宇宙のオアシス
広大な宇宙に比べれば、あまりにも小さ過ぎるBR2機が寄り添うように漂っている。
その一機の腕にしがみつき、過呼吸に苦しむドメニコが言った。
「でっ!・・でかい・・・」
宇宙の深淵から巨大な影が姿を現していく・・・
「戦艦クラスの倍はある・・・」とロッシ曹長
「どこの艦だ?・・」とソフィア
三人は目の前に現れた巨大な戦艦を呆然と眺めていた。
と、そこへ通信が入った。
[こちらは日本艦艇、武蔵の立花一佐だ。エスポジートの2機、大丈夫か?]
「立花提督代行?・・・こちらイタリア第二宙軍管区艦隊ロンバルディア所属シジズモンド中尉です」
「君達を回収する。後甲板に着艦せよ」
「ご配慮に感謝します」とソフィアが言うと、ロッシのエスポジートに目配せし、誘導灯が輝く武蔵の後甲板に向かって、静かにスラスターを吹かす。
近づいていくほど武蔵の巨大さが引き立ってくる。
美しく誘導灯が輝く後甲板から滑り落ちる様な傾斜の下側にある、天球ドームの分厚い外殻がゆっくりと・・ゆっくりと開いていく・・・
現れたそれは巨大なブルーパールの様にも、小さな地球の半球の様にも見える・・・
それは漆黒の宇宙空間に突如現れた宝石の様だった。
「あれはなんだ?・・・」とロッシが独り言ちる。
ドームの中で大気が対流しているかの様だ。
まるで生きている宝石の様な、そんな美しさにソフィアは息を飲んだ。
後甲板に着艦すると、フワリと重力が発生する。
体中の血が下に向かって流れていく様な気がした。
「この艦には慣性制御があるのか?」ソフィアは驚いた。
宇宙服を着こんだ誘導員に従い、後甲板の端にエスポジート2機が歩いて行く。
誘導員の合図でBRを載せたまま巨大なエレベーターが下がり始めた。
10m程下がると、分厚い天井でもあるカタパルトデッキが閉まって行く。
最初のハッチが閉まり、間隔をおいて二重目のハッチが閉まる。
空気が満たされていく”シュー”といった音がいたる所から聞こえ始め、サインパネルがグリーンに点灯し、与圧された事を示した。
あきらかに不慣れと思われるメンテナンス要員が現れ、エスポジートを誘導していく。
10m程の高さの格納庫は広々としていて、日本の国産BRライジンが数機点々と鎮座していた。
整備が進むライジンと整備道具が詰まった大きな工具箱の台車の間をすり抜け、誘導されるままエスポジートを歩ませた。
誘導員の指示でエスポジートを停機させ、背面ハッチをスライドしソフィアが出てくる。
それにならってロッシも降機する。
バイザーを開いたソフィアは、不思議と木と土の香りがした様な気がした。
しぱらく見渡していたソフィアは思い出し、エスポジートの膝に手をかけ、うつむいて過呼吸に苦しむドメニコに声を掛けた。
「ドメニコ少尉、大丈夫?」
「はい・・大丈夫です・・」あきらかに大丈夫でなさそうなドメニコが答える。
その様子に気が付いた誘導員の一人が声を掛けてきた。
「中山宙曹です。どうされましたか?」
「シジズモンド中尉です。過呼吸の様ね。しばらくすればおさまるでしょう」
「こちらにどうぞ」とこの広大な格納庫を移動する屋根の無い小さな四角いワークビークルに3人をいざなった。
肩を寄せ合う様にそれに乗り込むと、中山は車を走らせる。
ソフィアが助手席に、ロッシはドメニコに肩を貸しながら後席に乗っている。
ドメニコは息苦しそうに激しく息をしながら、うつむきうつろにしていた。
「この艦には慣性制御があるのね。驚いた」とソフィア。
「私も最初は満足に歩けませんでした」と笑いながら
「この艦の中を這う様に移動してました」付け加えた。
「RGAとはまるで別物ね・・・」(Rotational gravity area の略、回転させ遠心力により重力を再現する区画の事)
人には認知されない僅かな振動や軋み音、そんな感知されない筈の、ほんの僅かな違和感が人を不安にさせるのだ。
それが武蔵には全く無い。
「実のところ我々もこのテクノロジーをあまり理解してないんです。中岡博士の遺産ですね」
「あのナカオカ博士の・・」と走り去った格納庫を振り返りながらソフィアは言った。
「頑張ってください。もう少しです」とドメニコに中山は声をかけた。
なにがもう少しなのか?・・・ソフィアは疑問を抱いた。
広大な格納庫から入った通路を進んだ先に、高さが6mは有ろうかという扉があった。
中山が車の中からスイッチを押すと、その扉が開いていく。
その扉の先にあったものに、3人は愕然とさせられた。
土と落葉の匂いが風にのってソフィアの鼻梁に届く・・・
そこには美しい森があったのだ。
「ここは?・・・」
ソフィアとロッシはあまりの事に言葉が出ない。
「セントラルドームです。このドームが造られた意味も解っていません」
そう言うと中山は車のままその領域に立ち入らせた。
ソフィアはこの武蔵を外から見た時、巨大な艦橋の後ろにあるブルーパールの様にも、地球の半球の様にも見えるドームを思い出した。
あの中なのか・・・そして過呼吸に苦しむ部下を思い出し、うつむいているドメニコの顎を持ち顔をあげさせた。
ソフィアとドメニコ、ロッシの眼前に森が広がっている。
秋を感じさせる清々しい風に木々や草々、土の香りが溶け込んでいる。
「 Che Meravialia (ケンメラビーリァ)・・・」(なんて素晴らしい)
ソフィアの口から自然とこぼれ出た。
その自らの言葉で、自分がどれほどこれを渇望していたのか解った。
地球を長期間離れ、殺伐とした真空の無重力空間での生活。
荒れ果てた心に潤いが戻る様な感覚に、ソフィアは涙がこぼれ落ちそうになった。
そんな横でドメニコは頬をなぶる優しい風に、驚きのあまり開いた口がふさがらない。
うながされた訳でもないのにイタリア宙軍の3人はよろめきながら車を降りた。
踏みしめた久しぶりの土の感触は、ここが宇宙である事を忘れさせる。
「どうぞ、しばらくここでゆっくりしていて下さい。また来ます」と言うと、中山は車で走り去った。
取り残された三人は、少し盛り上がった土手の斜面に腰かけた。
心地良い秋風が吹く青空のもと、ひばりが鳴きながら飛んでいる。
草むらの斜面に寝そべり青空を眺めながらソフィアが
「どうして戦艦の中にこの様な場所を作ったんだ?」と心地よさげに言った。
「彼等も全てが解っている訳ではなさそうですね・・・」とロッシ。
頭を締め付けられる様なストレスが、スーっと抜けていく・・・
手に取った草から青臭さを感じながら見上げた空には、雲が浮かんでいた。
初めて来た場所になぜか懐かしさを感じながら、ドメニコが
「なぜだろう・・以前来た様な気がする・・・」とうつろに言って、ソフィアの横に寝転んだ。
本来、上官の横で寝そべるなど考えられない行為だが、この空間が不思議とそれを自然なものに変えさせた。
地面に体が溶け込んでいくかの様な心地よさを感じながら
「地球・・・私達のふるさと・・・なつかしい・・」とソフィアは目を閉じた。
ロッシは何かに気が付き、森の中に入って行った。
ドメニコはソフィアの横で同じように横になりながら、いつしか過呼吸が収まっている事にも気付かず、ポカンとしながら空の雲を眺め続けている。
頬をなぶる優しい風にソフィアは再び言った。
「 Che Meravialia (ケンメラビーリァ)・・・」(なんて素晴らしい)
とその時・・
「なんて言ったの?」それはまだ幼い少女の声が尋ねてきた。
はっとしてソフィアとドメニコは体を起こした。
そこには5、6歳と思われる少女が不思議そうに立っている。
赤毛で碧眼の可愛らしい少女は、この森とピッタリとあった自然児を思わせる。
若木が芽吹く様な生命力を感じさせる幼い少女を見て、ソフィアは自分が今どこにいるのか解らなくなった・・・
確か・・火星と地球の間の宇宙空間の戦艦の中にいたはずよ・・
「How wonderful」(なんて素晴らしい)っていう意味よ・・」と上の空で答えた。
「どこの言葉?」
「イタリアよ」
「ふ~ん」
イタリアという言葉で我に返ったソフィアは、
「あなたの名前は?」と聞いた。
「ベティよ!あなたは?」
「ソフィアよ・・ベティはなぜここにいるの?」
「わたしたちもここに来たばかりなの!でもわたしここ大好きよ!」
「そうね・・私もここがすぐ好きになった・・・」ドメニコが横から
「お嬢ちゃんのお父さんとお母さんは?」と聞いた。
「お嬢ちゃんじゃないわ!ベティよ!」ベティは気強く言い返した。
それでドメニコは少しだけベティに苦手意識が生まれた。
そんな事にはお構いなしに
「このドームの中にいるわ。呼んでくる?」とベティ
「いえ、手間をかけさせては申し訳ない。機会があったらこちらから挨拶に行くから・・」とソフィア。
そんな会話を少女としいるうちに、二人はここが戦場で過酷な宇宙空間であるという事を、完全に忘れ去ってしまっていた・・・