魔法博士ヒオリは夢を見る08
サラダとパスタ、ドリンクが乗ったプレートを手に、その男……ニールはヒオリを見つめている。
長いまつ毛の下から覗く海のような瞳は、何処までも穏やかだ。
しかし同時に底知れない何かを感じてしまうのは、己が彼を警戒してしまうためか。
気のせいではなく背筋がぞくりと冷えたことを自覚して、ヒオリはどうするべきかと逡巡する。
内心に吹き上がるのは戸惑いと疑心だ。
彼と話すのはためらいがある。この男は何処か秘密めいた空気をまとっていて、隙が無い。
そう思う反面、好奇心が疼くのもまた本心だった。
他愛ない世間話がてら、胸に宿った疑問を解決するにはいい機会なのかもしれない───。
不審に思われないほどの間にヒオリは結論付けて、口元に柔和な笑みを浮かべながら「どうぞ」と頷いた。
「どうですか?こちらの研究所にはなじめそうですか?」
「そうですね、まだ半日ですが。なかなか楽しそうなところだと思いましたよ」
にっこりと微笑みながら己の向かいに腰掛けた青年は、ヒオリに頷いて答える。
どうやら質問されることを鬱陶しいとは思わない性質のようだ。
積もり積もっていた疑問を頭の中で高速で整理し、なるべく世間話に近い形で問いかける。
「ニールさんはどのような研究をなさっているのでしょう。すみません、美容品は専門外なもので」
「主に香水の調香ですね。気分を高めたり体臭を消したり……一部の効能は貴女のアロマに近いかもしれません」
「私の開発したアロマをご存じなんですか?」
首を傾げて問いかけ、ヒオリは目を瞬かせる。
ディアトン魔法研究所に限らず、この国には魔法アロマの調香をしている博士は数多い。
例え似ている分野の研究をしているからといえ、どのアロマをどの博士が作っているかなど知る人間がどれほどいるだろうか?
不思議そうな顔をする己にニールはくすりと小さく笑み、頷く。
「こちらが開発したアロマのファンなのですよ。特に貴女のブレンドは私に合うようで」
「……それは、ありがたいことですが」
魔法の濃度、そしてハーブの配合は確かに自分が決めているが、世間に回っているのは工場で量産されたものだ。
商品を気に入ってくれたとしても、それを開発した博士を調べることなどまれであろう。
(他に、何か理由があるのかしら?)
ニールの深い青の目を見つめながら、ヒオリは頭のすみでそう考える。
夢のことにも加えて、目の前の男は何となく胡散臭い。
穏やかな笑顔も心の裏側を隠しているかのように見えてしまう。
サンドイッチを咀嚼しながらしばらく彼を観察していると、パスタを食んでドリンクで唇を湿らせたニールがヒオリに問う。
「もしよろしければ貴女のブレンドを見せていただけませんか?ヒオリ殿がいつもどのようにお仕事をしているのか気になるんです」
「……はあ。私の、ですか?しかし、貴方の仕事は良いのですか?」
「今日一日は研究所に慣れろと言われているもので」
「なるほど……」
気のない返事を返しながら、ヒオリは考える。
アロマに限らず独自のレシピがあるものはディアトン国立魔法研究所の博士と、関連企業以外には漏らさぬように徹底していた。
彼がどこかの企業スパイである可能性も考えたが……流石に金も実力もコネもあるこの研究所関係者が、怪しげな人間を採用する可能性は少ないだろう。
かたわらに置いたコーヒーを飲んで頭を巡らせ、そして吐息をもらして頷いた。
「詳しい調香方法は教えられませんが、それでも良かったらぜひどうぞ」
承諾すると、「嬉しいです」とニールはまるで花がほころぶように笑った。
穏やかでありながら少年のように目を輝かせ、口元に優雅な笑みを浮かべる彼に、ヒオリは半瞬戸惑う。
それほどアロマの調香に興味があったのだろうか?
彼の考えていることがいまいちわからず、変な人だなと思うことにして嘆息した。
(他にも何か聞いておくべきかな……)
単刀直入に夢の出来事を聞くべきだろうか?だとすれば何と切り出せばいいのだろう?
悩みながら再び、ヒオリが口を開きかけた瞬間だった。
ふわり、と鼻孔に嗅ぎ覚えのある複雑な香りが届く。
花のような、スパイスのような、それでいて柑橘類か樹木のような、嗅いでいると眠くなってしまう甘さを含んだ匂い。
何の植物が由来かわからない不思議なそれに、ぎくりと心臓が跳ねた。
(これは……夢の中の!!)
そう察したとき、背後に誰かが歩み寄った気配を感じて体を強張らせる。
「……あの!す、すみません!」
にわかに小さく震える声をかけられて、はっと振り返る。
いつの間にか己が腰かける椅子のそばには、華奢で可憐な女性が胸元でぎゅっと手を握りながら立っていた。
白衣に矮躯を包んだ、プラチナブロンドが美しい妖精の如き美女。
それが朝一番に目撃した騒動の中心人物であることに気が付き、ヒオリは内心ぎくりとする。
だが何とか表面上は平静を保ち、彼女を見つめた。






