ミーム汚染について
最近ミーム汚染と呼ばれる現象について考えることがある。
何かを認識したとき、何を想起するだろうか?
それは何の影響を受けて想起されたのだろうか?
そういうことを考えている。
エヴァのタイトル画面を知ってるだろうか?縦書きと横書きが混じっていて、一部の文字だけサイズが異なっている、あのテロップだ。「エヴァ テロップ」とかで検索すると出てくる。
私はこういう縦書きと横書きが混じるテロップを見るとエヴァを想起してしまって仕方ない。全く関係のない書籍の帯の装飾であっても、駅のポスターであっても、だ。これを見たらエヴァと感じるように癖付いてしまっている。
他にも色々ある。
私の場合、蜘蛛の糸という表現があれば必ず芥川龍之介を思い出すし、天に届く塔と聞くとバベルの塔を思い出す。蝶の標本ならエーミール、心中なら太宰治、レモンなら米津玄師。
その言葉自体にはそのような意味は含まれていないのに、それを題材とした物語や表現のせいでもっと奥行きのある言葉に変化してしまっている。自分の見聞きしてきた経験が色眼鏡になって、見え方が変化してしまっている。
これはまさにミーム汚染と言うべき現象だろう。
これは喜ぶべきと言う人もいれば嘆くべきと言う人も居るだろう。表現者にとってはどうだろうか。
自分はどちらかというと喜ばしいと思っている。短い字数に多くの意味を、雰囲気を持たせられることができれば味わいのある文章になると信じているからだ。
ただ、思わぬ解釈を含む表現を作ってしまう危険性だけは気を付けなければならないとも同時に思うし、何も知らずに言葉だけを知った頃には戻れないなとも思う。