始まりの日
銃声が二回鳴った。。
パンッという乾いた音は、静かな夕暮れの市街地によく響いた。
桜は胸に手を当てた。手のひらに硬い感触が伝わる。
「まさか任務帰りに別の事件に遭遇するなんてね…」
与えられた仕事を終え警察署へ戻ろうとしていたら、通りがかった住宅街の一角から壮絶な悲鳴が聞こえたのだ。
何事かと声が聞こえたあたりに走り寄ると、今度は銃声が聞こえた。
右手側に見える大きな洋館。
悲鳴も銃声も、どうやらその洋館から聞こえてくるようだった。
鉄柵で囲まれた敷地内に、一体何人で住んでいるんだと聞きたくなるほどの洋館が建っていた。桜はつばを飲み込み、わずかに開いている門扉に手をかけた。
「ちょっと! 何してるんですか!」
「ひっ」
不意に後ろから声をかけられて、桜は思わず跳びあがった。
振り返ると、そこには二人の巡査が立っていた。一人は丸々と肥えた巨漢、もう一人は対照的にがりがりとやせ細っていた。
だが、不安げな面持ちは、二人とも共通していた。
「ここで悲鳴や銃声が聞こえたということで、通報を受けました。危ないので、近づかないでください」
太った方が、額の汗をぬぐいながら言った。
「この家の方ですか?」
続けてやせた方が尋ねてくる。
桜は首を横に振った。
「ただの通りすがりです」
「じゃあ‐」
「ただしご同業の、ね」
桜は胸ポケットから手帳を取り出して、二人の巡査にかざして見せた。
桜田門の刻印された手帳を見た途端、巡査たちは慌てたように姿勢を正した。
「ほ、本庁の方でしたか」
太った方が驚いたように言った。
「本庁の方がどうしてこんなところに…?」
首を傾げる二人に、桜は再び首を振った。
「だから、ただの通りすがりです。ですが‐」
桜の発言を遮るように、再び銃声が鳴り響いた。続いて甲高い悲鳴が邸内から聞こえてきた。
「…あまり悠長にはしていられないようですね」
桜はジャケットの内側に隠していた拳銃を取り出した。
これを使うことはあまりしたくはない。だが、見て見ぬふりもしていられない。とりあえずは邸内の状況を把握することが先決だ。
桜が深呼吸をしていると、太った方の巡査が敬礼して言った。
「秋倉特務課長。我々は貴女の指示の下動きます! ご命令を!」
やせた方もそれに倣い敬礼をした。
「人に指示を出すのは苦手なんだけどなあ」
困ったことになったと桜は思った。
やせた方は八木、太った方は大川と名乗った。
「とりあえず貴方は応援を呼んで。本庁に連絡とって」
八木が「はいっ」と元気良く返事して、腰の無線を取り出した。
「我々はどうしましょう」
「踏み込みます」
意を決して、桜は拳銃の安全装置を解除した。
「貴方たちにも拳銃の使用を許可します。もし誰かに命にかかわるような危害が加えられそうになったら、発砲をためらわないで」
「は、はい」
「門扉をくぐったら、急いで玄関まで走り抜けます。そのあと、玄関が開いていたらそこから突入、開いていなければ近くの窓から侵入」
「了解です!」
桜の指示に、大川は力強く頷いた。
「応援要請終わりました」
八木の報告を受けて、桜は口を開いた。
「行動開始っ」
三人は一斉に駆けだした。あっという間にアーチ状の門扉を抜け、玄関扉の前までたどり着いた。
「施錠、確認します」
大川が声を絞って、扉の取っ手に手をかけた。
取っ手はわずかに動いたが、扉はびくともしなかった。
「施錠されています」
その言葉と同時に、三人は背を屈め、壁伝いに走り出した。人一人が通れるほどの小窓の下で、三人は足を止めた。
「ここから侵入します」
桜が言うと、大川は歯を食いしばって答えた。
「秋倉課長。私はこの窓を通れません…」
桜は、八木巡査と共に小窓から邸内に侵入した。小窓の鍵は閉まっていなかった。
まずは大川巡査のために、玄関を開放しに行くことになった。
鍵を開けると、大川は素早く邸内へと足を踏み入れた。少し悲しげな顔で桜と八木の腹を見た気がした。
三人はすぐに互いに背中合わせになり、死角をカバーしあう形で拳銃を構えた。
玄関横の廊下、奥に並んだ扉、吹き抜けから見える上階‐。
順に視線を送り、周囲に誰もいないことを確認して、桜はふうっと息を吐いた。
「誰もいない…?」
八木が不思議そうに首を傾げた。
「…とりあえず邸内を見て回りましょう」
桜が言うと、二人は静かに頷いた。