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運転手は聞き上手

 田神は、駅前の客待ちの列にタクシーを停める。客待ちを兼ねた休憩時間だ。お盆休みのこの時期はかきいれどきである。この仕事は彼の性分に合ってた。長く会社勤めをしていたが口下手だった。電話応対や得意先の応接など責任が伴う応接は苦痛でしかなかった。応接の不手際から大きな損失を出してしまったことを機に会社を辞め、タクシー運転手として働き始めた。この仕事ならその時その時の客の相手をするだけだし、同僚との付き合いなどの煩わしさもないと思ったからだ。彼は、今年で50歳になる。中肉中背。どこにでも居そうな男だ。しかし、彼にも特技があった。聞き上手なのだ。本人は望んでいないが、相手は彼に話をすることで非常な満足感を覚えるのだ。

 しばらくして田神の順番が来た。直ぐに1人の客が乗り込んできた。客は、黒のパンツスーツ姿の品のよい初老の女性である。少し線香の匂いが感じられた。不幸ごとか、と思いながら「どちらまで」と尋ね、タクシーを発車させた。「○○町まで」客が言った場所は、駅から30分ほどの高級住宅街である。ちょっとした金持ちかな、と思いながら彼はタクシーを走らせはじめた。

 田神は、客の様子をうかがいながらタクシーを走らせる。客の中には、話しかけてほしそうな客もいれば、ほっといてくれという客もいる。客の気持ちを察し、それに合わせるというのは安全運転に次ぐ、大切なサービスと考えている。責任のない世間話の話し相手になるということであれば、口下手な彼にも許容できた。今、乗せたばかりの客は、疲れたという雰囲気が少し感じられる。浮かない顔をしているが一人自分の世界に入って考え込みたい、という雰囲気でもない。彼は、話しかけてもいい客だと判断した。話しかけてみて話が弾まなければ、それはそれで良いのである。

 「暑いですね。」田神は、よくある気候の話題を振ってみた。客は「本当に」

と穏やかに答える。その声色、受け答えの雰囲気など育ちの良さは隠しきれない。「不幸ごとですか?」と客に最初にもったイメージを当ててみた。客は「まあ、そんなところです。」と答えながも田神の持つ、話しやすい雰囲気を感じてきたのか「実はね」‥‥と心のうちを語りはじめた。

 客は、「今日はね、実家の法事に出ていたのよ」と切り出した。田神は、早くでもなく、遅くでもなく、静かに「お盆ですしね」と返す。彼は、この辺りの間の取り方が上手で相手が話しやすい。意識したものではない。本人にも自覚のないものなのだ。客のほうも話しやすさを知らず知らずに感じ、話が自然とすすんでいく。

 この客が話した内容は、墓じまいに関するものだった。客の実家は、地方の長く続いている名家のようである。家は、客の長兄が継ぎ、存命であるが、その息子は、全員都会に出て地元に残っていない。娘は地元にいるが嫁いで家を出ているらしい。つまり、跡継ぎはいても、客の長兄が亡くなれば、家のことや親戚付き合い、墓守、法事ごとなどができなくなる、できたとしても今までのようにはいかないということなのだ。嫁いだ身としては、寂しいものだろう。嫁ぐと同時に自分が生まれ育った町、家、などと離ればなれになり、年に数回、或いは、何年に一度、盆正月、冠婚葬祭などで里帰りをして自分の出自を確認し、自分という存在を確認してきたのだろう。仕事があり、住みやすいところに住むというのは人間の本能かもしれないが、今まで連綿とつながってきたものが終わってしまうということでもあるのだ。

 田神は、都会生まれの都会育ちである。長く続いている家でもないし、父親も次男坊だし、自分も次男坊だから、こうした問題には関わってこなくてすんできた。しかし、客の話を聞いてると、自分の親の墓守は誰がするのか、全部兄任せにしてもいいのかとか、逆に変に関わると、遺産でも狙っているのかと思われたりしないだろうか等々色々な思いが浮かんできた。しかし、この手の問題は、一朝一夕に解決するものではない。色々な価値観があるだろうし、両親の考えや、跡継ぎ、そしてその子供の考えによって大きく左右される。それを話し合い、皆が納得できるものにしていくしかないだろう。そんなことを考えながら田神は、聞き役に撤した。ついつい自分のことや自分の考えや意見を伝えたくなるところだが、客は、運転手の自分に解決を求めているのではないということは分かっている。

 客の話は、佳境に入ってきた。「それでね、兄は、墓も自分が元気なうちに片付けるって言うの。自分も含めて永代供養してもらうようにして」「そうすれば、子供や孫に面倒をかけなくて済むってね」客の顔をチラッとみると、理解を示しつつも感情が追い付いていないという顔だ。「兄妹仲はいいけど、お互い、歳をとったし、両親も亡くなって久しいし‥」「私もその方がいいのは分かってる。でも‥」と言葉を切った。

 この間、田神は、ほとんど言葉を発していない、相づちを打った程度である。客がルームミラー越しに自分を見ていることも分かっていた。信号待ちで、ミラー越しに客と目を合わせた。そして目に微笑みをうかべながら、「兄妹仲はいいのでしよう」と確認した。そして「だったら、またご兄妹でお会いできますね」と言った。兄妹、家族仲が良ければ、今後のこともどうにかなるし、孤独は感じませんよ、という気持ちを込めて言った。

 客は、この日初めての笑顔を見せなから「そうですね」と答えた。満足感あふれる笑顔だった。タクシーは目的地に着いた。

 


 

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