると、彼女は大きく頷いた。


 時を越え、距離を越え、誰かの紡いだ物語は、他の誰かの心へと届く。


 何だかまるで、魔法のようだ。


 そんなことを考えながら、僕は夕日を背にして家路をたどった。

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