青い瞳の記憶08
警備員たちにメルたちの身を任せ、ヒオリたちはアロマ研究室を後にしていた。
ディアトン国立魔法研究所には自分たち以外に人の気配は無く、二人は速足で研究棟を出、正門を目指す。
目的の人物に電話を入れるとやはり相手はすでに起床しており、研究所前で待つとはっきり伝えられていた。
まだ出勤する者のいない研究所前。誰にも汚されていない清涼な朝の空気の中二人を待っていたのは、炎のように真っ赤な髪を持った、背の高い美女であった。
研究所から現れたこちらの姿を見つけ、その美女……ヴェロニカは艶やかに微笑む。
「……ヴェロニカ女史、お待たせいたしました」
「あら、ふふふ。おはようございます、ヒオリさん、ニールさん」
ヒオリは彼女の前に立つと、その瞳を真っ直ぐに見据えた。
怯むことなくヴェロニカは己の視線を受け止め、「昨夜は大変でしたわね」と何事もなかったようにねぎらう。
思わず口元に嫌みな笑みが浮かび上がったが、この朝の景色を壊さぬようなるべく棘を押さえて告げた。
「ええ、大変でした。命の危機にも瀕しましたよ。ヴェロニカ女史はとっくにお姿を消していたようですが」
「もうあの夢で必要なことは知れましたもの。身の危険がある場所に長くいるわけはないでしょう」
「……あれから何か情報はつかめましたか?」
悪びれもしないヴェロニカに嘆息し、肩を竦めながら問うと、彼女はころころと微笑み頬に手を当てて答える。
「リリアンさんのデスクを少々調べさせてもらいましたわ。それとお義父様のことも……もっともこちらはあまり収穫は無かったのですけど」
「前所長がそう簡単に尻尾を出すわけもないでしょうね……、ところで私たちが貴女を呼び出したのは聞きたいことがあったからです」
ヒオリがそう口にしたとき、その言葉を受けつぐように一歩ニールが前に出る。
いつもとは違う厳しい表情でヴェロニカ女史と相対し、その一挙一動を観察する眼光で見据えながら口を開いた。
「リリアン殿の夢の中で貴女は自由に動き回っていましたね。しかもあの方の魔法の影響をまったく受けていない。彼女が貴女の人形を作り、劇場で悪女を演じさせていたにも関わらず」
「ふうん。そういう貴方もリリアンさんの夢に自由に出入りしていたようですけれど」
「それは後程ご説明させていただきます。だから貴女も知っていることをお話しいただきたいんです」
ヴェロニカは口元に優雅な笑みをたたえたまま、冷たい眼差しでニールを見返していた。
その表情からは彼女が何を考えているのか想像することしか出来ないが……恐らくヒオリたちが敵か味方か、否、利用できるか使えるかを考えているのだろう。
合理的で理知的なヴェロニカらしい計算がその頭の中で渦巻いているならば、彼女が望む筋を示してやればいい。
ヒオリは「ヴェロニカ女史」と挑むように彼女の名を呼び、その瞳がこちらを向いたのを確認して告げた。
「リリアン女史とヴィクトル前所長を止めると言う目的をお持ちなら、今は貴女の敵にはならないとお約束しましょう」
「……まあ」
「私は魔法研究協会ディアトン国支部の職員です。貴方の欲している情報は持っていると思いますよ」
ヒオリに続き、ニールが言った言葉に初めてヴェロニカの眉がぴくりと動く。
彼女はニールを見、そして己を見る。興味をひかれた様子だった。探るような鋭さを持つ光が彼女の瞳にきらりと宿る。
その後彼女は目を伏せて何事かをしばらく考えたあと、結論付けたのか一つ頷いて自分たちと向き直る。
「貴女がたがご満足できるお話があるかはわかりませんが」
「お願いします」
ヒオリとニールが頭を下げると、ヴェロニカは一つ頷き「歩きながらでよろしいかしら?」と訊ねた。
二人が同意すると、彼女は笑みを浮かべて踵を返し、歩道を歩き出す。
ディアトン国立魔法研究所の正門から続く道には街路樹が等間隔で植えられており、さわさわと爽やかな風に揺れている。
自分たち以外に人はおらず、車も少ない。秘密の話をするにはちょうど良かった。
イチョウの葉の影から覗く朝日を見上げたヴェロニカ女史は、一つため息を落として語りだす。
「数か月前、リリアンさんがこの研究所に来てからクロード様の様子がおかしくなりました。最初は彼女に心変わりをしたのだと思っていましたが、何か妙で」
「妙と言うのは、例えば?」
「普段からぼんやりしていたり、怒りっぽくなったり、記憶が飛んでいたり……色々ですわね。あと、昔からの私の愛称を忘れていたときは驚きましたわ」
「昔からの?」
首を傾げるヒオリに、ヴェロニカは肩越しに振り返り目を細めた。
「あら、知りませんでした?私たちは幼馴染だったんですのよ。当時からの呼び方があったんです」
懐かしむようにたおやかに微笑むヴェロニカに、ヒオリは目を瞬かせる。
彼女とクロード所長の婚約は研究所の将来のためのものと決めつけていたが、案外他に情熱的な理由があるのかもしれない。
再び顔を前に向けたヴェロニカは、薄く笑ったまま話し続けた。




