転生王子はネメシスを待つ
二つの黄色味がかかったヘッドライトに照らされ、浮かび上がったのは二つの顔。
彼女たちは恐怖に見開かれた瞳で、こちらを微動だにせず見つめている。
甲高いブレーキ音と、衝突音。
奇麗な黒髪が風に舞い、まるで花開くように広がった、流れ出る赤。
彼女たちの命は刈り取られた。
いや、奪ったのは――
ごめん、ごめんな。
『俺』が、あなたたちを殺した。
あなたたちの未来を奪ってしまった。
それだけははっきりとわかった。
その後は、ひたすら真っ暗闇の中に沈んでいく意識だけ。
「第二王子殿下がお目覚めになられました!」
「王子、ご気分は?!」
暗闇から、急に明るい場所へと放り出されたような感覚。
まぶしさに手を顔の前にかざすと、ふくふくとした小さなもみじが目に映った。
「――え?」
両手のひらを目の前で開けば、どう見ても幼児の手の大きさ。
「王子?まだお熱が……?」
「いや、それよりも、目がよくお見えになってないのでは?」
「医者を! 先生を早く!!」
思ったよりも周囲に人がいるようで、さきほどからうるさい。
こちらは起きたばかりなんだ、もう少し静かに――
しかし、抗いがたい眠気には逆らえず、再び微睡へと沈んでいった。
――ネメシスが来るよ
誰の声だろう。
重いまぶたを無理やり開くも、そこもまた深い闇。
開いた瞳には何も映らない。
――君が奪った命の代償に望まれたこと。それが異世界への転生、いや、別人への憑依、と言った方が正しいか。
淡々と告げられる声に耳を傾ける。
――今の君はとある国の毒殺された王子様。その時に、王子の心は死んでしまった。だから、君の魂をその体に入れたよ。
毒?
ああ、だからこんなに体が辛いのか。
――君には奪った命の最後の瞬間の記憶が鮮明に残される。その罪の意識から目を逸らさぬよう。
先ほどの記憶は、死の間際のものだったのか。
なんてひどい。
誰かを巻き込んで、死んだ、ということか。
――そして、彼女もまた、君を見ている。
「――彼女?」
微かに零れたその音は、自分の声の記憶よりも幼かった。
――いつか、君に奪われた命を奪い返しに来る者。それまでの時間、どのように生きるかは君の自由だ。王子として相応しく過ごすもよし、享楽にふけるもよし。彼女が復讐の女神として君の前に表れるその日まで
ピタリと言葉の奔流が止まった。
――震えて生きろ、と。
絶望色の暗闇の中、声はそれ以上何も言わなかった。
再び目覚めた時には、『俺』はとある国の第二王子としての記憶も持っていた。
彼は、六歳にして天才の名を欲しいままにしていたという話だ。
しかし、それが徒になったのか、四つ上の第一王子派の者に毒を盛られた。一時、生死の境を彷徨っていたようだが、こうやって無事目を覚ました。
――とはいうものの、中身は別人。
いや、別世界の人間、とでもいえばいいのだろうか。
生死の境を彷徨っていた半月ほど、『俺』は覚醒しては昏睡し、深い眠りの中で記憶のすり合わせをしていった。
あの「声」からの事前の情報通り、服毒によって第二王子としての個は死に、その体に別世界の魂であった『俺』が入り込んだようだ。
なんとも荒唐無稽だが、それ以外に説明しようがない状況だった。
納得はできなくも、理解するしかなかった。
「今後、二度とお前をこのような目に遭わせることはないと、誓おう」
大分体調も回復した頃、兄である第一王子が見舞いに来た。
本来なら毒殺の首謀者、いや、教唆の大元であるのだが、この身体の元である第二王子は兄を慕っていた。そして、兄もまた弟を可愛がっていたのだ。
第二王子は毒を盛った犯人を憎みこそすれ、そんな状況に追い込まれた兄を心配するような子供だった。
「ご心配には及びません。たまたま――そう、不注意からの慢心のせいです」
兄はぐっと言葉に詰まり、苦しそうに続けた。
「幼いお前にそう言わせざるを得ない状況に追い込んだのは、私も同然だ。王になるものとして、軽々しく頭を下げることも、許しを請うこともできない。だが、お前を大切に思っている。決して死んで欲しいとは思っていたわけではない。それだけは信じて欲しい」
兄もまだ十を過ぎたばかり。
前世では死ぬか生きるかなどと縁遠い生き方をしていたが、この世界の子供はかなり見た目も考え方も大人びている。
これが今の世界。
これから『俺』が生きていかなければいけない世界、なんだ。
この国の王子は二人いた。
四つ違いではあるが、ともに優秀な頭脳に健康な体。
王太子は必ず第一子が継ぐわけでもなかったので、王子たちは双方互いに研鑽し合っていた。どちらが次の王座に就くのかわからない状態だった。
つまり、大人の思惑が絡んだ結果の、第二王子の毒殺騒ぎだった。
第一王子は決して無能ではなかった。
むしろ、十分に優秀だった。
だが、第二王子の方がその上を行く天才だったようだ。
最初はその株を下げまいと気負っていたのだが――どうやら、前世で社会人までしてた『俺』よりも、この六歳児ができすぎた。
「おかしいですなぁ。殿下は地理・歴史全て記憶されてたはずですが……」
「え、我が国以外の他言語をお忘れに?」
「単純な間違いが多いです。計算速度も以前と比べて落ちております」
どれだけできる子供だったんだろう、第二王子は。
望んでこの身体になったわけではない。
しかし、若くして死んでしまった子供の身体を奪った負い目もある。
失ったものを取り戻すべく、必死にくらいついて行った。
何回か顔を合わせ、見知っていた少年が週三度、登城するようになったのは七つを過ぎた頃だった。まずは友人として、相性次第で側近候補として共に学ぶためだ。
カリウスは侯爵家の次男で、父親は代々宰相として王家を支えてくれた家門だった。彼にも優秀な兄がいた。彼自身は生真面目で物静かな性格だったが、似たような環境からか、いつしか打ち解けるまでになれた。
九つの頃、カリウスの幼馴染だという、公爵家の令嬢と出会った。
彼女はカリウスを見つけた瞬間、パッと花咲くような笑顔を浮かべた。彼女は自分の父に連れられ、挨拶をしに近づいて来た。
「タルク公爵家が娘、フランソワーヌでございます」
先ほどの大輪の笑みから可憐な微笑みに変えた彼女は、無理しているように見えた。
「殿下、この子は殿下とちょうど同い年でございます。以後、お見知りおきを」
彼女の父親は含みのある笑みを浮かべ、それとなく彼女をこちらへと押し出した。
確かに彼女は可愛らしく、印象も悪くない。カリウスが、背後で息を飲んだ気配がした。
フランソワーヌ嬢と出会ってから、なぜか彼女と遭遇する機会が増えた。
休憩時の中庭で、本を探しに行った図書室で、あるいは、移動時の渡り廊下で。
側には必ずカリウスもいた。所在なさげに佇むフランソワーヌ嬢はカリウスの顔を見る度、満開の笑顔を咲かせる。それから慌ててその笑顔を押し隠し、貴族令嬢らしい淑やかな微笑みを浮かべる。
「フランソワーヌ嬢はカリウスに会いに来てるんだよな?」
そうだといい、と思いながら呟いた言葉に、カリウスが面食らったかのような顔をした。
「公爵はご令嬢を第二王子殿下の婚約者に、と思っているようです。お気付きの上で、袖にされてるのかと思っておりました」
やはりそうなのか。
ため息が零れそうになったが、実際ため息をつきたいのはカリウスの方だろう。
カリウスに対する笑顔にあふれんばかりの好意を感じるのに対し、こちらに向ける笑顔はあくまでも社交的なものにしか見えない。いくら可愛らしいとはいえ、九歳の女児に微笑ましさは感じても、それ以上の感情は抱けない。
「カリウス、君はそれでいいのか?」
側近候補、いや、今では友人だと思っている彼に問いかけた。
「私――私は、あくまでも侯爵家の次男です。将来的に家督が継げるわけではありません。侯爵家の持つ子爵位を継げるくらいでしょう。子爵程度では、公爵家のご令嬢を迎えられる身分ではありません」
前世の知識からすると、この身分制度は前時代的、まったく馴染めない制度だった。
しかし、これが今の現状。
王族とはいえ未成年の第二王子程度がどうこうできるものでもない。
「仮にだが、フランソワーヌ嬢との婚約を蹴ったら……彼女はどうなる?」
「第二王子殿下との話が調わなかった場合ですか?おそらく、タルク公爵家は王家の血も受け継いでおります。この国に王女がいないので、政略的に他国の王族へと話が行くだけかと」
例え自分が婚約を回避しても、カリウスにチャンスが回ってくることはないのか。
どう見ても、彼らは両想いだとしか思えないのに。
偶然を装った出会いは、やはりタルク公爵の差し金か。
しかも、こちらから婚約を言い出すよう、彼女に言い含めているようで更に癪に障る。確かにフランソワーヌ嬢の器量からすれば、成功の可能性も高いだろう。
中身が同い年の少年だったのならば。
どちらにしろ、彼女との婚約を蹴ったとしても、このままではまた別の誰かがその後釜に座るだけ――
「カリウス。お前は自分たちの――お前と彼女の絆を信じられるか?」
「どういうことでしょう?」
「是と言うなら……考えがある」
答えを待つ間、ジッとカリウスの表情の変化を見守る。彼はしばしの逡巡の後、決心したようにコクリ、とうなずいた。
「ごきげんよう、第二王子殿下」
「こんにちは、フランソワーヌ嬢」
初の顔合わせとして、こちらの要望で王城の庭園のガゼボで当事者同士のお茶会を開かせてもらった。もちろん、側には侍女や護衛も控えている。彼女はきれいな微笑を浮かべているが、なぜかこの場にいるカリウスに戸惑っているのが見て取れた。
「今日は顔合わせの記念に、花束を用意させてもらった。ぜひ受け取ってほしい」
その言葉を合図に、カリウスが捧げ持っていた花束をフランソワーヌ嬢の前へと置いた。
「ありがとう、カリウス。これだけのために呼び出してすまなかった。戻ってていいぞ」
カリウスは丁寧に一礼し、その場を辞した。フランソワーヌ嬢は微動だにせず、花束を見つめていた。
「お茶の前に、よかったら一緒にバラ園を散策しませんか?」
「あ――はい」
夢から醒めたように顔を上げたフランソワーヌ嬢は、差し出された手を取った。しばらく歩いて、周囲に話が聞かれない場所へと誘導する。護衛も気を利かせて、距離を置いてくれている。
「今回の話が調わなかった場合、貴方にはまた新たな婚約者が用意されるだけ、と聞いた」
「その通りでございます」
「さて。一つ確認したいのだが、貴方とカリウスは想い合っている。間違いないね?」
「い、いえ、そのようなことは」
ゆったりと歩を勧めながら、フランソワーヌ嬢に言葉をかけると、彼女は慌てて否定の言葉を口にした。
「そのまま。微笑は絶やさずに聞いて。仲の良さを演出しててもらえるかな」
聡いと評判の公爵令嬢は、素直にその言葉に従ってくれた。微笑みは絶やさないながらも、その瞳は不安に揺れている。
「今のカリウスは侯爵家の次男。優秀な嫡男もいて、家を継げる可能性は低い。本人からは爵位を継げたとしても侯爵家の持つ子爵位くらい、だと。その点は知っているかな?」
「――はい」
「だから、貴女に本心が聞きたい。もちろん、不敬には問わない。苦難の道を選ぶことになってもカリウスとの未来を望むのか、もしくは安穏とした未来のどちらを選ぶ?」
「わ、わたくしは……」
さすがに動揺したのか、わずかに彼女の呼吸が乱れたようだ。
「叶うならば、どんな苦難な道でも彼との未来を――カリウスと、ともに」
「それが偽りでないのなら、手を貸そう」
歩みを止め、フランソワーヌ嬢に向き合う。
「まず、貴女には『第二王子の婚約者』になってもらいたい」
フランソワーヌ嬢は大きく目を見開いたが、公爵令嬢の矜持として、彼女の微笑は全く崩れなかった。
「更に理不尽だと思えるかもしれないが、今後数年、王族の婚約者として相応しい振る舞いをお願いする――しかる後、第二王子の心変わりにより、この婚約はこちらから破棄させてもらう」
彼女の両手を握り、心なし距離を詰める。
傍から見れば、第二王子がご令嬢に大切な告白でもしているように見えるに違いない。
「王族からの婚約、そして、勝手な婚約破棄。貴女は同情されるだろうが、それでも令嬢としての評判は落ちてしまう」
フランソワーヌ嬢は年頃の令嬢としては致命的な瑕疵をかぶってしまう。
婚約破棄された女性には、よい結婚の話は来なくなる。だからこそ、そこに爵位が低くてもカリウスが漬け込む余地が出て来る。多少不自然な流れに見えようとも、王族がこんなバカげたことをしでかすとは思いもしないはずだ。
これこそが、真の狙い。
彼女もまた、その答えにたどり着いたようだった。
「でも殿下……なぜ、殿下がそこまで」
「なぜ、か。そうだな」
周囲で揺れる花をぐるりと見まわす。
汚い権力闘争や、差別などない穏やかな空間。
「罪滅ぼし、かもね」
「え、なんと?」
ポツリと呟いた言葉は小さすぎて、風にさらわれてフランソワーヌ嬢の耳には届かなかったようだ。戸惑いの表情で、こちらをうかがう彼女に、笑顔を返す。
「先ほどの花束。バラ、カスミソウ、ガーベラ。それらが何を意味しているか、わかる?」
「……あなたを愛しています。永遠の愛、そして希望」
「それらはカリウスからの偽りない気持ちだよ。この計画は大切な友人、いや、友人たちのため、って理由じゃ納得できないかな?」
フランソワーヌ嬢の瞳が潤んだのがわかった。
しかし、彼女は気丈にも大輪のバラにも負けない笑みを浮かべ、決意を秘めた表情でうなづいてくれた。
こうして、第二王子と公爵令嬢の婚約話が調った。
「でかいな。同じ年か?」
「はい。十二になります」
その年、辺境伯家の三男だという、ブライアンが護衛候補として紹介された。
辺境伯家は武の家門だ。往々にして体の大きな男子が生まれ、身体能力も高く、次男以降は騎士として立身出世を果たすことが多い。
同い年ということもあり、ブライアンは友人兼護衛騎士見習いとして王城預かりとなった。おそらく、二年後に入学する王立学園内の護衛として、同級の者をつけたといったところだろう。
「探し物か?それとも、心配事か?」
「え?」
本人は気づいていなかったようだが、目線が忙しなく辺りを見回していた。
護衛として周囲を警戒しているのか、とも思ったが、そんな風でもない。
「し、失礼しました!!」
ガバリと頭を下げられ、危うく脳天直撃の頭突きを食らうところだった。
「自領から出るのは初めてでして……何もかもが珍しく」
「ああ、王都とは気温すら違うらしいな。辺境伯領は、寒い場所だと聞く」
「はい。一年の三分の一は冬です。四分の一は雪に閉じ込められてるような場所です」
「雪、か。久しく見てないな」
「王都にも雪が降ることがあるんですか」
ブライアンが目を丸くした。そこで、自分の失敗に気付いた。
ここ王都では、滅多に雪が降らない。
つい、前世での記憶のままに口を開いてしまったようだった。
「数年前、地方へ視察に行ったときに――」
「ああ、そうでしたか。初めての雪の感想はいかがでしたでしょうか?」
「うん?まぁ、冷たかったな」
「お召し上がりには?」
「あ、ああ。一度は口にしたな」
まぁ、前世でだけど。
理科の授業で雪の生成方法を知ってからはやめた。
埃が核になってるんだものなぁ。
「ジャムをかけて食べると美味です。食べ過ぎて、お腹を壊してしこたま怒られてからはやめましたが」
「えっ、どれだけ食べたんだ?!」
「バケツ一杯ほど。でも、何事も経験だと思いますので」
無茶をする。
そして、その経験は本当に必要だったのか、と問いたい。
ブライアンとも一緒に行動するようになって、一月ほどが過ぎた。
彼が常に周辺を見回す癖はそのままだった。そのおかげか護衛としても優秀で、散策中に落ちて来た木の棒を叩き落としたり、迷い犬をいち早く見つけて捕獲したりなど。
しかし、彼が最もキョロキョロと視線を彷徨わすのは、城の中を移動している時だった。
辺りに城の使用人たちが多く働く場所に近づくほど、ブライアンの挙動が不審になる。使用人を警戒しているのか、とも当初は勘繰ったが、どうも侍女たちの姿を見る時が一番緊張しているようだった。顔を見定めると肩から力が抜けるようだ。
その姿は、ホッとしたというより、ガッカリしたように見える。
「もしやブライアン、知り合いでも探しているのか?」
とうとう見かねて、声をかけた。
「違っていたら済まない。誰かを探すように、周りの人の顔を確かめているようだったから」
ブライアンは面白いほど狼狽した。
どうやらその推測は当たっていたらしい。
ブライアンは何回か口を開けたり閉じたりした後、観念したかのようにうなだれた。
「――おっしゃる通りです。自分は、ある者が王城で働いていると聞き及びまして、その姿を探しておりました」
「ある者……女性かな?それも、侍女をしているような」
ブライアンは弾かれたように顔を上げた。
凛々しい顔に似合わず、たまに彼は表情で雄弁に語ってくれる。
騎士として大丈夫だろうか、と少し心配になるくらいである。
場所を私室へと移動した。
聞き出したところ、彼は七年前に出会ったご令嬢が忘れられないらしい。
彼女は辺境伯領の隣領、子爵家のご令嬢だそうだ。子爵家はあまり裕福でなく、子沢山で娘だけで五人もいた。彼女は四女で、家計を助けるため、と辺境伯領との領境の森でよく薪や木の実の採集をしていた。そこへ、馬の遠乗りで通りかかったブライアンと出会ったらしい。
何回かの逢瀬の後、王城の侍女見習いとして王都に行く、もう会えないと告げられた。
「当時も……今も子供ですが、自分は必ず彼女を迎えに行く、と約束しました。そして自分もまた、王子殿下の護衛という大役に抜擢していただき、意気揚々とこちらへと参りました」
「しかしまだ見つからない、と。そのご令嬢の名前と年は?」
「シャナ、と呼んでおりました。自分の五つ上なので、今十八かと」
「カリウス、頼んだ」
「承知しました」
「えっ、あの?!」
狼狽えた顔をしたブライアンに、今では常に側に控えているカリウスは安心させるように笑みを浮かべた。
「私も微力ながらお力添えさせていただきます」
カリウスは優秀だ。
彼は一礼してそのまま部屋を出ていった。
どんな手を使うかは知らないが、求める成果を上げてくれるだろう。
「え、いない?」
翌日のカリウスの報告には、驚きを隠せなかった。
確かに城中の侍女見習い、七年たったらすでに侍女として立派に仕事をしているであろう、ブライアンの想い人を見つけることができなかった、とカリウスは告げた。
「シャナ、という名の十八の子爵令嬢はおりませんでした。過去の雇用を調べても、その方に該当する方もおりません」
「で、では、彼女はどこに……」
てっきり朗報だろうとたかをくくっていたが、それはまさかの結果だった。
ブライアンの顔色も悪い。
「お名前はシャナ様。レインワース子爵家令嬢。お年は十八歳、という方はこの城にはおられません」
最後通告を聞き、とうとうブライアンは膝をついて両手で顔を覆った。
「ですが」
「ん、まだ何かあるのか?」
「お名前がサナリア様。ワーズリー子爵家のご令嬢で、十七歳の方ならおられました」
「子爵家という以外は、微妙に違うな」
「ええ、辺境伯領と領境を接しているのは、レインワース男爵領とワーズリー子爵領になります」
「――えっ?」
カリウスが肩をすくめて続けた。
「ご令嬢と出会ったのが七年前。当時ご令嬢が五つ上でしたら、現在十七歳ですね」
「……あっ?!」
うなだれていたブライアンが顔を上げた。己の記憶力と計算力の杜撰さに気付いたようだ。
「お入りください、サナリア嬢」
隣室のドアを優雅に開けたカリウスの横を恐縮したように入室してきたのは、十七というには可愛らしい侍女姿の小柄な女性だった。
「シャナ?!」
「御前失礼いたします、王子殿下」
彼女が深々と礼をした。侍女として立派にやっているらしい。
「シャナ、いや、サナリア、嬢。ずっと会いたかった!」
「覚えていてくださったなんて光栄です、ブライアン様。見違えるほど、ご立派になって」
「忘れるはずない!約束を果たすために、ここまで来たんだ」
ブライアンの方はともかく、サナリア嬢の方も満更ではなさそうである。
どうにもお邪魔なようだったので、カリウスを促して隣室へ避難することにした。
まぁ、王子の私室で間違いを起こすとは思わないが、部屋のドアは少し開けておく。
たぶん、おそらく。
「あいつ、忘れられないとか言いつつ、いい加減な記憶力だったな」
「ええ、ブライアンの言葉を信じていたら、彼女は見つかりませんでしたよ」
隣室でカリウスにこぼすと、彼も笑いながら応えた。
「年齢の計算と家名の取り違えはすぐわかったのですが」
「やっぱりか?レインワースは男爵家って覚えてたので、自分の記憶違いかと慌てたよ」
「名前の方ですが、当時五歳のブライアンはきちんと発音できなかったようですよ。ご令嬢が何度『サナリア』と教えても『シャナリア』としか発音できなかったようで」
「舌ったらずか!」
ブライアンの天然さにうんざりしていると、なにやら隣室に不穏な空気を感じた。
「なぜだ、シャ、サナリア!俺はお前のために、王都まで来たのに!」
「ごめんなさい」
「俺は、謝罪を聞きたいんじゃない。理由を教えてくれないと、納得できない!」
カリウスと共に、慌てて隣室へと戻る。
「感動の再会だったはずが、どうしたんだ?」
「お騒がせして申し訳ありません、殿下」
泣き顔を隠すようにうつむきながらも、サナリア嬢はしっかり礼儀を欠かさない。ブライアンはというと、悲しみと怒りがないまぜになった表情で肩をいからせていた。
「ブライアン?」
こちらも口を開こうとしない。途方に暮れてカリウスに助けを求めるも、彼もまた難しい顔をしていた。
「サナリア嬢がブライアンの求婚を断ったのでしょう」
「なぜ?」
第三者が見ても、二人は想い合っているとわかった。辺境伯子息とはいえ、ブライアンは三男。子爵家令嬢の四女との婚姻ならおかしくもないだろう。
沈黙を守る二人を一瞥し、カリウスが重い口を開いた。
「おそらくサナリア嬢が、年齢差を気になさっておられるのかと……」
サナリア嬢がビクリと震えた。
ああ、女性は若ければ若いほどいいとかいう、ふざけた風習のせいか。
「わっ、私はどうでもいいのです。でもっ、ブライアン様が後ろ指を指されることだけは……っ」
「俺はっ、サナリアさえ手に入るなら、それこそ、自分はどうだっていい!」
公開惚気か。
スンッとカリウスと共に、自分の表情が抜け落ちるのを感じた。
これだけ想い合ってるのに、これ以上ガタガタ言わせん。
「ブライアン、お前は第二王子専属護衛騎士だな。これから今以上に職務に励め。その努力次第で、騎士爵の栄誉を与えよう。そして、サナリア嬢。其方には今日より第二王子の専属侍女だ。結婚退職以外での離職は認めん。以上」
「「えっ、で、殿下?」」
強制的に二人を近くに配置することにした。
こういうのが正しい権力の使い方だ。
翌日には、サナリア嬢は第二王子付き侍女としてきちんと辞令が出された。
誰かが泣いている。
顔を覆う両手の指の隙間から、零れた涙が見える。
その手のひらを撫でるように流れ落ちたのは、見事な黒髪。
懐かしい色。
――願わなければよかった。
――もともと悪人だと、私たちを殺した悪人だと思っていた。だから、この手で復讐してもいいと。されるべき人間だと思ってたの。
――でも、あの人も私たちと同じ、普通の人だった。つまづいては苦しみ、些細なことに幸せを見出し、誰かを大事に思い、誰かの大事な人になってた。
ふと、その人が顔を上げた。
その長い髪の隙間から、涙を湛えた瞳がこちらを見据えた。
――酷い人。あなたを憎み続けることができない。
――これでは、私が、私こそが酷く醜い人間だわ。
意識が浮上するとともに、洗面所へと駆け込んだ。
まだ部屋の中は夜明け前の暗さに沈んでいた。
胃の中の物がなくなるまで全て吐き出しても、吐き気は収まらなかった。
扉の前で寝ずの番をしている衛兵たちが中の異変に気付いたのか、部屋の中へ飛び込んできた。この惨状を見て、医者だなんだと騒がしくなった。そんな喧騒の中、意識は再び暗闇へと落ちていった。
再び意識を取り戻したのは、丸一日経ってからだった。
また毒か、と前日に口にした物全てが検査され、関わった者たちも全てその身を拘束されたと聞いた。未だに体調は万全とは言えなかったが、毒でも、それを盛られた訳でもない、と弁明に向かった。就寝前にこっそりと酒を口にした、という尤もらしい理由をでっち上げた。こってり叱られたが、無実の者たちに相応の対価を与え、迷惑をかけたことを詫びた。
「こっそり嗜んだお酒の味はいかがでしたか?」
三日の謹慎後、顔を合わせたと思ったら当てこすられた。
「――最悪だったよ。そして、お前も大概性根が悪いな、カリウス」
「大変心配してましたから。『私の』フランが。謹慎が明けたら、見舞いに来たいそうです」
「拘束されてたサナも、自分の心配よりも殿下の心配をずっとしてました」
あれ、自分たちの彼女ののろけと自慢かな。
「ああ、酒はもうこりごりだ」
笑顔を見せると、二人とも張りつめていた息をこっそりと吐いていた。
案外、心配される程度には、好意を持たれていたらしい。
王立学園に入学する年になった。
入学直前、紹介したい者がいる、と父の執務室へと呼び出された。
「よく来たな。まずは、座るがよい」
父の右隣のソファへと促され、腰を落ち着けた。
正面に見知らぬ客がいるとは思っていた。親子だろうか、明らかに仕事のできそうな、威風堂々とした紳士とその息子――
息子の顔を見た瞬間、心臓が跳ねあがった。
いや、顔、というよりも、その造りとその色合い。
夢の中の彼女に似通っていたのだ。
濡れたように艶のある黒髪に黒目。ほっそりとしたラインの顔にスッキリとした目鼻立ち。
しかし、メガネの奥の三白眼は明らかに敵意を持ってこちらを睨みつけていた。
「彼は私の古くからの友人でもあり、最も信頼する臣下。ザグデン公爵だ。公はこの国と他国との折衝に飛び回ってくれていたが、この度三男の学園入学を機に帰国したのだ」
「そ、うでした、か」
「殿下とはお初にお目にかかりますな。こちらは息子のリーファイ。殿下と同い年になります」
危うく聞き逃しそうになったが、なんとか父の言葉を反芻して理解した。
「初めまして。お会いできて、うれしいです」
今どんな顔をしているだろうか。ちゃんと挨拶の言葉を言えてるだろうか。
息子と紹介された彼から目が離せない。不躾に見つめてしまっていた。
「息子の色合いは、珍しいでしょう。遠国はご存知ですか?」
「あ、はい」
ここから海を挟んで数か月もかかる大陸にある国。
そこは、前世の日本という国に似ている文化と風土を持っているらしい。
知識としては頭に入っていた。
「私の亡き妻は遠国出身で、息子はその血が濃いようです。尤も、息子はこの国で生まれ、この国の忠実なる臣民です」
「ジルベルト。儂も公と積もる話がある。よかったら、王宮を案内してやりなさい」
反論は許されず、初対面の彼と共に部屋から放り出された。
仕方なしに、なんとなく距離を取ってあてどもなく歩き出す。
「えーと、どこへ行こうか」
「馬車止めでいい。そこで父の帰りを待ってるから」
「え?でも、王宮の案内……」
「嫌々されるくらいなら、そんなもん、自分で勝手見て帰るさ」
眉を顰め、三白眼が射貫くようにこちらを睨みつける。
なぜ、最初からこんなにケンカ腰なんだろう。理由がわからず、困惑する。
「ああ、くそっ!そんなにこの見た目が、この色が珍しいか?!お前らみんな、ジロジロ珍獣でも見るように見やがって!!」
思い出した。
この国の者たちは遠国を、その文化を野蛮で低俗だと、自分たちの方が上だと勝手に見下している。そんな中に身を置いた彼もまた、謂れのない差別にさらされてきたのだろう。
「違う!!」
思った以上の大声で、否定の言葉を叫んでいた。
「あ、いや、見つめてたのは確かに気を悪くさせたと思う。でも、それは、キミの纏う色が懐か……キレイだと思ったからだ」
「は?」
意外な言葉に毒気を抜かれたのか、リーファイがポカンとこちらを見つめていた。
「む。これではまるで、君を口説いているようだな。勘違いしないで欲しい。尤も、キミの色を纏った女性が目の前にいたら、口説くのもやぶさかではない。それほど、君の色合いを好ましいと思うが、おかしいか?」
「――信じられるか」
「では、どうしたら信じてくれる?やはり、口説かなければダメなのか?男を口説く趣味はないのだが」
「俺も男に口説かれる趣味はねぇよっ!!」
こいつ、目の前にいるのが第二王子だと分かってるのだろうか。
恐れもせず、ポンポンと小気味よく憎まれ口をたたいてくる。
不敬罪を恐れ、そんな口をきく者は周りにはいなかった。
新鮮であり、楽しくもあった。
「やっぱり、口説き落とそう」
「え?!」
生意気な顔から一転、リーファイは恐怖を浮かべた表情で一歩後ずさった。
「お前、同じ学園に行くんだよな?ならば、側近として行動を共にしろ」
「なんでだよ?」
「王族の後ろ盾があれば、陰口をたたく奴らなど黙らせることができるぞ?そしてこの国の第二王子は、偏見などない博愛主義者として尊敬してもらえる。双方にとって一挙両得だろう、どうだ?」
「汚ねぇ……大人の考えだ」
「でも、悪くなかろう?」
スッと片手を差し出した。
リーファイはビクリと肩を振るわせ、さらに半歩後ずさった。
「この手を取れ、リーファイ。悪いようにはしない」
「そういうやつが一番腹が黒いんだよ!」
「まぁ、否定はしない」
悪い笑顔を浮かべれば、苦虫を嚙み潰したような忌々し気な表情を返された。
今はまだ威嚇する野良ネコのような奴だが、有能だという父親に似ているなら、手懐けたら案外いい仕事をするかもしれない。
「お前から私との面会を申し込んでくるなんて……なにがあった?」
今やほぼ立太子が決まり、同時に婚約者と婚姻予定の兄と、久しぶりに顔を合わせた。
「ご無沙汰しておりました。先んじまして立太子、及びご婚礼へのお祝いの言葉を申し上げます」
「余計なことは不要だ。話せ」
無駄を嫌う、本当に頭の切れる兄は、すでに人払いまで済ませてくれていた。
今まであまり交流もしてこなかったが、ここまで信頼されているとは面映ゆい。尤も、それなりにこちらの行動の監視されてたとは思う。特に不都合がないから、別にそれは構わない。
そうでなければ、国のトップに立てるような器ではない。
「学園入学後から、自分の品格を落とさせていただきます」
「どういうことだ?」
口調もシンプルに、単刀直入に本題に入らせてもらった。
「過去にこだわり、いまだに第二王子を擁立しようという動きがあるのはご存知ですね?」
さすが、兄はピクリとも動揺はしない。しかし、目線だけで続きを要求された。
「今まで、第二王子としてそれほど露出はしておりませんでしたが、学園入学を機に、耳目を引くことが多くなると思います。なのであえて、素行も悪く、不出来な様を演じようと思います」
「それは、お前には何の益もないことではないか?」
「しかし、神童と噂された第二王子は、蓋を開けたらろくでなしだった、となれば兄上や、兄上の派閥にとっては大きな利点になるでしょう」
眉間に皺をよせ、不満を見せる兄に、笑顔で肩をすくめて見せた。
「過去に縛られるのも、実力もないのに過分な期待をされるのも、いい加減うんざりなんです」
「本当に、お前はそれでいいのか?」
「はい。しばらくは評判も落ちるでしょうが、いずれ兄上が盤石の王座に座った暁には、心を入れ替えたとして、お側でしっかり働かせていただきますので……」
納得いっていない、という表情ではある。しかし、兄もこの申し出を否定することもできないだろうと確信していた。例の毒殺事件のせいもあり、兄は弟に強く出られない。
しばしの逡巡の後、不承不承ながら頷いてくれた。
「どのような手を使うつもりだ?」
「そうですね。学園に入り、監視の目が緩んだからと、まずは学業をおろそかにし、夜遊びや女遊びを覚えていくって辺りですかね」
「子種をばらまくつもりか?」
「まさか!一応婚約者もいる身です。ですので、噂を広げるのにご協力をお願いします」
「ほう。実際は女を抱きもしないのに、噂のみを流せ、と」
「話が早い。したか、してないか、の事実はいいのです。醜聞程面白くおかしく、そして大げさに騒ぎ立てられるものです」
お互いに、悪い笑顔で同意を確認した。
腹が黒い事の何が悪い。上に立つものなど、多かれ少なかれ、後ろ暗いことがあるのは当たり前だ。
清廉潔白?
そんなものは必要ない。
学園入学後、第二王子とその側近たちはたくさんのご令嬢たちに囲まれた。
第二王子には婚約者はいたが王族とのつながりを持ちたい者、それに、王子以外の将来性のある三人には表向きに特定の婚約者はいなかったからだ。そもそも第二王子とその婚約者はあまりうまく行ってない、という噂を流せばあっという間に広がった。
人間など、そうであればいい、と思うことを真実だと思い込む。
なので、この状況もうまく利用することにした。
徐々に、そしてそのうち人目を気にせずに、ご令嬢方と親密さを増していくことにした。不特定多数のご令嬢たちと、あくまでも彼女らの評判を落とすことのないように。
この世界の常識内で、そのラインを踏み越えることなくうまく立ち回る。
その点は前世の知識と経験が幸いした。
兄と、そして兄の婚約者の女性ならではの伝手まで十二分に使って、第二王子の偽りの悪評を知らしめた。
そして、それはいつしか真に迫って、本当のこと、として社交界へと広まっていった。
天才、神童と呼ばれていた第二王子の名前は、いつしかろくでなし王子として認知されていった。この身体を譲ってくれた子には申し訳ないが、その汚名は必要悪だ。
これでいい。
これで舞台は整った。
「タルク公爵令嬢フランソワーヌ、貴女との婚約を破棄する!」
学園に入学して、二年目も半ばの頃だった。
とある夜会会場で、第二王子からタルク公爵令嬢に突き付けられた、婚約破棄。
すでにろくでなし王子として悪名を轟かせていた第二王子だったが、さすがにその所業は衝撃をもたらしたようだった。
「で、殿下?この場で、そのような話は……」
周囲を代表するように、カリウスが驚いたように声を上げた。
カリウスには、事前にフランソワーヌ嬢との婚約の真実とその結末までは相談していた。彼なら当事者として真意を知ったとて、それを周囲に悟らせるような下手は打たない確信していたからだ。フランソワーヌ嬢本人にもまた、それらを伝えてあった。
しかし、まさか今このような場所で、とは思ってもいなかったに違いない。
おかげで周囲と同じく、ごく自然な反応だった。彼女もまた、その顔から血の気を引かせてこちらを凝視していた。
これにより、周囲に計画的な犯行だとは思われないはずだ。
「ああ。確かに申し訳ないが、はっきりと片をつけたいとは前々から思っていたのだ」
大げさに額に手を当てながらも、指の隙間から周囲の反応を注意深くうかがった。
驚きに固まる者、嫌悪もあらわにこちらを睨む者、喜びを顔に上らせている者。
わかりやすくて助かる。今のところ明らかに訝しんでいるような者はいないようだった。
「せっかくの学園生活、こちらが『交友関係』を楽しんでおれば、やれ常識が、やれ節度を持てと口うるさい小言ばかり。おかげで心休まる暇もない。これから一生、其方のような堅苦しく、面白みもない者と一緒にいるなんて耐えられぬと、この一年あまりでよくわかった。それは其方も、そうであろう?」
フランソワーヌ嬢を見やると、まだ蒼褪めてはいるものの、凛とした立ち姿だった。
素直な反応なのか、はたまた演技か見分けもつかないが、この場に相応しい。
「そうだ。堅苦しい其方には、やはり生真面目な者の方がよいだろう。カリウス、お前にはまだ婚約者がいなかったな。この者などはどうだ?」
側近を見やれば、いつも冷静なくせに、アドリブ対応は苦手なのか固まったままだった。
お前の見せ場を作ってやったというのに、がっかりだ。
「殿下、発言をお許しください」
「よかろう」
フランソワーヌ嬢が頭を下げた後、その可憐な唇を開いた。
「まずは、殿下のお心に添えなかった未熟なわたくしをお許しください。そして、婚約破棄の命には粛々と従わせていただきます。しかしながら、誠に勝手ではございますが、新たな婚約話はお断りさせていただきます」
「なぜだ?」
「わたくしのような瑕疵がついた者、将来有望なカリウス様となど、もったいのうございます」
さすがフランソワーヌ嬢。
アドリブにもきっちり対応してきた。やはり彼女の方が一枚も二枚も上手だ。
見習え、カリウス。
「そ、そのようなことはっ」
「なんだ、お前も言いたいことがあるなら、聞いてやろう」
やっとカリウスが再起動した。
さぁ、ここが正念場だぞ。
「フランソワーヌ嬢。貴女ほど素晴らしい淑女はおりません。もし、貴女さえよろしければ、その手を取る栄誉を私に!」
意を決したカリウスが、フランソワーヌ嬢の前まで堂々と進み出て、膝をついて手を差し伸べた。フランソワーヌ嬢は両の手で口元を隠し、動揺を隠しているようだ。
これは演技だろうか。
「カリウス様、本当にわたくしでよろしいのですか?」
「フランソワーヌ嬢、この先の未来を、私と共に歩んでいただけますか?」
彼女の瞳が潤み、ぽろりと一粒の涙がこぼれた。
「はい。喜んで」
途端に固唾をのんで見守っていた周囲からワッと歓声が上がった。
――計画通り。
内心、ニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
王族からの婚約破棄だけでも、フランソワーヌ嬢とカリウスは婚約できたかもしれない。
でもそれは絶対、とまではいかなかった。煩雑な破棄の手続きの合間に、タルク公爵が他の縁談を持って来たり、彼女を領地や修道院などへ追いやる可能性もあった。
衆人環視の中での破棄から、新たな婚約申し込み。
これならタルク公爵もカリウスを相手取ってこの婚約話を無効にすることは難しい。更なる恥の上塗りは避けたいだろう。
これで不本意でも、タルク公爵は二人の仲を認めるしかない。
さぁ、ネメシス。
『俺』はここにいる。
第二王子の醜聞は広まり、きっと貴女の耳にも届くだろう。
優しいあなたが良心の呵責なく、復讐を遂げられるようにただ静かに願う。
ネメシス、『俺』は貴女を待っている……