異動
「君の配属先を変更する」
本庁天良署の一室で、強行捜査部部長はそう切り出した。
「な、なぜですか?」
桜は直立したまま尋ねた。
あの後、駆け付けた応援部隊に保護された桜は、少女を病院まで送ると、自分は署へと帰還した。任務外での銃の使用や、八木・大川両名の巡査を結果的に死なせてしまったことの責任を取らされるかと思ったが、上司の菅原は「明日の13時に私の部屋に来い」と告げただけだった。
その後、桜は夜中まで事情聴取を受けた。
もちろん透明人間・高見のことも包み隠さず話したが、取り調べに当たった捜査官の反応は鈍かった。
桜ですら昨日見たことをあまり信じ切れてはいなかった。だが事実として、高見は目の前で消えてそして現れたのだ。
気がかりなのはもう一つ。
屋敷で保護した少女のことだ。
桜があの寝室で見た遺体の中に、おそらく少女の家族の遺体があったのだろうと思うと不憫でならなかった。
そのことばかりが頭に浮かび、この夜はほとんど眠れなかった。
翌日署へ出勤した桜は、昨日の事件の詳細を求めて捜査本部を訪れたが、不思議なことに捜査本部は解散していた。応援に駆けつけてくれた捜査官も、その後すぐに帰らされたため詳細は知らないと言う。
首を傾げていたらいつの間にか指定の時間が近づいていた。
急いで部屋に部長室へ行くと、いきなりそう切り出された。
わけがわからない。
「昨日の事件は特殊でな」
黙っていると、菅原は続けた。
「あの事件を引き継いだのは、とある部隊だ。昨日会っただろう。スーツの堅物と気だるげなシャツの二人に。あの二人はそこの隊員だ。君にはその部隊に異動してもらう」
「はあ」
「はあって…何だお前覇気がないな」
菅原はいつものような砕けた口調を取り戻した。ここえようやく桜も姿勢を崩した。
「なんでまた急に…ていうか部隊って何なんですか?」
桜が尋ねると、菅原は「あー」と言葉を濁した。
「詳しいことは俺も知らんのだ。ただお前を異動させるって話が下りてきただけでな」
「何ですか。菅原部長は私をそんな得体の知れないところに送りこもうって言うんですか」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。いいじゃないか、極秘の任務みたいでかっこいいだろ? 若い子はそういうのが好きなんだろ?」
な? な? と菅原はもみ手をしながら席を立った。
「そういうのは男の方が好きなんじゃないですかね」
「……楽しい職場だと思うぞ」
「私は今の職場で満足してますよ。部長もなんだかんだ優しいし、気遣ってくれるし…」
「秋倉…」
菅原は泣きそうな顔で桜を見つめた。
「部長…」
その姿に、桜も思わず声を漏らした。
「いやマジで素直に異動してくれないか」
菅原は床に這いつくばるかのような勢いで頭を下げた。
「ちょ、え? ちょっとやめてくださいよ! 今そういうのじゃないでしょ?!」
「頼む! この通りだ!」
驚く桜に、菅原は重ねて頭を下げた。
「そ、そっか…。部長は私に出ていってほしかったんですね…。私なんて邪魔だって」
「待て違うそうじゃない」
桜が顔を伏せ泣くふりをすると、菅原は慌てて頭を上げた。
「本当に詳しい話は聞かされていないんだ」
ふーっと深く息を吐いた菅原は、再び椅子に腰かけた。
「だが君の異動にはかなりの上層部が関わっていることは間違いないだろうな」
「上層部ですか」
「うん」
菅原は頷いた。
「ぶっちゃけ君が異動を受諾しないと、俺の生活がどうなるかはわからん」
「そんな脅しあります?」
「俺もびっくりした」
菅原は眼鏡をはずし、目元を指で押さえた後、再び眼鏡をかけなおした。
「なんでそんなに私を異動させたがるんですかね?」
「だから知らないと俺は何度も‐。あ」
途中で何かに気付いたように、菅原は半端に言葉を切った。
「どうしました?」
「いやな、昨日お前事情聴取されたろう? あれの報告を本庁に送ったらやたら食いつかれたな。それに関係してるのかもしれないな」
「ここかな…?」
一時間後、桜は天良署から500メートルほど離れた場所にいた。
目の前には真新しい五階建てほどのビルがある。桜はエントランスの柱に刻まれている番地を確認した。
その文字列は、菅原から渡されたメモと完全に一致していた。
「よし」
頷くと桜は、エントランスの自動扉の向こうへと足を踏み入れた。