過去と世界と彼岸花
今日も世界は回っている。
太陽の周りを地球がくるくると回りながら周って、その上を、魚や動物、鳥に虫、草と木、人間たちが、上手いこと地球に張り付いて生きている。
話は変わるが、お亡くなりになった人の魂というのは地球に張り付いているのだろうか。
魂というものは、多分、食べたり飲んだりする必要はなくて、寝て起きてという概念もないんじゃないかと考えている。下界に生まれて此の方、現し世から彷徨い出たことのない人間には予想がつかないが、
重荷となる体を脱ぎ捨てた魂が、態々、地球に張り付いてウゴウゴしていると考えるのは、ちょっと、面白くない。
なので、私は、下界からはとっとと脱出して、何処か別の所で虚無ってるのではないかと思っている。
だが、過去にお亡くなりになった全ての方々が、わらわらとしながら虚無ってる光景を思い浮かべるのは遠慮したいので、考えすぎないようにしたいのだが、そうも言っていられない。
驚きながら聞いてほしいのだが、いま、私の目の前には、彼岸花がある。
そう、彼岸花だ。
どこかの宗教かなにかだったと思うが、生者の世界と死者の世界を隔てる大きな川のほとりには、彼岸花がぎょーさん生えていると聞いた気がする。
つまり、彼岸花の畑の真ん中に川を作れば、もしかしたら、死者の世界にプチ旅行に行ける可能性もなくはないこともないかもしれないということだ。
因みに、私は別の世界に行く方法とやらを、過去に幾つも試したが、成功したことはなかった。ネットに転がっている記事などでは、『ガチでヤバい』『試すときは本当に自己責任』などと、書いてあったが、本当に自己責任で、記事に書いてあることが成功したことは一度もない。
だが、今回は、成功するはずだ。
何故かは分からないが、強い確信がある。
なので、重機を借り出して堀を成形していもらっている。
進路上に咲いている大量の彼岸花には申し訳ないが、供華になるのだと思ってい諦めてもらいたく思う。
水が土に染み込まないように、砂利やら石やらを敷いた堀に、大量の水を流し込む。話に聞いた川は赤いらしいので、赤錆を大量に混ぜ込ませた。
一週間ほどで川の様相を成した堀を、上空から見下ろせば、話に聞き、絵に見た、ミツセの川によく似ている。我ながら良く出来たと自画自賛を繰り返しながら、川辺に降りていった。
別の所で虚無ってる方々は、おそらく、世が終わるまで起き出して来る気はないだろうが、個人的には歴史的事件の当事者から様々なことを聞きたいので、ノートとペンは必須だったのだが、ザブザブと川を渡っている間にどこかに落としてしまったようで、気づいたらなくしてしまっていた。
だが、時間はたっぷりあるので気にしないこととしよう。覚えられるまで、繰り返し聞けばいいだけのことさ。