過去が違っていれば
長きにわたる第三次世界大戦の終結を迎えて早10年。
破壊の限りが尽くされたあの大戦で多くのものを失った人々は、以後こんなことが起きないように改めて誓い合った。
わだかまりをすべて捨て、世界中の人間が共存していける未来を創る‐。
表向きはそうなっている。
いや、今後この平和を確固たるものにしようと考えている勢力が多くあるのは事実だ。
だが、今の状況を望ましく思っていない者が存在するのもまた事実だ。
戦争さえ起らなければ何も失わずに済んだのに、と過去を憎むもの。
もっと戦争が続けばもっと儲けることができたのに、と過去を惜しむもの。
もう少し戦争が長引けば世界の覇者になれたのに、と過去を恨むもの。
彼らはこぞって、とあるモノを開発し始めた。
過去が違っていれば、戦争は起きなかったはずだと。
過去が違っていれば、もっと儲けることができたはずだと。
過去が違っていれば、今頃自国が世界の覇権を握っていたとはずだと。
過去を変えれば、よりよい現在が、望む未来があったはずだと。
タイムマシン。
時空をさかのぼる技術は、最早フィクションではない。
そこまで話して圭一は口を閉じた。
桜の様子を伺うと、きょとんとした顔をしていた。
「いいじゃないですか」
「うん?」
圭一は思わず聞き返した。
桜は続ける。
「残り2つはともかく、過去に戻って戦争自体をなくそうって言うんならそれは良いことなんじゃないですか?」
「ああ…」
圭一は頭をかいた。
さてこの勘違いをどう正そうかと思案していると、今まで無言だった美園が口を開いた。
「タイムパラドックスって知ってるかしら? バタフライエフェクトは?」
「えっと…?」
桜は困惑の表情を見せた。知らないのか、唐突な質問に戸惑ったのか。
お構いなしに美園は続けた。
「例えば、私が30年前の過去に行って、本来は生きるはずの人を殺したらどうなるかしら? その人が今後出会うはずだった奥さんは? 生まれるはずの子どもはどうなるかしら」
「ち、違う人と結婚して、本来とは別の子どもが生まれる?」
「いい答えね。あるいは結婚しないかもしれないし、子どもも生まれないかもしれない。じゃあ本来のこの人たちの人生はどうなるのかしら」
「それは…」
「じゃあ、私が過去で本来は死ぬはずだった人を助けたら? その人が政治家になったら? テロリストになったら? ううん、そんな大きな話じゃなくてもいい。本来関わるはずのない人と関わりあいを持つことになったら、それが些細な出来事でも大きく未来を変えてしまいかねない」
「で、でもよくしようとしているなら別に‐」
「うーん」
食い下がる桜に、美園は閉口した。
「それが改善だなんてどうしてわかるの?」
「え?」
「歴史が変わったら、一般人の記憶は書き換えられるわ。過去の改変なんて気づかない。もしかしたら今の悲惨な現実が、誰かが過去で歴史を変えたからだなんてわからない。要はやりたい放題になっちゃいかねない」
「ああ!」
桜が何かに気付いたように声をあげた。
「それに過去でどう行動したら未来がどう変わるなんてわからない…? 今よりもっとひどい未来になっちゃう可能性だってある…てこと?」
「そういうことよ」
美園が大きく頷いた。
「桜くん」
再び圭一が話しかけた。
「世の中には多くの不満や不安を抱えている人もいる。でも彼らはそれでも今を必死に生きているんだ。それを、『私は現状が嫌いだから過去に戻ってやり直しまーす』なんて卑怯な話だとは思わないか? あまつさえ『みんなもこの方がイイよねー』なんて考えは利己的だ。嫌なことがあたらその都度なかったことにするなんて、許される話じゃない。要は過去改変そのものがしちゃいけないんだ」
「そしてそのために私たちの組織が設立されたのよ」
「過去改変を阻止するため…?」
「ああ」
圭一は頷いた。
「俺たちに課された使命は、他勢力による過去改変の阻止とその組織の解体。そしてあらゆるタイムマシンの破壊と製造方法の破棄だ」
「改めて、これからよろしく。秋倉桜捜査官」
圭一が差し出した右手を、桜は握り返した。
「よろしくお願いします」
「あの子のことどう思う?」
その日の夜、灯りの消えた会議室で圭一と美園が向かい合っていた。
「あの子…ああ桜のことね。いいんじゃない。ああいう青さ、嫌いじゃないわ」
「覚悟を持って戦えるだろうか」
「相変わらず気にしいね。まだ浦木田のことを引きずっているの? 私は大丈夫だと思うわよ」
「珍しく断言するんだな」
「まあね」
「なんでだよ?」
「瞳がね」
「瞳?」
美園は窓から見える月を眺めて言った。
「まっすぐな瞳をしていたのよ」