訪問介護
認知症だった祖母が亡くなってから数年経ち、大学生になった私は介護の資格を取得した。
祖母のために何も出来なかったことへの後悔と、罪滅ぼしのような気持ちだったのだと思う。
資格を取得した後は、訪問介護のアルバイトを始めた。
私は介護の現場で、「先生」と呼ぶべき大切なことを教えてくれた人達と出会うことになる。
訪問介護の仕事は、入浴介助や排泄介助はもちろんのこと、掃除や洗濯、料理に買い物、散歩の付き添いや見守りをするだけ、というように利用者さんによって内容はまちまちだった。
中でも一番難しいと感じたのは、亡くなった祖母と同じく、認知症になった人達の介護だ。
まず、排泄介助への抵抗が激しい。特に女性は、何としても衣服を脱がされまいと暴れ、暴言を吐きながら思い切り暴力を振るってくる。
どこにそんな力が? と思うくらいの重いパンチやキックを放ってくるので、そのような利用者さんの担当になると青痣が絶えなかった。
これには、精神的にも肉体的にも結構参った。
ある日、私が憂鬱な顔をして利用者さんの自宅から戻ってくると、私の所属する訪問介護センターの所長が声をかけてくれた。
「何か困ってる?」
彼女に尋ねられて、私は認知症の利用者さんからの暴力に悩んでいることを打ち明けた。
すると、彼女は私にある質問を投げかけた。
「もしあなたの家に見知らぬ人が現れて、『トイレに行きましょう』とか『オムツを交換しましょう』と言っていきなり服や下着を脱がそうとしてきたら、どう思う?」
私がハッとして顔を上げると、所長は話を続けた。
「激しく抵抗する利用者さんは、そういう気持ちなのかもしれないよ。認知症の方は、記憶障害が進行すると私達ヘルパーの顔なんて覚えてくれないからね。毎回『初めまして』というくらいの気持ちで接する必要があるのよ」
所長はそう言って、相手の立場で物事を考えることの大切さを教えてくれた。
だからと言って利用者の方からの暴言や暴力がなくなるわけではないのだが、こちらが「見知らぬ人に排泄介助してもらうなんて、怖いし嫌だし抵抗あるよね」という気持ちで接することができるようになったので、精神的な負担は少しだけ軽くなった。
利用者さんのところへは、一人で行く時と二人で行く時があった。
ご夫婦の介護サービスを同時に行う場合や、寝たきりの方の入浴介助、限られた時間内に多くの介護サービスをこなさなくてはいけない時などは、二人で担当していた。
その日は「掃除・洗濯・買い物・調理・食事の見守りまでを、短時間でこなしてほしい」という利用者さんのところへ、二人で向かうことになった。
私ともう一人のヘルパーさんは、二人してコマネズミのように忙しく立ち働き、後は食事の見守りをして終わりというところまでこぎつけた。
何とか時間内に終わりそうだなと思っていたのだが、利用者さんの箸はなかなか進まない。
左側にあるご飯と副菜だけ食べて、右側にある主菜や汁物には一切手をつけようとしないのだ。
お腹が一杯なのかなと思っていると、台所を片付けていたヘルパーさんが顔を出し、食卓を見てすぐに何かを察したようだった。
彼女は
「お味噌汁とお魚もありますよ」
と言いながら、右側にあったお皿を左側に移動させる。
すると、利用者さんは置いていた箸を再び持ち上げ、主菜と汁物を綺麗に平らげだ。
私がポカンとしていると、ヘルパーさんは
「利用者さんの中には視界の狭い方もいてね、この方は左側にあるものだけ召し上がっていたから、もしかしたら右側が視界に入っていないのかもしれないなと思ったの」
と教えてくれた。
「あ……私、そんなこと思い付きもしませんでした……すみません」
私が頭を下げると、ヘルパーさんは笑いながら
「やだ、全然大丈夫だから気にしないでよ。今回はたまたまそうだったってだけなんだから。それに、食べない理由なんて他にもたくさんあるわよ。味付けが合わないとか、食材が噛み切れないとか、お腹が空いてないとかさ。本人に聞いてもちゃんと答えられる人ばっかりじゃないし、経験積んでいろんな可能性を考えられるようになれば良いんだよ」
と言って励ましてくれた。
素敵な人だな、と思った。
私は、時間内に終わらせなきゃって、そればっかり考えてた。
でも、このヘルパーさんは「どうして食べないのかな」って利用者さんのことを考えて、その上「あらやだ、この子落ち込んでるみたいだわ」って私のことまで気遣ってくれた。
こんな人になりたいって思わせてくれる人だった。
このことを父に話したら
「へえ、介護の現場には良い先生がたくさんいるんだね」
と言われた。
「先生?」
私が聞き返すと
「うん、先生。勉強を教える人だけが『先生』なんじゃないよ。お手本にしたいなって思えるような生き方をしている人は、みんな先生だよ」
と父が答えた。
「それなら、お父さんも私の先生だよ」って言おうとしたけれど、照れくさくなってやめた。
いつか、伝えられる日が来ればいいな、と思っている。