混乱する市街
「住民の避難が優先だ。いいか、地下に逃げるんだ。下水道に出るか、城の地下倉庫に入れ!教会の地下でもいい」
街中でフレデリックの声が響く。先程まで賑わっていた通りは恐慌をきたして右往左往する人々でごった返している。
「おと……団長、敵の迎撃は――」
「そんなもの守備隊に任せておけばいい。避難誘導を続けろ」
「――はっ!」
チェスカは敬礼で応じ、フレデリックはそれに一瞥も告げず、避難誘導を続ける。
チェスカも走ってその場を離れ、大声で避難を呼びかけ始める。
魔族の急襲により聖都は未曾有の大混乱となっていた。
逃げ惑う者、泣き叫ぶ者、呆然と見上げる者――
これでは被害が出るだけである。
フレデリックは敵の迎撃は聖都守備隊に任せて避難誘導に徹していた。
元より、旅団主力は辺境の基地に置いたままで、唯一連れてきているホーク指揮下の大隊も郊外の街で宿営してている。それを呼び寄せても到着に半日はかかる。
第一、騎士団本部の許可なく兵を街に入れたらクーデターの言いがかりを付けられかねない。
「おい、お前っ!」
ガチャガチャと音を立てて走ってくる兵隊を捕まえる。
「こ、これは少将閣下!」
兵士はフレデリックの襟章を見ると慌てて敬礼する。
「脱げ」
「は?」
「鎧を脱げ」
目の前の兵士に告げる。
「し、しかし――私は」
「お前、門番だよな?なんでこんなところにいるの?」
「――う……」
フレデリックは多くの傭兵を部下にしている。自然と人の顔をよく覚える技術を身につけていた。
この男は西大門付近にいた守備兵で、朝に軽く挨拶したばかりだった。
「なぜ、ここにいる?門が破られたのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
最前線で戦い、大ベテランであるフレデリックには兵士が恐慌を来し、持ち場を逃げ出したとすぐに分かった。
「も、申し訳ありません、持ち場に戻るので……その、軍法会議だけは――」
騎士団は軍隊だ。軍隊であるからには敵前逃亡は死刑である。
本来、ここで処刑されても文句は言えない。
「もう一度言う、鎧を脱げ」
「……はっ。」
観念したのかバラバラと鎧を外しだす。
「見逃してやる変わりに伝令となれ。鎧を脱げといったのは身軽にするためだ。各所の番兵に住民を下水道か城の地下食料庫に避難させるように伝えろ。」
自分が叫んでいたことを各所に伝えるように命令する。
「貴様、名前と階級は?」
「……レックス上等兵であります。」
「レックス上等兵、所属は違うが、お前は俺の命令で門番の任務を解かれ、伝令に走り回った、そうだな?」
騎士団では緊急時にその場にいる最上級先任士官(一番えらい人)が指揮権を持つ。フレデリックの階級は少将であり、上の階級は中将、大将しかない。彼より高位の指揮官は少なくともこの辺にはいなかった。
このまま別の場所で咎められれば、この若者は軍法会議にかけられるだろう。
「あ、ありがとうございます!レックス上等兵、伝令に向かいます。」
恐慌から冷静さを取り戻した彼が姿勢を正し、敬礼する。
「急げ、恩賞がまってるぞ。」
フレデリックは彼の背中をバンバンと叩き、送り出した。
「団長、この辺りの避難は完了しました。」
そうこうしているうちに、チェスカが戻ってきた。
「チェスカ、ここからまっすぐ南に下ると下水道への入り口がある。聖都に三年いたのだから、知っているな?」
「は、はい。アウグスト門の近く――です」
チェスカはホークとともに三年間王都の士官学校で学んでいる。士官学校では王都の構造についても学ぶ機会が設けられており、いざという時の知識を士官の卵たちは叩き込まれている。
「上出来だ、さすが主席。避難誘導しながらそこに行き、入り口を守ってやるんだ。これは上官としての命令だ。」
フレデリックがチェスカに敢えて”命令”という言葉を使う。
「お父さんは――?」
「今は軍務中だ。復唱は?」
フレデリックがチェスカを怒鳴りつける。秀才ではあるが、こういう鉄火場には弱い――多くの鉄火場を経験しているフレデックには分かっていた。
分かっていて現場ではなく旅団本部付にしたツケが回ってきたか――と思わなくもなかった。
作戦行動中のチェスカは冷静そのものだが、こういう奇襲攻撃を受けたことは今までなかった。こちらを見つめる目に”不安”と書いてある。
娘だからと過保護に育てちまったかな……息子は血の気が多いからその辺で魔族のケツを追い回しているに違いない、とフレデリックは心の中で苦笑した。
「――チェスカ大尉、只今より住民の誘導及び避難口の守備に行ってまいります!」
一喝されて冷静になったようであった。背筋をピンと伸ばし、敬礼して復唱する。
「それでいい。無理はするなよ。」
また、甘い言葉をかけてしまったかな、と後悔しなくもない。
「俺はこの辺りに避難を呼びかけたら騎士団本部に行く。」
「――了解。ご武運を。」
「お前もな。死ぬんじゃねぇぞ。」
フレデリックは血は繋がっていない愛娘に微笑みかけた。
――まだこの先があるからな。
そう言いかけたが、飲み込んでチェスカを見送る。
敵は相変わらず聖都の上をブンブンと飛んで、時折、降りてくるという意味のない攻撃を続けていた。
「――さて、俺もそろそろ行くかね。」
フレデリックは一通りの避難誘導を終え、人影のなくなった下町の方へ向かった。