青い瞳の記憶04
はっと大きく息を吸った後、ヒオリは開きかけたドアを凝視する。
においの元は間違いなくあの向こうに佇んでいる。
ざわりと血液が足元に移動する冷たい感触とともにニールを呼び止めようとして───ヒオリは粘っこく甘い女の声を聞いた。
「ニールさぁん……見つけたぁ……!」
瞬間、ニールが顔を歪め、一歩退いた。
警戒が強まる二人の視線の先……僅かに隙間が空いていただけだった扉が、ぎいぎぎいと軋むような音を立てて開いていく。
甘い香りは吐き出しそうなほど強くなる。
うっと口元をおおうヒオリが見守る中扉は開き、そこからまるでタコの足のように太く長い蔦が入り込んできた。
「リリアン、女史?」
「ひどい、ひどいわ、ニールさん。どうしてその女を守るの?わたしの方が正しいでしょう?わたしを守りたくなるでしょう?なのに、どうして?」
呼びかけに答えたわけではなかろうが、怨念のこもった恨みがましい声が廊下から聞こえる。
その間にも蔦は室内を浸食し始め、やがてひと際大きな葉と果実の塊が部屋の中にずるりと姿を現した。
───否、それは植物の一部ではない。
暗がりの中でも異様さのわかるその大きな物体は白く、つるりとした皮膚がある。その表面を植物が覆っており……いや、皮膚から直接植物が生えているらしい。
目を逸らすことも出来ずにまじまじと見てしまい、ヒオリの喉は「ひっ」と引きつった。
その白い皮膚の持ち主は、やはりリリアン女史であった。
先ほど温室の床に、壁に、天井にまで渡っていた奇妙な葉と果実。それを繋ぐ蔦は、リリアンの体、主に頭部から髪の毛のように生えていた。
一糸まとわぬ姿であるが、生憎まったく煽情的には見えず、むしろ所々みどりがかってしまっている体に恐ろしさすら感じる。
体の中心と頭部のみを残し、手足は幾重にも絡まった太い蔦に変化しており、それをうねうねと動かして前へ進んでいる。
顔だけはくっきりと見えており、らんらんと輝く目はニールへと向けられていた。
「ニールさん、わたしと一緒に行きましょうよ。わたしを守ってよ、ヴェロニカさんが悪いの。助けて」
「いいえ、遠慮しておきますよ。私は貴女とヴィクトル殿には賛同出来ないのでね」
きっぱり言い放つ青年に、植物の中の美しい顔が歪む。
そしてぎょろりと目を光らせて、ニールの背後にいるヒオリを強く睨んだ。
「その女がいいのね。でも、もう遅いわ。貴方もわたしの物になるんだから」
言うなりリリアンは自分の頭から生え壁を伝っている蔦を揺らす。がさがさと葉が鳴り実が震え、ヒオリとニールは彼女が何をしようとしているのか悟った。
「ニールさん!」
ヒオリが呼びかけた時、青年はすでに『力の言葉』を口にしかけていた。
「【φλόγα】」と動いた唇、しかしそれが音になる前に、彼の動きが引きつったように止まる。
どうしたのか?と慌ててニールの顔を見上げるが、表情は苦悶に歪み、目が驚きに見開かれていた。
嫌な予感がした。彼の名前を呼ぼうとした刹那、リリアンのもとで揺れていた実がぱくりと割れて、中から粘液にまみれた人形が床へ落下する。
「ニールさん、貴方も私の劇で踊ってね……」
囁くように甘い声でリリアンが言ったのと、落下した人形が気味の悪い音とともに立ち上がったのは同時だった。
それに惑わされるように、ぐらりとニールの体が揺れる。
何とか耐えるように彼は床に膝をつき、しかしそれでも耐えきれなかったのか途中でがくりと肩の力が抜ける。
慌てて彼の元へ駆け寄り傍らで覗き込むと、ニールは額に脂汗を浮かべて頭を抱え始めた。
「ニールさん!?」
「ひお、り、どの……!離れて、下さい!これは……!」
「ニールさん!しっかりして!どうしたの!?いったい何が……!?」
呻くニールの肩に手を置き呼びかけるが、ついに彼はこちらに声をかけることも出来なくなってしまった。
二人を嘲るように、くすくすと笑う愛らしい女性の声がして、ヒオリは振り返る。
体中から植物の蔦を垂らして微笑むリリアンと……その隣に立つ小さな人形のシルエットに、思わず息を呑んだ。
黒い髪の毛と深く青い海のように美しい目。褐色の肌に上等なスーツをまとわせているその人形は、紛れもなくヒオリの隣で苦しむ男と酷似した姿をしている。
「それは、ニールさんの、人形……?」
「ええ、先ほど完成したの。これでようやくニールさんにも協力してもらえるわ……」
うっとりとした恍惚の表情で語ってリリアンは、その人形に手……蔦を何本も伸ばして、人形の体を絡め取る。
まるでそれは、糸に吊るされて舞台に立つマリオネットのようだった。
その瞬間ニールのうめき声が大きくなり、ヒオリははっと振り返る。
同時に愉快そうに軽快そうにリリアンが笑い、叫ぶような甲高い声が部屋の中に響いた。
「さあ、ニールさん。わたしのために、その女に罰を下して!」
ヒオリの視界の外でリリアンが操り人形の糸を引く。
呻いていたニールの声がぴたりと止み、彼はゆっくりと立ち上がりヒオリを見据えた。
その瞳には己を見ていた暖かさは一切消え去っていた。




