地球へ
重巡洋艦モンタナに戻りブリッジから見る地球には、カリフォルニア湾上空に大きなハリケーンが見て取れた。
地表では激しい風雨にさらされている筈だが、衛星軌道にいる彼らの艦は静穏そのもので、季節外れの異常気象も今では普通な事として客観的な目で受け止められていた。
そのモンタナの少し先に、軌道修正し徐々に国連宇宙艦隊から離れていく武蔵の姿が見える。
少しづつ小さくなっていく武蔵を見ながら、レントン提督は立花一佐の言っていた事を思い出していた。
日本に展開したAARF軍は、電波を阻害する何らかのECMを日本各地に設置した様です。
そのため日本と連絡がつかず、どの様な状況下にあるのか分かりません。
衛星軌道から確認しただけですが、日本の深部までAARFの侵略が進んでいる様です。
そこで日本近海に潜伏し、BR隊による調査隊を編成し内偵を行います。
強制収容所らしき建造物が衛星軌道上から見て取れます。
日本人は一か所に集められ、強制労働を強いられているかもしれません。
最悪の場合、ホロコースト(大量虐殺)が行われているかもしれません・・・
急がなければ・・・
その言葉通り、試験運用もせず簡単なシュミレーションを行っただけで、大気圏突入をしようとしている武蔵を見ながらレントンは
信じられん・・・大気圏内航行が出来る宇宙戦艦があるとは・・・
武蔵のテクノロジーは世代を超えている・・・
などと思っていた。
その武蔵のブリッジでは・・・
「これより本艦は地球への降下の為、大気圏突入シークエンスに入る。全艦第一種警戒態勢」と言う立花の言葉に、すべからく皆が緊張した。
宇宙船が大気圏突入するという前代未聞の出来事に、操舵席に座る経験豊富なアルフレッドですら緊張し、マニュアルに対し粗漏はないか?タイミングを失する事無くミッションをクリアできるか?など何度も手順を確認していた。
それでも他の者たちは”あのアルフレッド・ビーンが舵を握っているのだから大丈夫だ・・”と己に言い聞かせる事ができた。
「現在速度763.7m/s、軌道修正開始」
「減速度は37.3m/s、防スピンアップ」
「姿勢制御及び減速量微調整」
青く美しい地球が、恐ろしい落とし穴の様な錯覚に陥る。
全員がハーネスをつけ、体を締め付けているシートにしがみつく様に座っていた。
「大気圏突入します」と林田。
ブリッジの窓から見える艦首は、断熱膨張により赤く燃え上がり、艦全体が振動し始めた。
「艦外温度上昇中」
マリアは艦長席から、久しぶりに帰って来た地球を、なぜか不思議と穏やかな気持ちで見ていた。
「艦外温度3000度を超えます」
「亜音速まで減速される高度20kmで大気圏内航行翼を展開する」
激しい減速加速度によるGと振動が乗組員達を襲う。
「速度2万km/h、艦2.5度傾斜発生!」
管制官の林田がチェックし報告する。
「予定軌道外れます!」
「降下角度確認!」
「傾斜復元、軌道修正」アルフレッドがスタビライザーを調整し、傾斜角と降下角度を調整するが
「傾斜拡大!予定軌道外れます!!」
アルフレッドは必死にスタビライザーとスラスターを調整し、傾斜とコースを戻そうとするが武蔵はどんどん予定軌道を外れていってしまう。
「駄目だ、傾斜を戻せない・・・」うなるようにアルフレッドが言う。
必死に操作を続け、それでも何とか傾斜角をもとに戻し、態勢を直す事は出来た。
「速度1万km/h、減速順調、コースからは外れましたが艦に異常なし」
「速度9千km/h」
「速度8千km/h」
林田が読み上げる速度がどんどん小さくなっていくと同時に振動も収まっていく・・・そして
「速度1,200km/h、亜音速です」
「大気圏内航行翼展開、重力バラスト準備」
「了解、全ベントチェック、問題ありません」
「AGG(anti gravity generator :反重力ジェネレーター)作動開始!総員留意せよ!」
アルフレッドが大気圏内航行翼を広げるレバーを引くと、武蔵の艦首と艦尾に大気圏内航行翼が展開されていく。
「艦、安定しました」
武蔵は水平飛行に入りながら、さらに速度を落としていった。
「ここはどこだ?」と立花
「フランス領ポリネシア上空です」
「随分とソレたな、艦の傾斜原因を調べろ。小笠原沖南西100kmまでこのまま進む、対空警戒を厳とせよ」
武蔵の下には、月明りに地表が見えないほどの雲海が待ち受けていた。
安定飛行に入った夜の太平洋上空で、雲海の上を武蔵が静かに航行している。
アルフレッドは額の汗をぬぐった。
「信じられん、これほど巨大な艦が空を飛んでいる・・・」
武蔵は暫くの間、雲海の上の飛行を続けた後、大気圏内航行に問題無い事を確認した立花が
「第二種警戒態勢に移行する。手の空いてるものは外を見ろ。久しぶりの地球だ」と言った。
シートに体を固定されていた者たちが一斉に立ち上がり、嬉しそうに歩き回る。
ブリッジへアリソンに連れられたペグとベティがケイティを抱きかかえ入ってきた。
火器管制席に座っていたオーソンが
「お~来たな~」と笑顔で迎える。
ペグとベティは正面の窓まで駆け寄ると、興味津々と外を眺めた。
それを横で見たアルフレッドが
「すごいだろう、これほどの雲海は火星ではなかなか見られないよ」と言った。
「おいしそう~」とベティ
「美味しそう?」と聞き返したアルフレッドは
子供の発想力はすごいな・・・などと思っているとケイティがアルフレッドの肩に前足をのせ、首をぺろぺろとなめだした。
「はっはっは、こら、やめろケイティ!」
アリソンがすぐにケイティを抱きかかえ
「駄目よ、今大切なお仕事中なの」と笑顔で叱った。
笑顔でそんな様子を見ていたマリアは雲海に目を移すと、ふとデモインを思い出した。
ニールソンさんは無事火星を脱出できたのかな?・・・
と思っているところにちょうどブロディが顔を出した。
月明りに照らし出されている雲海を見て
「すごいな、デモインを思い出す」とボソッと言った。
笑顔でマリアが
「わたしもそう思ってた・・・ニールソンさんはどうしたかな?」
「あの写真屋だろ。くたばったんじゃないか?」と悪態をついた。
「縁起でもない事言わないで!」
「はっはっは、大丈夫だよ、あの手の手合いはしぶてぇから殺してもしなねぇよ」
「だといいんだけど・・・」とマリアは雲海に目をやった。
えぇい!やむを得ん、いいよ出すよ。早速だ。その突き出た配管の先まで行ってくれ・・・・と言ったトムの言葉が昨日の事の様に思いだされる。
「久しぶりの地球はどう?」と笑顔でマリアは聞いた。
「どうもこうもねぇよ。火星に行ったのは幼かった頃だ。大した記憶もない。そう言うマリアはどうなんだ?」
「うん・・なんか不思議・・・地球を旅立った時とはまるで違って見える・・・」
「デモインに入る前にもそんなこと言ってたな。情緒不安定なんじゃねぇか?」
ふくれたマリアが
「ブロディは心の機微がわからないの!」と怒った。
「へ~へ~心の機微ね、腹の足しにもなんねぇな」
「もう!」と、ブロディの前では表情がころころ変わるマリアを、オーソンが優しい目で見ていた。
そして
「ブロディ、お前さんも少しは侘び、寂びを学んだ方がいいんじゃないか?」とオーソンは言った。
ブロディは腕を組みながら
「わび、さびねぇ・・・」
「そういう日本的な事は日本人に聞くのが一番だ」
立花の顔を見たブロディが、
「わび、さびってなんだ?」と聞いた。
オーソンが横で笑い
「はっはっはっはっは、なんだ?知ってて言ってるんじゃなかったのか?はっはっはっはっは」とからかった。
「あいにく、俺の住んでた街にはなかったんだよ!そんなもんは」
笑いながら立花が
「そうだな・・・人の世の儚さや無常・・そんなものを美しいと感じる悟りみたいなもんだな」
「人の世の儚さね・・・俺には縁が無さそうだ」
アルフレッドが操舵席から振り向き口をはさんだ。
「いやいやどうして、ブロディはなかなか才能がありそうだ。俳句でもやってみたらどうだ?」
「からかってんだろ」
「それだけじゃないけどな」と笑いながらアルフレッド。
「からかってんのに違いねぇじゃねぇか」ムスっとしてブロディが言った。
「はっはっはっはははは怒るな、半分は本気だ」
「ちっ、半分かよ」
月明りに照らし出された雲海の上を航行する武蔵のブリッジはしばらくの間、和気藹々とした雰囲気で満たされていた。
数時間後・・
「奴らに気付かれる前に潜航する。雲の下に降りるぞ」と立花が言った。
武蔵はさらに速度を落とし雲海の中に入る。
凄まじい雷の光と雷鳴が武蔵を襲い、ブリッジの前で稲光が走る。
艦長席に座るマリアは雷に驚きながらも、今では家族の様に感じている人々の中にいる安心感を感じていた。
激しい風雨にみまわれながら雲を抜ける。
ブリッジの窓には滝の様に雨水が流れていた。
「現在速度200km/h、高度2,500m」
「大気圏内航行翼収納、着水用意、全艦衝撃に備えよ」
武蔵はさらに速度を落とし嵐の中を降下していく・・
そして激しい水しぶきを上げながら、海面を滑るように着水し停止した。
武蔵に対しては小さく見えてしまう大きな波が舷側に打ち付け、激しい横殴りの風雨がブリッジの窓に吹き付ける。
しかしその姿は嵐にもびくともせず、艦内は嵐に荒れ狂う外とは反対に静かだった。
「地球に帰ってこれる日が来るとは・・・」粟野がボソッと言った。
「このまま潜航し駿河湾まで進行する」と立花。
「重力バラストプレッシャーインジェクション、潜航開始せよ」
武蔵は荒れる海面から穏やかな海中へと少しづつ潜航していった。