僕の彼女はストーカー
あ「ゆーたくん、気持ちよかったよ」
彼女は天井を背にしてそう囁くと、僕にキスをした。
「おやすみ。あいしてる」
頬にもうひとつキスをくれ、艶めかしい瞳の色を見せつけると、あっちを向いて寝転んだ。
狭い。僕の部屋のベッドはシングルなのに。
壁にぎゅうぎゅう押しつけられて、潰されそうだ。
でも彼女を床に落っことすわけにはいかない。そんなことをしたら何をされるか……。
洲都香ちゃんと付き合いはじめて3ヶ月になる。
なかなか別れを言い出せない。
別れたりなんかしたら、絶対に彼女は法を犯してでも別れたことをなかったことにしようとするに違いないから。
普通に付き合っていても訴えたくなることが多いのに、別れたりしたら……もう。
「行って来ます」
僕は洲都香ちゃんの作ってくれたフレンチトーストにケチャップで僕の顔が描かれたものを完食すると、バッグを持って会社に出勤しようとした。
「あっ。お弁当忘れてるわよ、ゆーたくん」
ラップでぐるぐる巻きにした弁当箱を差し出して来た。
「愛情込めたラブ弁よ。あたしだと思って、美味しく食べてね♡」
「あ、ありがとう……」
中身はいつも通り、僕の似顔絵を海苔で書いて、たらこペーストで♡を書いた、あとは白ごはんのみの弁当なんだろうな。
ほぼ握ってないおにぎり。しかも具がめっちゃ少ない。塩気も効いてない。
違うものが食べたい……。
でも、これを捨てるわけには行かない。
だって、せっかく洲都香ちゃんが作ってくれたんだ。捨てるなんてことは、出来ない。
会社でパソコンに向かって仕事をしていると、同僚の山崎鳩子さんが話しかけて来た。
「進藤さん。よかったら今日、帰りに飲みに行きません?」
「えっ!?」
山崎鳩子さんはもっちりふんわり食パンみたいな雰囲気の25歳。僕より2つ下、洲都香ちゃんよりひとつ下。若くてかわいらしい、職場のアイドル。
普通の女の子に誘われたことなんて、僕は一度もなかった。その初めてがこんなかわいらしいアイドル。僕は内心浮かれてしまったけど、もちろん聞いた。
「え。みんなで? みんなで飲みに行く話?」
「二人きりじゃ……まずいですか?」
鳩子ちゃんは少し頬を赤らめ、恥ずかしそうに唇を動かした。
「じつは……進藤先輩に相談に乗ってほしいことがあるんです」
これは……そういうことなのか?
モテない僕は、仕方なく洲都香ちゃんと付き合ってるけど、神様がチャンスをくれてるのか? 洲都香ちゃんと別れられるチャンスを?
僕がなんか余裕のあるカッコいい返事をしようと考えてると、スマホが鳴った。洲都香ちゃんからだ。
「あ……。ごめん、電話だ」
鳩子ちゃんに断って、出た。
「もしもし?」
『そのオンナ誰?』
洲都香ちゃんの声には殺気のようなものが籠もっていた。
『飲みに行こうって誘われて、行くつもり?』
洲都香ちゃんは自分の会社にいるはずだ。そこはここから電車で30分ほどの距離。
僕は電話を切ると、鳩子ちゃんに言った。
「ごめん。君のためにも……やめておいたほうがいい」
会社からまっすぐ、どこにも寄らずにアパートの部屋に帰り、玄関のドアを開けると、呼び鈴も押してないのに洲都香ちゃんが飛びついて来た。
「お帰りー! 今日も道草食わずにまっすぐ帰って来てくれて嬉しい!」
この出迎えの挨拶が僕は正直、まんざらでもない。
洲都香ちゃんは浜辺美波似のまごうことなき美女だ。本物に比べるとかなりジメジメはしてるけど、そんな美しい顔が毎日ドアを開けると拝めるというのは、まぁ、幸せなことだから。
「ごはん出来てるよ? それともお風呂先にする? それともやっぱりあたしが一番?」
「お……、お風呂」
脱衣所に入り、ワイシャツだけ脱いだところで、なんか気になって、そっと台所に行くと、洲都香ちゃんが僕のスマホを見ていた。
「な……、何してんの?」
後ろから声をかけると、彼女は一瞬ビクッとしたけど、すぐにフレンドリーな笑顔で振り向く。
「この前、一緒に海に行ったでしょ? あの時の写真、見てたの」
画面は僕に見えないよう傾けていた。
「通話履歴とか見てたんじゃないの?」
「まさかぁ」
冗談にするように笑う。
「親しき仲にも礼儀ありですよ〜。わきまえてますって」
── 彼女がストーカー気質です。別れたいのですが、勇気がなくって……。
そんな書き込みを巨大掲示板『7ちゃん』にすると、多くのアドバイスがあった。
── 事件になる前に早いこと別れたほうがいいよ
── 彼女の怨念が深くならないうちに
── なんでそんな女と付き合ってんの?
── もしかしてかわいいの?
そんな返信に僕はとても正直に答えた。
── 僕にはもったいないほどの美人なんです……見た目だけは
── 見た目だけで付き合っちゃってんのかよ!
── コイツも最低だな
── 見た目が浜辺美波なら中身はメスゴリラでもいいのか?
── 彼女がいるってだけでムカつくのに、こんなやつに彼女がいるなんて、世の中を破壊したい
責められはじたので、僕は弁解した。
── ストーカー気質なところさえなければ、いい子なんです
── ストーカー行為をしても、ちゃんと節度はわかってくれてるつもりでいるみたいだし……
── でもやっぱり我慢できない時はあるし、それに彼女の作るお弁当が……
白ごはんに海苔とたらこペーストだけの、僕の顔を描いたお弁当の話をすると、再び同情のコメントが返って来た。
── 自己満弁当だな、自分の気持に酔ってるばかりで、彼氏の栄養のことを何も考えていない……
── 女ってのはこれだからな
── でも浜辺美波似の彼女の作った弁当ならありがたいんじゃないの?
僕は正直に答えた。
── ありがたいから、いっつもちゃんと食べてますけど、本当はそれ捨ててカップラーメンのほうがいい
するとみんなの反応は2つに分かれた。
── だよなー! そんな嫌がらせみたいな弁当、毎日食わされてたら、俺なら気が狂うと思うぜー!
── でもそれは彼女の愛そのものだと思います、彼女の愛を食べていると思っても耐えられないんですか?
僕はきっぱり言ってやった。
── 普通の食事が……したいです
反応がまた2つに分かれた。
── 同情するわー、白ごはんばっかり食わされてたら糖質摂取過剰になっちまうし……
── 普通の食事って何ですか? 愛は食事のうちに入らないんですか?
── 愛だけで人間は生きて行けねーからなwww
── 愛は立派な栄養ですよ
その片方だけを僕は支持したくて、自分の気持ちをはっきりと書いた。
── 愛っていうよりあれは病的な執着ですよ、僕は結婚するならまともなごはんを食べさせてくれるような女性がいい
すると掲示板が静まり返った。
さっきから『愛は栄養』と主張していた同じIDの人物から、連投でこんな返信があったのだ。
── どんだけてめーのこと考えて作ってやってると思ってんだ?
── 女の愛を糧とできないオトコに生きている資格なし
── 今日、帰ったら覚悟しとけよ、ゆーた
僕はスマホの画面を急いで消すと、辺りを見回した。
仕事の昼休みに立ち寄った公園に人影はなく、平和に鳩がクルッポーと鳴きながらエサを探しているだけだ。その光景がかえって不気味に見えた。
アパートの部屋に帰りたくなかった。でも帰らないわけに行かなかった。放置しておくとこういうのはどんどん膨らむからだ。まさか殺されることはないだろうし。弁解できるものなら弁解し、できないなら別れるチャンスだと思うことにした。
鍵を開け、そっとドアの隙間から顔を覗かせた。
電気が消えていた。いつもの出迎えも、もちろんない。
「た……、ただいま……?」
食卓の上に置き手紙がしてあった。
僕はそれを読む。
『ゆーたくんへ
ごめんね? あたし、うざかったみたいで……。
ゆーたくんが別れたいんなら、ゆーたくんの気持ちを尊重します。
自分のアパートに帰ります。
へんなお弁当、毎日食べさせちゃって、ごめん。
あたしはゆーたくんにとって、いらない女だったんですね。
傷ついた。深く深く傷ついた。
でもあたしは男女関係間の節度を知ってる人間なので、ゆーたくんを自由にしてあげます。
どうぞ、自分でコンビニ弁当でも買って来て食べてください。
でも、もしもやっぱり必要だと思ったら、あたしの名前を呼んで』
読み終えて、僕の顔が明るく笑った。
外へ飛んで出て、近くのコンビニでお弁当とビールを買うと、スキップで部屋に帰り、美味しく頂いた。
自由って、いいな!
自由、最高!
ネットですけべな動画を観て、好みの女の子何人かを堪能して、鳩子ちゃんに電話してみようかなと思ったのは夜遅いからやめて、シャワーを浴びて、広々としたベッドに入ると、寂しくなった。
隣に洲都香ちゃんがいない……。
毎晩感じてた、彼女の温もりがない……。
いやいや! 僕は彼女に迷惑してたはずでしょ!
3ヶ月一緒に暮らしてて、情が移ってしまったんだろうか。彼女が側にいないことが寂しくてたまらなくなった。
傷つけちゃったかな……。まさか君が僕の書き込みしてる掲示板のあのスレッドを覗き見てるなんて思いもしなかったんだ。
今頃……泣いているのかな……。
浜辺美波似のジメジメした彼女の笑顔が頭に浮かんで、それが離れなくて、僕は思わず呟いてしまった。
「洲都香ちゃん……」
「なぁに?」
カチャリとクローゼットの扉が開き、そこからゆっくりと現れたものが、嬉しそうに、そう言った。
これは前に書いた『ストーカーで何が悪いの?』という作品の続きになります。
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冒頭ベッドシーンから始まるというアイデアは一布さまより頂きましたm(_ _)m