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火星の雪 2  作者: 上泉護
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漂流民族 参 流浪の果て

川まで降りて来た高中と由香里は、朝日のなかみそぎの様な沐浴もくよくをしていた。

「冷たい・・」裸体の由香里が言った。

笑顔でそう言う由香里を見ながら、高中は十歳とうも違う女性とこの様な関係になった事に驚きと喜びを感じていた。


人生の目的も、結婚への願望も薄らいでいた高中は、この絶望の時代の中、一筋の光を見つけ出した様な心持こころもちになっていた。

この女と結婚したい・・・そして子が生まれ家庭を作る・・・今まで無いものとばかり思っていた”未来”が、その眼前に急に現れたと言ってよかった。


裸の由香里を抱きしめて高中が言った。

「結婚してくれ・・・愛してる」たいした接点があったわけでもなく一度関係を持っただけの女性に、この様な事を言うのは幼稚にすぎるような気もしないではなかったが、不思議と口をついて出た。


そんな高中に、由香里は嬉しそうに

「まだ早すぎるよ・・」と笑顔で言った。


「ごめん・・でも俺は本気だ・・結婚を前提に付き合って欲しい」懇願する様に言った。

由香里は少し困った様に

「わかったわ」とキスをした。


もう一度行為におよぼうとした高中をさえぎって由香里が、

「みんなのゆっくり休める場所を探すんじゃなかったの?」といたずらっぽく聞いた。

「いけね、忘れてた」と笑顔の高中。

「服を着て、一緒に探してくれ」ざぶざぶと水をかき分け川岸へと歩いて行く。


それを追いかける様に笑顔の由香里が水をかき分け歩き出した。


細い獣道けものみちを二人手を貸しあいながら登り、一行が休む山荘跡さんそうあとまでもう少しという所まで戻った。

少し気まずかったので高中だけ先に戻り、由香里は後から何食わぬ顔で合流する事としたのだが・・


皆が休む山荘がすぐそばまで近づいた時、その異変に気が付いた。

はげしく罵倒する声と悲鳴、泣き叫ぶ子供の声・・・

軍用車両特有の低いエンジン音がいくつもかさなっている。


雷に打たれたかの様な衝撃しょうげきおぼえた高中は、それでも身を隠しながら近づいて行った。


獣道から身を隠しながら見上げると、最初に目に入ったのはずんぐりとしたBRの頭部だった。

そのBRと目が合わない様にすぐ、木の幹に隠れる。


騒ぎに気が付いた由香里も高中のそばまで来た。

二人は抱き合いながら、山荘で起きている異常事態を緊張しながら見上げた。


とその近くで激しく言い争う声が響き渡る。

「やめろ!子供に乱暴するな!」その声は本庄の様だった。

その直後銃声が鳴り響き、高中達が身を隠す獣道に人が落ちてくる。


転がり落ち、高中達が潜む木の幹に引っ掛かり止まったその人物は、

目から頭を撃ち抜かれ、後頭部から脳漿のうしょうき散らした本庄その人だった。


由香里が驚いて悲鳴を上げてしまった。

「い、いやぁああ!」


その悲鳴に気が付いたAARF兵士が獣道に殺到する。

BRが撃った重機関銃の弾がみき粉砕ふんさいし、人が一抱えする程の幹に大穴を空け、木をメキメキと倒れさせた。


高中も由香里も動く事すら出来ない。

二人はAARF兵士に取り囲まれ銃を向けられる。


手を上げた二人を小突きまわす様に、山荘まで登らされた。

そこで二人が目にしたのは、人々が窓すらない貨物用のトラックに押し込められていく姿だった。


肩を抱き合っていた二人は引き離され、高中は初めて彼女の名を呼んだ。

「由香里!」

由香里も

「高中さん!」と呼びあうが、別々のトラックに入れられてしまった。


男女別々にそれぞれのトラックに押し込められた一行は、扉の隙間からほんのわずか漏れこんでくる光を頼りに顔を確認し声を掛け合った。


「大丈夫ですか?」と隣に座り込んだ男性に声を掛けた。


「本庄さんが・・・本庄さんが」


無残な本庄の姿を思い出した高中は、言葉を失ってしまった。

そんな高中に

「これから我々はどうなってしまうんでしょう?」と震えながら男性が聞いた。


「おそらくどこかの収容所に入れられるんじゃないかと思います・・」


「第二次世界大戦の時のユダヤ人の様に?」

「はい・・・」


当時、ユダヤの人々を襲った過酷な運命を二人とも知っている。

不安を通り越した恐怖が彼らを襲った。


「なんてことだ・・」男性が言ったのを高中は無言で聞きながら、ただただ由香里の無事を願い、再び会える事だけを祈っていた。



昼だというのに真っ暗いトラックの中で揺れる事1時間、ようやく停止した。


突然開けられた扉から差し込む光に、目の奥がうずくような感覚をおぼえながら、降りる様に急き立てられる。


「さっさと降りろ!!」


それは明確な日本語だった。

目が慣れてくると、威圧的に命令している男の顔が見えてきた。


いわゆる囚人服の様な服を着込み頭を丸坊主にされてはいるが、血色はよさそうで健康的だった。

細面顔のその男は威圧的いあつてきに指図していく。


「身に着けている物を渡すんだ」

どこからどう見ても日本人のその男は、どこか陽気に言い放った。


それはこの絶望的な状況で、どこかグロテスクに感じた。

「どうせ裸一貫になるんだ!観念してとっとと渡せ!」居丈高いたけだかに叫んだその男は、後に知る事となるのだが、いわゆる「エリート」だったのだ。


AARF軍の手先となって働く事になんの抵抗も感じないどころか、喜んで同族である日本人をいたぶる事が出来る、権威主義で自己中心的なサディスティックな人間ばかり集められた集団。


それは「グラーム」と呼ばれ恐れられた。


その”グラーム”であるその男は、連れてこられた人達が持っているなけなしの貴重品や日用品を、無慈悲に奪い、抵抗する人を容赦なく手に持つこん棒で打ち据えた。


悲しいほど快晴の空に、大きな雲が浮かんでいる・・・そこはどこかのごみ焼却場の駐車場に見える。


打ちすえられている男の悲鳴を聞きながら、急いで由香里が押し込められたトラックを探すが、あちこちからかき集められた多くの日本人達の全ては男性ばかりで、軍用車両やBRが並ぶ駐車場に女性の姿は一人も無かった。


おそらく男性のみ集められてきたに違いない。


トラックから降ろされた男性たちは、全て身に着けているものを奪われ、身ぐるみをはがされた状態で並ばされていた。


なぜか同じ間隔で銃声が鳴り響く。

射撃訓練でもしているのか?・・・最初はそう思った。


焼却場の大きなシャッターの前で一人の将校が立ち、列の先頭で一人ひとり行く先を決めていた。

殆どの人が右をささししめられていたのだが、全裸の高中の前でその将校は考えこむ様に左を指し示した。


抵抗する事は不可能だった。

言われるがまま高中は左へと歩いて行く。


右へと向かった人はシャッターの奥へと消えていった。


それが死へと向かう道だと知ったのは、暫くたってからの事だ・・・


収容所生活で知り合った男性に聞いた。

「一緒に連れてこられた人達が、右側へ行かされたんだがどこへ連れていかれたんだろう?」

「焼却場でか?」

「あぁ」

「それなら射殺され焼却炉に落とされたのさ・・・」


トラックに乗り込まされる時、煙突から煙が立ち上っているのが見えた。


煙は、あの人達が焼かれた煙だったのか・・・

高中は愕然がくぜんとした。


あの銃声は、人々を射殺していた音だったんだ・・・

そしてすぐ焼却炉に落とされ焼かれていたのだ・・・


まさか由香里もその人達と同じ運命を辿たどってしまったのか?

いやそんな事はない!現に俺は生きている。由香里も同じように生き残ったはずだ!


と、根拠のない願望にすがりつくしかすべはなかった。


高中はあの将校が目の前で自分を左へと向かわせた。

特に理由もなかったのだろう事は明白だった。


たまたまの偶然が自分を生き残らせた・・・そう思うとあの時、死の選択が行われていて紙一重かみひとえで生き残ったと思わざるを得ない。


人の生き死にとは・・・この程度のものなのか・・・


犠牲になった人々の無念を思うと共に、背筋が凍るような感覚を襲った。




快晴の空の下、薄いぼろ雑巾の様な囚人服を与えられ、それを身にまとった人達が再びトラックの荷台へと押し込められていく。


高中は急き立てられながらも、由香里が乗せられたトラックが来ていないか急いで探したが見当たらない。

やはりここへは来ていない様だ・・・無事でいてくれ・・・と祈りながら高中はトラックの荷台へと上がった。


押し込められた人々は誰も口を開こうとはしない。なぜなら絶望の言葉しか出てこないのが解り切っていたからだ。


そしてそんな物は誰も聞きたくなかったのだ。


ほんの数時間前、由香里と過ごした幸せなひと時と、未来への展望・・・

そんな高中にとって大きな人生の僥倖ぎょうこうが一瞬のうちにうばわれ、高中は自分の気持ちを整理できなくなってしまった。


絶望的な状況だが、由香里と再び相まみえると信じる心と、もう二度と会う事はかなわないかもしれないという苦い想い・・・


揺れるトラックの中で、高中はそれでも自分に言い聞かせていた。


必ずもう一度会える・・・・由香里と一緒になるんだ・・・と


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― 新着の感想 ―
[良い点] 裏切り者もいてリアリティありますね。 いつの世も恥知らずはいるので、悲しきリアルですね。 けど、裏切り者も狂信者も説得は不可能なので、虚しくてもやはり戦いで決着をつけなければならないですね…
2021/07/26 18:44 にゃんこ聖拳
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