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連作短編集  作者: パンダカフェ
鍋を買う
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コンビニ弁当

 病院の待合室で鍋の購入を勧められた話をすると

「詐欺だよ、詐欺! 弱った病人や怪我人を相手に高い鍋を売りつける、悪徳業者に間違いない!」

 と姉は断言した。


「そうなのかなぁ。でも、鍋なんか持ってなかったよ」

 と僕が言うと、姉は呆れた顔つきで

「病院の中で鍋を持ち歩いてたら頭おかしいでしょ! きっとカタログか何か持ってたんだよ。まったく隙だらけなんだから、しっかりしてよね!」

 と言って、ため息をついた。



 僕と姉は両親の残したマンションで二人暮らしをしている。

 少し前までは弟も一緒に住んでいたのだが、「独身の内に一人暮らしを満喫したい」という理由で彼だけ引っ越した。


 後から弟に聞いた話では

「本当は、俺の彼女が姉ちゃんと距離を置きたがっているんだよ。顔を合わせたくないんだってさ」

 ということだった。


「外で会うか、彼女の家に行けばいいじゃないか」

 と僕が言ったら

「彼女は実家暮らしだし、俺は部屋でゆっくり過ごしたいタイプなんだよ」

 と返された。



 僕の姉は正直な人である。


 だから、髪を切った弟の彼女に対して

「変な髪型だね。前の方が良かったよ」

 などと悪気なく言ってしまうことがあった。


 たぶん、そんなことが積み重なっていたのだろう。


 姉は昔から、その正直さ故に敵も味方も多かった。

 僕も姉とはよく喧嘩になる。

 つい先日も、実にくだらないことで言い争いになったばかりだ。


 我が家では夕飯の支度は交代制で、その日は僕の番だったから、早めに仕事を切り上げて家路を急いだ。


 スーパーで買ってきたカット野菜と肉をフライパンに入れ、火にかけたところで職場から電話がかかってきた。


 電話が長引き、焦げ臭い匂いに気が付いた時には、すでに手遅れだった。


 僕が肩を落としていると、姉が帰ってきて台所を覗き

「焦げ臭いんだけど!」

 と鼻をつまむ。


 それから、僕と黒焦げの物体を交互に見ながら

「夕飯は?」

 と苛立った声で尋ねる。


「ごめん……レトルトのカレーがあるから、それでいい?」

 僕が言うと、姉は不機嫌な顔をしながら台所に入ってくる。

 そして炊飯器の方に目をやり

「コンセント抜けてる……」

 と言ってから蓋を開け

「米、炊いてないじゃん」

 と怒りを滲ませた声を出す。


 すっかり忘れていた。


 すぐに謝ればいいのに、僕は

「仕事の電話で手が離せなかったんだよ」

 と尖った声で言い訳をした。


「はあ? こっちだって忙しいんだよ! 夕飯作れないなら連絡しろ!」

 姉にキレられ、僕もつい応戦してしまう。

「だから、電話してたって言ってるだろ! 携帯で通話中なのに、どうやって連絡するんだよ!」


 姉は僕を睨みつけると、思い切り強く扉を閉めて部屋を出て行った。


 僕は滅多に人と争わないが、姉とだけは喧嘩になる。それは、僕が姉に絶大な信頼を寄せているからだ。


 彼女は自分にも他人にも正直で、言いたいことを我慢しない。だから、僕も安心して本音が言える。


 僕達は子供の頃から数え切れないくらい沢山の喧嘩をして、その度に仲直りをしてきた。


 これからもきっと、そんな日々を繰り返していくのだろう。


 台所を片付けていると、コンビニの袋を持った姉が帰ってきた。


「あんたの分も買ってきたから」

 そう言って、姉はテーブルの上に弁当を二つ置く。


 姉と向かい合って弁当を食べながら、僕は伊坂幸太郎の『バイバイ、ブラックバード』という連作短編集のことを思い出していた。


 いくつもの別れを描いているのに、どの話も希望に満ちているという不思議な小説で、主人公の見張り役として登場する「繭美」は、周囲の人々に悪態をつきながらも、どこか優しさを感じさせる人物だ。


 この作品は、欠点だらけに見える人物でも、多くの美点を併せ持っている、ということに気付かせてくれる。



 数日後、病院で検査結果を聞き終え、会計の列に並んでいた時、待合室で鍋を勧めてきた女性に再会した。


「鍋は買った?」

 と彼女に尋ねられて

「いえ、まだ」

 と僕は答える。


 すると彼女は携帯を取り出し、鍋の画像を見せながら話し始める。


「ル・クルーゼの鍋は可愛いけれど、内側が白いから変色が目立つの。私としては、内側が黒くなっているストウブの鍋の方がお勧め。もちろん、気に入ったものを買うのが一番だけれどね」


 曖昧に頷く僕に、彼女は

「公式ホームページなら確実に正規品が手に入るし、セールの時期は安く買えるから」

 と言って立ち去った。


 公式サイトでの購入を勧めるということは、詐欺でも悪徳業者でも無さそうだ。


 会計を済ませてバスに乗り、勧められた鍋のホームページを携帯で検索する。


 セール品の中から、使い勝手の良さそうなサイズのものを選んで購入した。



 届いた鍋は想像以上に重くて焦げ付きやすく

「デカい! 重い! 使いにくい!」

 ということで、姉にはかなり不評だった。


 その鍋で蒸し焼きにしたり煮込み料理を作ったりすると、素材の旨みが引き出されて美味しくなるように感じたのだが、姉からは

「気のせいだよ」

 と言われてしまった。



 鍋に材料を入れて蓋をする。

 弱火にかけたら、火が通るまで本を読みながら待つ。

 それは僕にとって、ささやかな幸福を感じる時間だ。

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