崩壊する戦線
青木ヶ原珠海……そこは鬱蒼と樹木が立ち込め視界を遮り、すぐ近くにある筈の富士の頂を見る事すら出来ない。
寒々とした冷気と得も言われぬ怪しげな地場が、人の魂を彷徨わせるかのようだった。
初冬を迎えた富士の裾野にある樹海には、静かに雪が舞っている。
倒木や岩石などで凹凸の激しい樹海の台地には、枝葉の隙間からすり抜け落ちてきた雪が僅かに積もり、薄い雪化粧をほどこしていた。
その雪の上に大きな足がおろされると、ずる剥けるようにその下の苔や落葉が現れた。
5~6mほどの体高のBR3機が枝葉をかきわけ、青木ヶ原樹海を歩いている。
その様子は道に迷い疲れ果て、足をひきずり逃れていく落ち武者のようだった。
ナビを使用できない今の状況では、今自分がどの方角を向いているのかさえ分からなくさせる……。
撤退を続ける本隊とはぐれてしまった坂崎三尉他、2機のライジンは、弾数とエネルギー残量を気にかけながら、必死に本軍を探していた。
損傷の激しいライジンに坂崎が
「まだ動けるか? 榎本」
「はい、まだ大丈夫です」
「田川は?」
「まだいけます」
その言葉とは裏腹に2機のライジンは被弾した個所の装甲が吹き飛び駆動部がむき出しになり、シャフトが変形し満足に曲がらなくなった足で引きずるように歩を進めていた。
そんな2機のライジンを見ながら、東京で孤立した時に救えなかった、近藤、本間、宮本を思い出し、
こいつらだけは俺の命にかえても部隊に帰還させる……と絶望的な状況下にありながらも坂崎は決意していた。
あの凄腕の奴を振り切ってから、八王子まで戦線を引いた本隊になんとか合流できた坂崎は、古谷臨時司令のもと再編成された残存自衛隊戦力をまとめあげた。
しかし、制空権を奪われ相手の軍事行動の目的すらわからぬ状況に、圧倒的物量で攻め寄せるAARF軍に対し自衛隊の軍事作戦は全て後手後手にまわり、臨時拠点を失い後退を余儀なくされ続けていた。
それでも当初は明確な退却ポイントを指示されたが、今はそれすらなく生き残った者達があてどない撤退を繰り返すのみだった。
今、自衛隊戦力は分断され、それぞれの部隊が山間部の難所に潜みながら反抗の機会をうかがっている……というのは名目上の事で、戦力も人員も補給も不足し再び侵攻されるのを指をくわえて待っている状態だったのだ。
補給も受けられず、日本各地に散らばった自衛隊部隊はECMにより連絡の取れない状態で確固撃破されていった。
そして再び侵攻を開始したAARF軍に、丹沢山に潜んでいた坂崎達BR部隊は襲撃を受け分断さればらばらに落ち延びようとする苦難の中にあった。
「坂崎さん……日本はどうなってしまうんでしょうね?……」と榎本が聞いてきた。
「今やれることだけ考えるんだ、やれる事がないなら生き延びる事だけ考えろ」という坂崎本人も絶望の淵にある。
「日本はあまりにもアメリカの軍事力に頼りすぎていた事を国民が理解していなかったんでしょうね……」
「案の定、このような日本の状況にもかかわらず、世界の国々は援軍に来てくれやしない……」
「自国第一主義が蔓延した世界は、口では力による一方的な現状変更を認めないだの、人道や国際法の大切さをうたってはいるが、実際に戦争が起きると、自国の不利益を最小限に抑えるために秩序も国際法も二の次にされる……自国を守るので精一杯といったところなのさ」
「国連や国際社会の道義をあてにしすぎていたのでは……」
「核と資源を持つ国が、なし崩し的に領土拡大をはかった時も、国連は何も出来なかった。ポピュリズムで選ばれた指導者が捏造する情報に踊らされ、国連の謳う自由も平等も人権の保障も、核戦争を阻止するという目的のためには、目をつぶらざるを得ないんだ」
「経済封鎖や銀行システムの凍結、そんな効果がでるまで時間がかかるような手ぬるい策しかうてなかったわけですからね……」
「アメリカに頼りすぎた日本の安全保障はあまりにも脆弱だったという事だな……」
「軍拡へ強い拒否反応を示す国民感情が、国防をおろそかにしたんだ……」
「軍拡と国防を一緒くたにさせてしまったんだ。相手国に戦争を引き起こす気にさせない戦力の充実……とどのつまりが、国際社会における人道や道義、国際法をあてにしすぎたんだ」
「悲しいかな人類は……戦争を止める手段は当事国にその不利益さを知らしめる以外ないと言う事だ」
BR同士の相手に向かっての指向性通信で話している彼らの機体の外は雪が深々と降り始めている。
その雪が舞う空を見上げた坂崎機の、メインカメラカバーに雪が積もっていき視界を遮っていく。
足を止め雪が積もっていくライジンのカメラカバーをワイパーで拭くことなくたたずむ坂崎を、2機のライジンが途方に暮れたように見ていた。
静岡県富士宮市、夜の富士川海岸には十一月の空に重たい雪が舞っていた。
何処から流れついた物か、多くの白化し砕かれた木々が砂浜に散乱している。
それら木々や砂浜には薄く雪が積もり、渚は雪をさらう波と降り続ける雪が静かな攻防を繰り広げていた。
その沖に何かが浮び上がり静かに岸へと向かって行く。
それはメインカメラのバイザーにつばがせり出したライジンの頭部であった。
続けざまその周囲に二機、頭を浮き上がらせ、最後にパニッシャーの頭部が浮び上がった。
「富士川はどこだ?」と問うブロディに、
「もう少し西寄りだ」とパックパック内にいる黒崎がスクリーンの左側を指差した。
ブロディ達は頭部を海面から出したままま、BRの両手で持ったBRUS(BR用の水中スクーター)を操作し、富士川へ進路を取る。
「静かね……」とソフィア。
「まるでゴーストタウンですね……」とドメニコ。
今回は黒崎と中山を乗せたパックパックを背負うブロディのライジンが先頭に立ち、水先案内人を務めていた。
砂洲が伸びた河口は浅瀬が広がりBRUSを使用できなくなり、ブロディ達のBRは川の中で立ち上がる。
テトラポットの横の砂利の岸から上陸した四機のBRはすぐに滑走路に出た。
「これが富士川飛行場か……」
と周囲を警戒しながら高架橋の向こうの闇に沈む街並みを見て、カメラを左へとパンしていく。
そこには広い平地があり、疑問を持ったブロディが、
「ここは?」と後ろに聞いた。
「桜エビの干場だという事だ……」
急場のこしらえで配線がむき出しのコクピット内で、
「進路を北へ」と地図を確認しながら中山がブロディに言う。
滑走路の中ほどまでBSBで滑走し、一般道に繋がる細い道を直角に曲がる。
人気の無い夜の野球場が右手に見えて来た。
それはまるでゴーストタウンと化した街中よりも更に、人々が失せた文明の残骸を連想させる。
枯れ果てた背の高い雑草と、それに深々と降り積もる雪が背筋を寒々とさせ何とも言えない感慨に襲われる。
高いコンクリートの堤防の前に流れる小池川に突き当たり道なりに右へと曲がる。
そのまま堤防脇をBSBで滑走させ高架橋の下まで来た。
左手を高い土手が伸び、頭の上を道路が走るこの場所はちょうど良く大きなBR達の身を隠せる。
黒崎、中山はハッチから外に出て、久しぶりの日本の空気を吸った。
同じようにソフィア、ドメニコ、ウェイドがBRから降りて来て、
「まだ潮の匂いがするわね……」
「長年日本に来てみたいと思ってたんですが……このような形で来る事になるとは……」と感慨深げにドメニコが言う。
黒崎と中山、ブロディとウェイドが地図を覗き込みながら、
「おおむね地図と同じだ。ここら辺は被害が少ないように見える」
「作戦通りこのまま富士川を北上します。幹線道路は避け、視界が通る道路も避ける。いいですか?」黒崎の言葉に皆が頷き、彼等は再びBRに乗り込むと、富士川沿いの道で川を上り、光栄寺越の岩淵を見ながら街中の道路に入った。
東名高速道路を車両が走っているが、恐らくAARF軍の車両である可能性が高い。
木々や家屋に隠れながら高架橋の下に駆け込み、後続車が来ない事を確認し再び走り始める。
すると観覧車が見えて来た……。