真夜中の決闘
深夜、セントラルドームの森は雪をかぶり静寂にみちている・・・
暖かい部屋の中で、ベッドに横になりながらそれを心静かにブロディは見ていた。
オーソンとブロディ、ウェイドが寄宿する部屋の間取りはビーン家と同じで、
開放感と閉塞感が絶妙のバランスで出来ている。
暖かい部屋の中から森が見渡せながら、家という居心地のいい空間をちゃんと確保していた。
三人の寝室はロフトにあり簡易的にカーテンで区切っただけの簡単な作りだった。
オーソンが寝ていれば、その凄まじい鼾で耳栓なしでは到底眠る事など出来ないが、今は下で一人ご機嫌に酒を呑んでいる。
横になっているブロディはカーテンの向こう側にいる筈の皇帝をちらりと見た。
確かにいる筈なのに、物音ひとつ立てない。
寝ているのか起きているのか、それすらも解らない。
試しに声をかけてみた。
「なぁ・・」
「なんだ?」
起きてたのか・・・
「あんたアンダーグラウンドの格闘家だったんだってな」
「あぁ」
「格闘家になるにはどうすればいいんだ?」
「戦後はそれで身を立てるつもりか?」
「そんな事ぁわかんねぇよ、この前の話では常設国連軍入りを武蔵は目指してんだろ・・
ただ戦争が終わったらやる事なくなっちまうじゃねぇか」
暫しの沈黙の後、
「ブロディ・・」と初めて自分の名前を呼ばれて、ブロディは不思議な感覚になった。
皇帝は何を思ったか
「散歩に付き合え」と言い、カーテンの向こうで起き上がった。
「あんたからそんな誘いを受けるとは思わなかったぜ」と言ってブロディも身を起こした。
ロフトから二人が下りてくると、オーソンが
「なんだ?二人連れだって、珍しいな」とご機嫌に声をかけた。
真っ赤な顔の呑んだくれているオーソンに、呆れた様にブロディが
「ちょっと呑みすぎなんじゃねぇか?もう止めとけよ」と注意した。
急に真顔になったオーソンが、左手でこめかみを抑えながら
「この右腕が・・勝手にグラスを口まで運んじまうんだ・・・」と沈痛な面持ちで言う。
「シリアスな顔して言うセリフかよ!」と言ってグラスを取り上げようとした。
グラスを持つオーソンの手首をブロディが握り引こうとするがびくともしない。
ギリギリと力が均衡する!
が徐々にオーソンの口にグラスが近づいていく!
「この怪力親父が!!」
「ふはははははっ!まだまだ若いもんには負けんぞ!」
それを冷めた目で見ていたウェイドが、すっとグラスを取り上げた。
「あぁ!」とオーソンが沈痛な声を上げる。
それを無視してグラスをテーブルに置いたウェイドが
「行くぞ」とブロディに言った。
「なんだ散歩か?」と陽気にオーソンが聞いた。
「そんなところだ」と言って、ウェイドはガラス扉から外に出て行った。
部屋の外に一歩出ると、雪つもる森の空気は冷たかった。
外に出た二人の息は白く、上着を羽織っても尚、寒さが身に染みた。
息を白くしながら前を歩くウェイドを見たブロディは、
こいつも人間なんだよな・・と変な事を改めて思っていた。
すると街灯に照らし出された緑道を一人の女性がランニングしている。
雪で滑る足元を注意しながら近づいて来るため、二人に気づかない。
帰還した際、ブロディに声をかけてきた自衛隊員だ。
確か名を、カスミ・ホンダ・・ブロディは思い出した。
その本田香純が顔を上げ、ブロディの前を歩くウェイドに気づき、ぎょっとして立ち止まった。
一瞬の緊張のあと、後ろにいるブロディに気付き、明らかにほっとした様に笑顔になった。
「こんな夜中にランニングか?」とブロディ。
「シフト明けなの、運動不足解消の為」
「こんな雪の日に足滑らせてケガするのがオチだ。やめとけよ」
年下のブロディにぞんざいな言いかたをされても怒りもせず笑いながら
「もう帰るところ、二人はこれから?」
「散歩さ、すぐ戻る」
「そう・・じゃあお先に」と言い、笑顔で手を上げて去っていった。
その本田を見送りながら、皇帝がいまだ武蔵の中で恐れられる存在である事に気付かされた。
ともすれば孤立してしまうだろうウェイドを気遣って、オーソンが同居を申し出た訳だが、
あの呑兵衛親父、案外細かいところに気がまわる・・・
などと変な感心をしていると、ウェイドが歩きながら
「お前、今のままの戦い方を続けていると、いずれ死ぬぞ」と言った。
「死なねぇし、いつ死んだって悔いなんざねぇよ」
「強大な技術の責任を負わされた、あの娘をおいてもか?」
マリアの事を言われ、ブロディはぐっとつまった。
守り切れなかった妹のサラを重ね合わせ、黙り込んだブロディに
「お前は本能のまま戦い生き抜いてきた。それはそれでいい。
しかしこれからは、心ではなく頭で考え生き抜く工夫をしろ」
「へっ、あんたに言われる筋合いはないね」
「まったく・・強情な奴だ」
「参考までに聞いといてやる。俺の何が駄目だってんだ?」
「機動もなにもかもでたらめだ・・・今まではそれが逆に良かったとも言えるが、その限界を超えた先にあるのは”死”だけだ。」
「ちゃんとセーブしてる」
「お前、格闘家になりたい様な事をさっき言ったな」
「まぁな」
「その世界でも今のまま、そこそこの所まではいくだろう・・だが、壁にぶち当たる。
体の動き一つ、さばき方一つの僅かな差が、上に行けば行くほどシビアになる」
「やってみなきゃわかんねぇよ!」ブロディは意地になって応えた。
「では試してみるか?」
ニヤリと笑ったブロディが
「いいねぇ、決着をつけようじゃねぇか・・・」
「俺が勝ったら言う事を聞くか?」
「殺すなり、こき使うなり好きにしな・・ストリートファイトか・・大好きだぜそういうの・・」
ブロディの闘志がミシリ・・ミシリと熱くなっていく・・・
「ボクシングジムの様な施設があったな。そこに行こう」
「ここでもいいんだがな・・・」
暫しの間ブロディを見たウェイドが、
「以前、お前は俺に似ている・・と言った事があったが、それはその性急さと自暴自棄になって己の身すらどうでもいいと思っているところだ」と回顧した。
それが今すぐにでも飛び掛からんばかりの、ブロディの熱を少しだけ冷ました。
「・・・」
歩き出した皇帝の背を見ながら、ブロディも歩き出した。
セントラルドームの森に、舞う様に雪が降りだした。
その事に意識を向ける事無く、二人は無言で歩き続ける。
通路に入る扉を開けると、暖かい空気が彼らを出迎えた。
上着のファスナーを下したブロディの心は、既に臨戦態勢に入っていた。
漆黒の空間に照明がカチンとつくと、400㎡程度の広い空間の中央にリングがあった。
そのリングの周りにサンドバックやらトレーニング機器が並んでいる。
汗とワセリンの匂いが満ちている空間は、深夜静まりかえっていた。
壁にかかっている物を取ったウェイドが、それをポンとブロディに投げてよこし言った。
「これをつけろ」
それはオープンフィンガーグローブと呼ばれる指先を出す形のグローブだ。
「リングに上がれ」
ウェイドは自らもそれを付け、リングロープをくぐる。
既に獣と化しているブロディは一言も発しないまま、リングロープを飛び越えた。
始めて出会った時、皇帝は言葉を発する事がなく、今とは真逆の状態だ。
それが今、淡々とウェイドが言葉を発し、戦いを始めようとしている。
「準備はいいか?」
「あぁ・・・いつでもいいぜ」
リング中央で向かいあった二人が、オープンフィンガーグロープを付けた手で構える。
「行くぜ!」有無を言わさずブロディが先手必勝とばかりにジャブを打ち込んだ!