絶対制宙権
明るい艦内通路は、乾燥した空気にどこかライムの匂いが感じられた。
それは宇宙に出た殆どの人が感じる”宇宙の匂い”らしい。
その乾燥した雑多な匂いがこもる艦内通路に、”カンッカンッカンッ”とどこか金属の鐘を鳴らしている様なサイレンが鳴り響いている。
多くの軍人達がサイレンに急き立てられる様に、無重力空間をMHに掴まり移動していた。
そんな中、50代後半の一見して背が高いと分る一人の男がMHに掴まり持ち場に着こうとしている。
すれ違う多くの軍人が非常時の略式礼をしていく。
それは緊張の中にもどこか親しみが込もったもので、男は一人ひとりに略式礼を返して行く。
そして第一艦橋に入った。
第一艦橋は情報伝達阻害防止のため通路より小さくサイレンが鳴っている。
正面の、横に長い窓には青く美しく荘厳にさえ思える地球が見えていた。
その荘厳な美しさとはかけ離れた騒々しさがブリッジを包んでいる。
「敵艦隊、渚稜線より浮上してきます!その数多数!次々と現れてきます!」
”渚稜線”それは地球の大気と宇宙が交わる境目、宇宙から降り注ぐ太陽風や、宇宙放射線が地球とのせめぎ合いをしている青白く美しい稜線・・・その霞む大気の渚からAARFの艦艇が次々と浮かび上がってくる様に見える。
「どこに隠れていた?!どこにこれだけの数を潜ませていた!?」
と艦長席に座る筋骨たくましい軍人が言った横に、その男は立った。
気が付いた艦長が
「提督!AARF艦隊が現れました!その数多数、掌握しきれません」
「見れば解る・・」提督と呼ばれた男は応えた。
彼は地球防衛国連艦隊提督でショーン・レントンと言った。
小惑星帯の艦隊決戦時に戦死したジョン・アンダーソンとは同じころ提督に着いた人物だ。
そのショーン・レントンがこの国連艦隊旗艦ワシントン艦長デイビット・オースチンに言った。
「ここで奴らに好き勝手やらす訳にはいかない。選択肢はない・・」
無数のAARF艦艇が地球の渚稜線から次々と浮かび上がってくるのが、モニターに映し出されている。
世界は奴らに蹂躙されてしまうのか・・・レントンはそのあまりの数からそう思わざるを得なかった。
制宙権を奪われるという事は、いいように民主国家本土に攻撃が加えられるという事を意味する。
地上からこれら制宙権を取った艦隊に攻撃する術が無い訳ではないが、その迎撃は宇宙からは容易いのだ。
その一方、宇宙から質量の大きい物体を落下させるだけで、コストもかからず莫大な被害を生みだす事が出来る。
太古の昔から”高みを取る”と言う事が戦略上、重大な意味を持つ事に変わりはなかった。
小惑星帯での艦隊決戦の生き残り艦が地球防衛に駆け付けて来たものの、その数はわずかで満身創痍の状態だった。
対してAARF艦隊は、そのほとんどが被害の無い事が分る。
奴らの神を我らも拝まなくてはならなくなるのか・・・ブリッジにいた多くの者達はそう感じていた。
相対速度を大きくし艦隊決戦を避ける事はできる。
しかしそれでは戦わずして地球を明け渡す事と同義である。
そして小惑星帯での艦隊決戦を戦った者から、デフレクターシールドらしきものがAARF艦隊で確認されたという報告があがっているが、それに対抗できるテクノロジーは今のところ存在しない。
しかし希望もある。
そのデフレクターシールドは全艦がもち合わせている物ではないらしい。
それされ解っていれば手の打ちようもあるというものである・・が・・
目の前に現れつつある大艦隊は国連艦隊の倍近い数がある。
万事休す・・・か・・しかしあの貧乏国の寄せ集めが、どうしてこれほどまでの数と、こちらに勝るとも劣らない技術力を持つ事が出来たのか?
解らない事ばかりである。
「総司令本部との回線を開け」とレントン提督は命じた。
すぐに一人の人物が現れた。
ビル・ウィンストン事務総長である。
「現状はこちらでも把握している・・」ウィンストンは言った。
「はい・・AARFはどこからこの大艦隊をつれてきたものか・・・」
「おそらく小惑星帯のどこかに奴らの軍事生産拠点があるのだろう・・」
二人はこれから起きるであろう事柄に、絶望を感じ声の調子は暗かった。
「我々は一艦でも多くの敵艦を沈めます。撃ち漏らした艦はどうか宜しくお願いいたします」
それは全滅してでも、出来るだけ多くの艦艇を沈めるので、それ以上は地上からの迎撃で対処して欲しい。と言っている様なものだった。
「頼む・・」ウィンストンはそれしか言葉が出てこなかった。
「全人類に神の御加護が有らん事を・・・」レントン提督はそう言って回線を切った。
そして上目で前方を睨みつけると
「全艦艇の乗組員達に話がしたい・・・」と静かに言った。
通信士が一斉に全艦へその旨を伝える準備を進める。
「全艦準備できました」とレントン提督に報告する。
青く美しい荘厳な地球を見ながら、レントンはおもむろに話し出した。
「提督のレントンだ・・・」
全ての艦の全ての乗組員達が作業していた手を止め、その言葉に注目する。
「我々のこれからの戦いは、激しく・・苛烈で・・そして厳しい戦いとなるだろう。
しかし後世の人々はこう言うだろう。
その時の人々は、自由を、未来を戦わず投げ出す事はしなかったと!
戦わずして暗黒時代を迎えたりはしなかったと!
ファシズムや独裁、専制主義との戦いを、最後まで戦いぬいたと言うだろう!それは今の諸君らの事である!
敵が求めるのは搾取と弾圧、民族の浄化である。
我々、国連加盟国の中にも些細な違いがある・・人種、国籍、宗教、イデオロギー・・・
しかしそれは小さな違いでしかない!
我々は異なる価値観を持つ敵に屈したりしない!
我々は戦いをやめたりしない!
我々は未来に絶望したりしない!
生ある限り戦い続けるのだ!
我々の聖なる戦いの始まりを祝おう!」そう締めくくるとマイクを置いた。
国連宇宙艦隊の全ての人達は血が熱くなるのを感じた。
艦橋にいた者達も、これからの絶望的な戦いは解っている。
それは死にゆく者達への手向けの言葉でもあった事を・・
しかし聞いた者は一様に高揚していた。
我々は戦い死んでいく・・それは未来の為なのだと!
「前衛艦隊、速度そのまま敵艦隊をすり抜けざまミサイルを叩きこめ!
後続艦隊は捕捉単縦陣を引き射線を取れ!ギリギリまで発砲を抑えよ!
包囲しつつ全火力の集中砲火で一気にかたをつける!!」
その同じブリッジにいた管制官のクリス・ミラーが妻と子の写真が入ったロケットを握りしめた。
息子は今、小児病棟に入院している。
それを妻がつきっきりで看病しているはずだ。
軍の遺族年金でやっていける・・・
それも勝利あってこその話だ。
妻と子をAARFが支配する暗黒の時代に住まわせる訳にはいかない!
皆が皆、目を合わせ頷きあった。
全人類の未来は、我々のこれからの戦いにかかっている。
国連側の人々はすべからく、死への恐怖を自らの強い使命感で塗り固めた。
相対速度を落とし双方の艦隊が接近していく。
旗艦ワシントンのブリッジは、ひりつく様な恐ろしい程の緊張感に包まれている。
国連宇宙艦隊を覆いつくすほどのAARF艦隊から、直線的なミサイルの波状攻撃が放たれたのを視認した!
国連側の先頭艦が電磁パルス”ピン”を放ち、双方の艦艇がオーロラの輝きに包まれ、開戦の狼煙が上げられた。
地球を足元に据えた、戦いの火蓋が切って落とされたのである。
国連艦隊側から迎撃ミサイルが発射される。
「BR隊、発艦せよ!」レントン提督が指示を出す。
北アメリカのM1カニングハム、イギリスのチャーチル、イタリアのエスポジート、ドイツのヴォルフガング、日本のライジン、そして各国のBRが対艦ミサイルを背に、AARF艦隊に突っ込んで行く。
遠くAARFのBR群が迎撃行動に入るのを確認する。
艦隊と艦隊の間でミサイル同士の爆発が起こり、その爆炎を縫う様に国連宇宙艦隊のBRが飛びぬける。
M1カニングハムに乗り込むパイロットには、スクリーンに巨大な爆炎が映し出された直後に衝撃が襲う。
パイロットは必死に爆炎を躱しながら敵BRの姿を探す。
いた!圧倒的物量で上方と左右から国連側BRを挟み込む陣形だ。
凄まじい数のBRの光跡が押し包んでくる!
敵艦までたどり着ける味方機はいるのか?・・・爆装した重武装の重い機体では、身軽に動き回る敵機のいい的になってしまう・・・
[ブラボーワンフォーワン、迎撃行動に移る。ぶちかましてこい!]そう爆撃チームに声を掛けた爆撃を担当しない戦闘に特化した部隊が、AARFBRに突っ込んで行く!
BR同士の戦いが始まった。
動きのにぶい爆装した機体を狙うAARFBRの射線を外す為、VT弾が連続で放たれる。
VT弾とは、反射する電波により敵目標に命中せずとも近くで爆発し散弾を撒き散らす近接信管を持つ弾だ。
電磁パルス攻撃で誤爆しない様に近接信管には切り替えが付いていて、ピンが打たれる状況下では発射寸前でスイッチを入れる必要が生じる。
入れた瞬間ピンを打たれて、爆発する可能性も否ない弾倉だ。
威力の小さなVT弾を打ち尽くし、回避運動をしながらGの襲う状態でマガジンを通常弾の物と交換する。
イギリスのチャーチルが盾を構えた状態で敵機と激突する。チャーチルの持つ盾の中央のハーケンスピアが火花を散らし敵機に打ち込まれる!
それが敵BRの胴を撃ち抜いた!
敵機が爆発しその衝撃を盾で受ける。
攻防一体、チャーチル必殺の戦術だ。
ドイツのヴォルフガングがロール機動中に敵BRに組み付かれた。
もがくヴォルフガングの腰から火花が飛び散り両断される。
入り乱れる戦闘宙域では双方のBRが次々と撃墜され虚空へと消えていく。
敵艦へとたどり着けた国連BRはわずかで、AARF艦艇の数隻が火炎に包まれた。
敵艦隊がミサイルの波状攻撃を繰り出し双方の艦艇がどんどん近づいて行く。
が提督からの攻撃命令はまだ出ない。
業を煮やした艦長のオースチンが
「攻撃命令を!」
「まだだ!まだ早い!」
敵ミサイルを迎撃する破片や爆炎の中を国連艦隊が突っ込んで行く。
「今だ!攻撃開始!!」
「ハープーン1番から6番まで発射!」艦長から具体的な指示が出される。
国連艦隊から一斉に発射された対艦ミサイルが敵艦隊に向かっていく!
なんと!それが敵艦隊の前面で全弾爆破迎撃されてしまった。
「空間の歪みを検知、敵艦隊の前面に重力壁がある模様です!」
「そんな技術まで持っているのか?!」
「かまわん!全艦突入!!」
「重力壁があります!」
「信管を作動させる程度のものだ!奴らのミサイルは通ってきている!」
体の中を何かが通り過ぎていく不思議な感覚を味わいながら、国連艦艇達が敵艦隊に突っ込んで行く。
「今だ!撃っえ!」
敵艦と国連艦隊との間でミサイルの応酬が始まる。
独特の形状の艦橋を持つ、フランスの戦艦ジャン・バールがAARF戦艦とすれ違いざま対艦ミサイルを叩きこみ、撃ち返されたミサイルを見事な操艦で躱した。
そこにBRの大部隊が雲霞のごとく襲い掛かる。
四方八方からの雷撃を受け、ジャン・バールは轟沈する!
スペインの重巡フェニックスが、敵艦の間をすり抜けながらミサイルを叩きこんだ。
双方の艦艇が火炎に包まれ、舵を失い戦線を離れていくもの、爆発し轟沈するもの、艦体が二つに割れ僚艦と接触し大爆発を起こすもの、AARF側の圧倒的物量で国連宇宙艦艇が激減していく。
インドの軽巡洋艦マイソールが艦尾にミサイルを受け爆発し、艦橋にミサイルが直撃、沈黙したAARF駆逐艦が国連艦隊の間をすり抜けていく。
双方の艦艇が次々と破壊、撃沈され戦線を離れていく。
レントン提督が
「火力を集中させろ!分散させるな!」
レントンが乗艦する旗艦ワシントンの横で、戦艦サウスダコタが爆発する!
前方にひと際大きな戦艦を視認した。
「でかい!戦艦クラスの倍はあるぞ!!」
前方から突っ込んでくる敵巨大戦艦にミサイルが着弾するも、青白い妖光の前で爆発しミサイルの威力が巨大戦艦に届かない。
これが奴らのデフレクターシールドか・・・
旗艦ワシントンに巨大戦艦が突っ込んでくる!
巨大な船体がゆっくり突っ込んでくるように見えるが、その衝撃は容易に想像がついた。
「総員!衝撃に備えよ!!」
青白い妖光に包まれている様に見える敵巨大戦艦を睨みながら、レントンは覚悟した。
と、そこへ横から台湾の戦艦高雄が突っ込んだ!