月の光の下で君は何を想う
私が二十歳になった年にあの人はプロポーズをしてくれた。
伊織さんだ。私の生まれた時からずっと近くにいてくれた人。前世でも種の時から育ててくれた。彼には感謝してもしきれない。私が伊織さんと男女の付き合いを始めたのは高校生になってからだった。けど私の両親は伊織さんと付き合うのには最初、反対していた。何故か。私が生まれた時で伊織さんは17歳で年齢差が一番のネックだったからだ。特に母が「いくら何でもあんなに年上の人を好きにならなくても」と言っていた。けど私は粘った。父は伊織さんを気に入っていたので少し難色を示すくらいだったが。母は違った。猛反対してくる。説得には難航したが。伊織さんにもある時に相談したら「じゃあ、俺がお母さんと話をしてみる」と言ってきた。そこで一緒に自宅に来てもらい、両親と話し合いをしたのだ。伊織さんは遊びではなく真剣に交際をしている事、結婚も意識している事を言ってくれた。
頑なだった母は伊織さんの熱意と真剣さに打たれたらしい。最後には折れてくれた。そうして今に至るのだった--。
高校一年生から伊織さんとはお付き合いを始めて。四年後の二十歳の六月にプロポーズをされた。夜に二人で夜景の綺麗なレストランで食事をしていたら。伊織さんは不意にエンゲージリングが入っているらしいビロードのケースをポケットから取り出す。この時、私は髪を美容院でセットしてもらい、薄い紅のワンピースを着ていた。耳と首元にはイヤリングとネックレスが光る。
「……美花。結婚しよう」
髪をセットして黒いネクタイに黒のスーツ姿の伊織さんが真剣な表情で告げる。私はいきなりのことで驚く。けどじっと答えを待つ伊織さんに恥はかかせることはできない。そう思って頷いた。
「……はい。こちらこそよろしくお願いします」
OKすると伊織さんはにっこりと嬉しそうに笑った。私はそれを見て顔に熱が集まるのがわかる。この時、食べていたフレンチの味がわからなくなるくらい緊張してもいた。伊織さんがふと立ち上がると私の近くにやってくる。
「ありがとう。断られたらどうしようかと思った」
「断るわけないよ」
そう言うと後ろからぎゅっと抱きしめられた。慌てて手にしていたフォークとナイフをお皿に置く。カチャンという食器の擦れる音が響いた。その後、私が「もう無理」と音をあげるまで抱きしめられ続けたのだった。
半月後に私は小さな教会でささやかながらも結婚式を挙げた。ライスシャワーを浴びながら珍しい梅雨晴れの空の下、白いモーニングスーツ姿の伊織さんと二人で出席してくれた人々に祝福される。
「……おめでとう。美花!」
友人の愛が大きな声でそう言ってくれた。私は今だと思って持っていた造花の月下美人で作られたブーケを宙に投げた。それは愛の両手にちょうど良くすとんと降りる。
「ありがとう。愛。良い出逢いが待っていますように!」
「え。美花?!」
慌てる愛に私はにっこりと笑う。隣の伊織さんがちょっと苦笑いしている。愛が全く男っ気がないのを知っているからだ。
「美花。愛さんにブーケを投げたんだな」
「うん。あの子もそろそろ彼氏の一人でもできたらいいと思って」
私が言うと伊織さんの苦笑いは深まった。照れて慌てている愛をよそに他の人々は私達に拍手と歓声をあげる。こうして結婚式はつつがなく終わったのだった。
結婚してから早くも半年が過ぎた。驚いた事に私は妊娠していたのだ。産婦人科で診てもらったら「三ヶ月ですね」と先生に笑顔で言われた。ちなみに三十代くらいの女性の先生だった。帰ってきた後でどう伝えたものかと迷う。夕方になり伊織さんが会社から帰ってきた。
「……ただいま」
「お帰りなさい」
伊織さんはそう言うと手を洗いに洗面所に行く。私は深呼吸をして彼が戻ってくるのを待つ。数分して思いきって声をかけた。
「ねえ。伊織さん」
「ん。どうした?」
あー、伊織さんのスーツ姿がカッコ良い。のろけている場合じゃないわ。もう一度深呼吸をしてから告げた。
「……あのね。今日、産婦人科に行ってきたんだけど」
「え。産婦人科?!」
「うん。ちょっと吐き気がひどくて。もしかしたらと思って検査薬を使ったの。反応があったから。病院に行ったらおめでたって言われたんだ」
伊織さんは目を少し見開いた。驚いているらしい。それはそうだろうと思った。
「……ええっ。おめでたって。妊娠してるって事か?」
「そうだよ。三ヶ月だって先生が言ってた」
そう告げると伊織さんは破顔する。今まで見た事がないくらいの笑顔だ。私にそっと近づくと優しく抱きしめる。
「そっか。じゃあ、余計に注意しないとな」
「……え。注意って」
「いや。乱暴にしないのも当然だけど。家事もなるべく手伝うよ」
照れながら伊織さんは言う。ちょっとこそばゆい気分だ。私は負けないくらいに笑いかける。
「……改めてよろしく。お父さん」
「……ああ。よろしく。お母さん」
そう言い合ってお腹を撫でた。伊織さんもそっと撫でてくれたのだった。