魔法アロマは夢の香りを連れて来たのか?07
ドアの隙間から体を押し込めるように入室してきたのは、クロード所長だった。
連絡を受けて慌てて確認に来てくれた……と言った穏やかな様子ではなさそうである。
眉をつり上げてぎろりと室内を睨みまわすその表情は酷く険しく、普段の気弱そうな青年の面影はない。
ソファに座るヒオリを見据えると、彼は額に汗を浮かべたまま怒鳴りつけてきた。
「き、君……!どういうつもりだ!何故ここに来た!?リリアンに何をするつもりだ!?」
「しょ、所長?いったいどうなさいましたか?」
これに答えたのは、おどおどと立ち上がったキリノである。
自分へ向けての怒りかと思ったのか、彼女は狼狽し怯えた眼差しでクロードを見つめていた。
彼はちらりと彼女を見て、「君にもあとで話がある」と言い捨て、しっしっと犬猫でも追い払うように手を振る。
女性博士はさっと顔を青くしたが口答えはせず、弱弱しい足取りで部屋を出て行った。
去り行く彼女を見送ることもせずに、所長は再び視線をヒオリたちに転じる。
改めて見るその顔は確かに険しかったが、ヒオリには精一杯虚勢を張って吠える子犬にしか見えなかった。
「いったい何をしに来たんだ?ヴェロニカに命じられてきたのか?」
「……何の話でしょうか?ハオラン室長から連絡は行きませんでしたか?」
冷静を通り越して冷たい氷のような己の声に、クロードは片眉を跳ね上げる。
「いいや、知らない。嘘をつくんじゃないぞ」
「嘘ではありませんよ。温室に植えた覚えのない植物が生えていた件です。ひとまずの調査は薬品部門のヒオリ殿と美容部門のニールに一任されたと許可が出たはずですが」
「……植物?あ、」
落ち着かせるような声色でニールが告げると、少し考えたクロードはぱくりと口を開ける。
何か思いついたのか。興奮で真っ赤な顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
その様子を半眼で見つめ、どうやら今日は思うように調査は行えなそうだと肩を竦める。
こちらの呆れを感じ取ったのか、クロードはばつが悪そうに視線をさまよわせながら、ぽついぽつりと口を開く。
「……すまない。確かにそういう連絡が来ていたし、許可も出していた、と思う」
「忘れていらっしゃったのですか?」
「秘書が受け答えしたから……すまない……」
先ほどの勢いはどこへやら、クロードはしなびた植物のようになってしまっている。
申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げて、ヒオリたちの向かい側に腰掛けた。
「いや、あの所員が……先日リリアンに嫌がらせをした女性が来たからと言ったから。頭に血が上ってしまって」
「あの所員?ああ」
そこでヒオリはようやく思い出した。
先ほどキリノから連絡を言い使った男性博士は、リリアンたちがヴェロニカに謝罪を要求していたときに共にいた人物だった。
恐らくあの男は昨日カフェテリアで起きた己とリリアンの悶着を仲間に聞き、敵意を持っていたのだろう。
いったいどういう風に話が伝わったのかは知らないが、クロードの話を聞くに一方的な悪者にされてしまったのは想像に難くなかった。
頭が痛くなりそうだと小さく嘆息して、やや呆れながらヒオリは困惑する所長の顔を見つめる。
「昨日の件ならちょっとした行き違いですよ。リリアン女史に嫌がらせをしたわけでも、彼女に悪意があるわけでもありません」
「……本当か?」
「お疑いなら調べてみたらよろしいでしょう」
いまだに疑惑の眼差しでこちらを見る彼にかなりむっとしたが、口調をさらに冷たくすることだけで納める。
怯えたようにびくりとクロードは肩を揺らし、今一度「すまない」と頭を下げた。
室内にぴりりとした空気が流れる中、あえてそれを読まないように微笑を浮かべたニールが口を開いた。
「それで、温室の件なのですが。所長は何かご存じではありませんか?外から植物が持ち込まれるような……」
「……いいや。基本的に僕はもう研究に関わっていないから。最近は植物を扱うこともないよ」
「確か所長は魔法医療の分野で研究をなさっていたんですよね」
問いかけるニールに、クロードはちょっと戸惑いながらも静かに頷く。
国立魔法研究所の所長が魔法医療の分野を大きく進歩させたことは、博士たちでなく一般人にも有名だった。
彼自身も医師免許や多くの資格を持っており、魔法医学で難しい脳の手術を成功させたその道の第一人者でもある。
本も何冊か出版しており、それを読みこの研究所への就職を目指す学生も多いと聞く、魔法学会で最も名の知れた人物の一人である。
と、ここまで賛辞を述べたが───それはここにいるクロードではなく、前所長。彼の父であり前任のヴィクトルのことである。
ヴィクトル前所長は今は隠居の身で、その息子はあとを継ぐように同じ道に入ったのだ。
もっとも父親から所長を任されてからのクロードはいまいちぱっとせず、研究者界隈で聞かれなくなって久しい。
完全なる親の七光りと、聞えよがしな悪口をヒオリも耳にしていた。




