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火星の雪 2  作者: 上泉護
16/31

漂流民族 壱

西暦2061年10月13日 21時30分


東京電力常設災害対策本部は山手線・京浜東北線・上野東京ライン・東海道本線・東海道リニア線などを目の前に臨む、東京都千代田区にある東京電力本社ビル内にあった。


この時間の交通量は、昼間の喧騒けんそうからはようやく落ち着きを取り戻したものの、本部室から見下ろす道路にはいまだ多くの車両が行き交っているのが見える。



薄く開けた窓からは、林立りんりつする超高層ビル群の間に、わずかながら暗い皇居の森がうかがえ、季節外れの生暖かい風が静かに吹きこんできていた。


災害対策本部長、加藤亮一は肌にかすかなべたつきを感じながらも、2年前のエイヤフィアトラヨークトル火山大噴火以前の日常に戻りつつある事に安堵していた。


エイヤフィアトラヨークトル火山はアイスランド南部の氷河地帯にあり、2年前の大噴火により吹き上げられた火山灰が偏西風に乗り、北欧一帯の空のみならず世界の空を覆いつくした。

それは太陽からの光をさえぎり、しくも温室効果ガスにより温暖化の進んでいた地球の気温を下げる効果をもたらしたが、冷害により作物に大打撃を与え全世界的な食糧不足を引き起こした。


それが前年のアメリカ南北分裂の引き金になろうとは、誰も想像していなかったに違いない。


この年はエイヤフィアトラヨークトル火山大噴火の少し前に、マリアナ海峡を震源とした大地震が起こり、太平洋沿岸に巨大津波が襲い多くの犠牲者をだしていた。


そのため世界は終末論が飛び交い、予言や人類滅亡説などがまことしやかに流行したものだ。


それらの事や、揺れるアメリカをテレビで見守っていた加藤だったが、分断の末の国の分裂には大層驚かされた。


日本は地震や津波による被害は少なかったものの、冷害による作物の被害と食料自給率の低さ、世界各国が食料ナショナリズムに走った事により食料不足におちいっていた。


食料ナショナリズムとは、政府の食料品入手可能性への懸念から、輸出規制のうねりが生まれ、食料の他国への流出を抑え自国を最優先にする姿勢を取る事である。

こうした動きにより世界的な食料供給網の停滞と食料価格の高騰がおこり、国際市場で食料品不足が蔓延する。


日本の食糧自給率は当時39%で、先進国の中で最低の水準だったため日本は苦しい立場に立たされたのである。


3年前、宇宙を舞台に勃発ぼっぱつした第三次世界大戦は、皮肉にも天災が戦争を終結へと向かわせた。

しかし戦争当事国同士間の残されたしこりは、グローバリズムを崩壊させたままでその理念である「人」「物」「金」の自由な行き来は停滞していた。


そして、日本は今だ苦難の中にあった・・・



気候が元に戻ってくれれば、いずれ食糧問題も解消される・・・加藤にはそう思えた。


その彼の目の前には送電網を網羅した巨大なパネルが壁に立てかけられる様に設置されており、東京湾、太平洋沿岸、山間部にある発電所からの送電状態が一目で解る様になっていた。


数人の当直職員が交代で夕食をとり、休み時間明けの少々だれた空気が生暖かい空気に溶け込んでいる。

端末のディスプレイに向き合っていた職員の一人が、欠伸あくびを噛み殺す後ろの窓から、遠くノズル光が舞い上がっていくのが見えた。


国際宇宙ステーション行きのシャトルか・・・


この時代、国際宇宙ステーションに行き、地球近辺のクルージングを楽しむ人、月面基地へ行き月観光を楽しむ人、そして終末論が飛び交う地球に嫌気いやけがさし、新たなるフロンティアを目指し火星への入植、旅行を楽しむ人とに分かれる。


火星は国連主導でテラフォーミングがほどこされ、アルテミス合意という規約のもと協議が重ねられ、分割し各国がそれぞれの領土を持っていた。


アルテミス合意とは、米国が中心となり進めた宇宙開発の規約である。

2020年代、宇宙の開発競争が激化していた中で、宇宙の平和利用・資源利用の原則が盛り込まれたこの合意の当初の参加国は、アメリカ、イギリス、日本、オーストラリア、カナダ、イタリア、ルクセンブルク、アラブ首長国連合の八か国で、当時宇宙強国となっていた中国を、国際ルールをけん引する事で牽制しようとしたアメリカが進めた。

強引に推し進める米国に引きずられる様に、ロシア、中国、他の国々も参加する事となった。


2060年に勃発した宇宙を舞台にした第三次世界大戦で一時いちじ形骸化けいがいかしたアルテミス合意ではあったが、地球の外で発生した戦争を収束へと向かわせる唯一の手段でもあった為、各国が尊重した事によりこの規約に大きな意味を持たせる事となった。


しかしそこには、外交というパワーゲームの一枚のカードとして、合意からの脱却がまるでジョーカーの様にちらつかされた。


加藤は2020年代以降、急速に進められた宇宙開発に思いをせた。

まだ旅行程度なら分るが・・入植しようと思う奴の気が知れない・・・


地球温暖化による気候変動は激しさをしていたが、現在の地球は維持可能社会を目指し、一部の国々を除き足並みをそろえ始めている。


しかし火星の大気の不安定さは地球の比ではない・・・と聞いている。

ホームステッド法により広大な土地を得られる事は、確かに魅力を感じるものの、現在の安定を捨ててまで地球を離れる気はさらさらない・・・と加藤は思っていた。


親類縁者やコミュニティを捨ててまで行こうとは思わない・・・

そう思ったその時。


突如アラームが鳴り響いた。


「なんだ?」

職員の一人が、

「五井火力発電所が発電を停止しました」


「発電停止?」

「本部長!映像を!」


火力発電所を見下ろす位置にあるカメラ映像を指さした。

のぞき込んだ加藤の目に映ったものは・・・


赤々と炎をあげ巨大な黒煙を立ち上げている五井火力発電所の姿だった。

言葉を失い呆然と画面を見つめる加藤に


「品川火力発電所停止!」立て続けに大山が報告する。


パネル上の送電を示す光のラインが次々と消えていく。

”ぶんっ”と室内の電気が落ちた。


今まではそれほど感じられなかった、じめっとした生暖かい空気を強く感じ、窓から見える夜景は道路を走る車のライトだけとなる。


すぐに非常用の発電機が自動で立ち上がり、室内に明かりが戻る。

林立するビルのいくつかにも非常用の発電機が立ち上がり、本部ビル同様明かりが戻ったが、その他の中小のビルや信号、街灯は暗いままだ。


電気が戻ったパネルには寸断された送電網があらわになっていく。

東京湾にある九つの火力発電所、太平洋沿岸にある二つの発電所が送電を止めている。

各発電所を見下ろす位置にあるカメラ映像には、そのほとんどの発電所が爆発炎上し、巨大な黒煙をあげている姿が映っていた・・・


これは・・


「連系線が寸断されていく・・・」

連系線とはブラックアウト(巨大停電)を念頭に東京と中部、そして東北、北海道で送電を都合しあえる山間部、海底を中心とする送電網である。


発電所や電力流通設備、それら連系線の主たる鉄塔、変電所が破壊されていく・・・


間違いない・・これはテロだ・・・


加藤とその場に居合わせた職員達の頬を冷たい汗がながれた。




同日 22時05分


緊急の官邸閣僚会議が開かれた

その議場で、時の内閣総理大臣、清原宗一郎が尋ねた。


「この大規模テロの目的はなんだ?」


テロの標的となる事がほとんどなかった日本は、米国や欧州各国とは異なりその危機感が少々うすいものだった。


発電所職員に犠牲がでているものの、被害の規模に比べれば、あまりにも少ない犠牲者の数に違和感を感じざるを得なかった。


久代くしろ防衛大臣が応える。

「目下、急ぎ調査中です。」


「その他の被害状況は?」


小松国土交通大臣が

「信号停止にともない出会いがしらの交通事故が多発しております。非常用電源を備えた救急指定病院に負傷者や、重篤者が殺到し混乱している模様です。」

うなるように聞いている総理大臣に

「複合災害的に被害が拡大しております」と小松は付け加えた。

「緊急対策本部を設置し、情報を吸いあげ連系し対処する様に」清原が指示をだす。


「はい」内閣官房副長官が応えた。


部屋を出て行きながら補佐官に総理が指示を出した。

「野党党首との会談を設定しろ、後々うるさいからな」


内閣総理大臣ですら政党政治を念頭から忘れられないほど、この状況をしっかりとは把握できていなかったのだ。それが初動をおくらせ、日本という国家が存亡のふちに立たされる事になるとは、この時誰も想像すらしていなかった。



翌10月14日 0時15分


携帯電話やSNSなどはまだ使用できてい為、夜間出勤者には出勤の取りやめ、勤務に出ていた者は少々早い帰宅となり、街は久しぶりの静寂の中にあった。


居酒屋のアルバイトがそうそう々に取り止められた青年が、自転車で帰路についていた。

24時間営業のコンビニも飲食店も光が落ち、店じまいに追われる従業員の姿が見られた。


その時、パンっと大きな音がし、青年が振り返る。

信号が消えた交差点で、車同士が出合い頭の衝突事故をおこし、一台が横転していた。


こんな音がするんだ・・・などと呑気な事を思いながら、青年はペダルを踏み込み自宅へと急いだ。



3日後・・・


高層ビルやマンションの自家発電が停止しエレベーターが使用不能になり、多くの人々が長い階段を文句を言いながら登り降りしている。


首都圏で発生した巨大停電”ブラックアウト”はその深刻さを増していた。

各店舗から生鮮食品が姿を消し、浄水場はその機能を停止し給水車が日本各地からかき集められた。


多発する事故の処理や重篤患者を移送する為、自衛隊が派遣され各部隊の統率が乱れ始めた頃・・・


突如として首都圏で電磁パルス攻撃を受けた。

自衛隊の車両や装備、設備が使用不能となる。


そして国籍不明の軍隊が、日本本土に侵攻してきたのである。



それは駿河湾と茨城沿岸、臨海副都心からの上陸作戦から始まった。


情け容赦のない破壊と殺戮が、日本の首都で繰り広げられる。

人々は通信や情報が途絶した戦場を逃げ惑い、地方へとその足を向ける。


交通が分断され、個人で疎開を始める者達、地区長の判断で徒歩にて集団による疎開を開始する者達と様々だったが、生存をかけた都民の漂流が始まったのだ。


コンクリートジャングルと揶揄やゆされた街の道に月光はわずかしか届かず、まるで地下迷宮に入りこんでしまった様な錯覚におちいる・・・


着のみ着のままの疎開者達は、電気が途絶えた真っ暗な街を、数人が持つライトの明かりを頼りに歩いて行く。

この時はまだ、日常の苦悩から解き放たれたと感じていた数人の若い男性は、元気よく歩いていた・・・




寂しげに光々と光輝く月光の元、まるでゴーストタウンの様に静まり返った街を多くの人が重い足を引きずりながら歩いていく。


肌寒さが増した夜の道を、疲れ果てた人達が廃車となった車の間をう様に歩いていた。


そんな彼らを見下ろす様にマンションやビルが散在し、中程度の街並みが死んだ様に静まり返っている。


ここは長野県の諏訪湖から3km北上した場所にある中野辺である。

仮の避難場所を追われては逃げ、追われては逃げの繰り返しで、身も心もくたくたになっていた。

足を引きずる様に歩く群衆ぐんしゅうには、大人も子供も老人も、母に抱かれる赤ん坊もいた。


その先頭に立って皆を先導している男がいる。

「もう少しです。頑張ってください」声をあげた。


「もう無理だ、俺はおいてってくれ」足を止めた中年の男が言った。

「なに言ってるんですか!あきらめてはだめです!小さな子供だって頑張ってるんだから!」


「俺はひざに水がたまってるんだ、一緒にするな」


一辺倒な励ましを後悔した様に

「すみません・・でもあともう少しです、頑張って!」


その横で中年の女性が足をよろつかせ、膝をつき手を地についてしまった。


「大丈夫ですか?」男は手をかして立ち上がらせ様とする。

女性は立ち上がろうとするが、よろめいて尻餅しりもちをついた。


「高中さん、少しだけ休んだらあとを追いますから先に行って下さい」


高中と呼ばれた男は、周囲に向かって

「皆さん、このまま進んで下さい!」と声を張り上げた。


「少し休みましょう細井さん」

「わたしもくたくただったんです」と微笑ほほえんだ。


その横を通った同年代の女性が声をかけてきた。

「細井さん大丈夫?」


「えぇ、少し休んだら後を追います」


隣でぶつぶつと文句ばかり言って立ち上がろうともしない男性と比べて、極限状態において女性の方がタフだという事実を見せつけられた様な思いだった。


高中は微笑すると立ち上がった。

「じゃあお二人とも、先に行って待ってます」


再び歩き出した高中は、無政府状態の日本の状態について考えていた。

AARFの東京上陸作戦は、”ブラックアウト”大停電から始まった。


ブラックアウトは自治体や医療機関、電気に依存した社会を根底から崩れさせ、

被害が連鎖的に広範囲に長時間にわたり、深刻な影響が及ぶ事が判明した。


発電所の多くが発電を停止し、災害拠点病院(重篤救急患者の救命医療などをになう)

は非常用の発電機を使用して必死で救急医療を展開する。


水を始めとするライフラインの補填、重篤救急患者の移送などの災害派遣に自衛隊は追われ、指揮系統は乱れ、国家防衛のかなめである防衛・監視システムを無効にする技術、”ピン(電磁パルス攻撃)”が指揮系統に壊滅的なダメージを負わせた。


最新の技術で日本は目と耳を奪われ、組織として相互作戦が不可能となってしまった。


そこに東京湾、駿河湾、茨城沿岸からの上陸作戦で、あっという間に首都を占拠されてしまったのだ。


AARFの最新の軍備増強がいつの間にされたのか、まったく把握していなかった日本は手も足も出なかったのである。



東京に上陸したAARF軍は占領を確固たるものにする為、情け容赦なく日本人を捕らえ強制収容所送りとし強制労働に従事させた。

そして地方への進軍と同時に神社仏閣、歴史的建造物を破壊してまわった。

そこには偶像崇拝を許さない彼らの宗教的理由があった。


自衛隊は後手後手に回り、自国領土にも関わらず地の利を生かせぬまま領土を占領されていった。


最新鋭のBRを導入した軍隊は、首都制圧に威力を発揮し自衛隊の装備を圧倒した。


何とか立て直した自衛隊は絶対防衛ラインを小諸に引き、駿河湾と東京湾、茨城沿岸から上陸してきたAARF軍に準備していたところに、日本海側から上陸して来た新たなAARF軍に対応できなかった。


圧倒的な兵力に、短期間のうちに厚木、百里は壊滅、自衛隊はその力の殆どを失ってしまった。

そして・・・頼りの在日米軍はこの時、自国の南北分裂の混迷で日本を離れていた。



死と絶望と混沌が、日本を覆いつくしたのである。



しかしそのような状況下で、元自衛隊員の指導の元、国土解放戦線”レコンキスタ”が日本各地に生まれ、レジスタンスの戦いが激しさを増していった。


さすがにAARF側も日本全土を占領する程の兵は動員できず、AARFの占領は政令指定都市から始まり、戦略上重要な街から、占領下に置かれていった。


皮肉にも消滅可能性都市と言われた街に、人々の避難が殺到し一時的に人口が増加した。

それを察知したAARF軍がその街を占領しようと軍事行動を開始する。


そしてAARFが進駐してくると、別の街に避難する。その繰り返しだった。

高中は東京都青梅市のニュータウンで地区長をしていた。


甲府に疎開してきたが、甲府にも進駐軍が侵攻してきた為、諏訪に向かって逃げたのだ。


その諏訪にもAARF軍が侵攻してきたので、大きな街を避け小さな村に潜伏しようとする派と、松本の様に大人数を受け入れられるだろう小都市に行こうとする派に分かれた。


どちらが正解なのか誰もわからず、二手に分かれる事にしたのだ。


高中は区長として上田市方面に向かう事をしていた。

それを支持した人々が、今142号線を徒歩で北上している。


上り下りのアップダウンが激しく、高中についてきた人達の疲労はピークだった。


本当にこれで良かったのだろうか?・・・高中は自問自答している。


しかしどう考えても、松本はAARFの次の進駐先だ。


自分自身を奮い立たせる様に大声を上げた。


「もう少しでレストランがあるはずです!やってはいないでしょうが、そこで休めるはずです。頑張って!」



その頃、高中一行と別れて松本を目指していた一行は、見つかりにくい様に高速道路の高架橋の下を皆で歩いていた。


車のライトがスポットライトの様に無人の街を浮かび上がらせる。

皆がうらやましそうに遠ざかっていく車を見ていた。

その時、遠ざかっていく車が爆発した。


高速道路上で移動する車は格好のまとだったのだ。

彼らは自分らの正しさを噛みしめた。


しかし・・・それほど物事は甘くなかった。

前方からいきなり強力な光を浴びせられ、突然とつぜん銃撃を受けた!


血しぶきを上げながら、ばたばたと人々が倒れていく。


AARF軍は情け容赦なく銃弾を浴びせ続ける。

銃声がやんだ時、その場にいた人々は全て倒れ伏し息絶えていた。


AARF軍が引き上げていく・・・


その後には累々と並ぶ死者の群れだけが残された。



そんな事があったとは知るよしもない高中達は、なんとか山の中にある一軒のレストランにたどり着いた。

鍵はかかっていたが壊させてもらった。

人命がとにかく第一だ。

昼間集団で移動するのは発見されやすく危険だ。


もうじき夜が明ける。これ以上の移動は無理だと判断した高中は

「今日は日が暮れるまでここで休みましょう、幸い水が使えるようです。補給してください」


80人近い人達が壁にもたれかかり休んでいる。

レストランの一階も二階もすしめ状態だった。


高齢の老人たちは死んだ様に横になり眠っている。


泥の様に眠り始めた人々は、あっという間に朝を迎えた。



冬の気配を色濃くあらわし始めた山々が、朝の光を浴び朝もやを帯びている。

それだけ見れば今までの日常となんら変わりなく見える・・

しかし、いま日本は瀕死の状態なのだ。


しかしこのような事が起こる前も、たいしていい事は無かった。

39歳で独身の高中は、長期ローンを組んで中古物件を購入したばかりだった。

その理由も、狭いアパート暮らしに家賃が掛け捨ての様に消えていく事に馬鹿らしさを感じたからにすぎない。

人生の目的も結婚への願望も消えつつある・・

ただ漠然と生きている様なむなしさに、時折押しつぶされそうになった。


苦しいばかりの人生だった・・・

死んでしまえば、この苦悩から解放される・・・


ふとよぎるそんな感情を打ち消すように高中は頭を振った。


まず自分が屋上で見張りにつくつもりだ。

近くにいた、まだ若く元気な青年に言った。

「午後までゆっくり休んでくれ、それまで俺が見張りをするから午後から見張りを頼めないか?」


「分かりました。まかせて下さい」頼もしく引き受けてくれた。

青年の肩をポンと叩いた高中は、屋上に上って行った。

しらじら々と開けていく山々を見ていると、142号線をトボトボと歩いてくる細井の姿が目に入った。


「細井さん!もう少しです!頑張って下さい!」屋上から声をかけた。

細井が弱々しく手を振って応える。


その時、屋上に男が上がってきた。

「高中さん、みんなを引っ張ってきて疲れたでしょう。僕が変わりますよ」

「本庄さん、ありがとうございます。でも大丈夫です休んでいてください」


本庄と呼ばれた初老の男性が高中の横に来て手すりに肘を乗せた。


「高中さん、日本は・・どうなってしまうんでしょうね?・・・」


「一時の辛抱ですよ、AARFの様な寄せ集めの国家に日本の占領を続けられる訳がないでしょう・・ただ中国の出方次第でしょうね・・」


「そう・・ですね・・うわさでは共同戦線を引いたという話ですからね・・」

「あくまでも噂ですよ。まさか中国が無頼国家の集まりに加担する訳がない」


「しかし中国は静観を決め込んでいるのは事実です・・・」

「まぁ・・確かに・・・」


二人は暗澹あんたんたる気分になるのをおさえられなかった。


疎開そかい先で我々は受け入れてもらえるのだろうか?・・・


AARFの侵攻は世界各地で始まっているのか?日本だけなのか?


気を取り直す様に本庄が

「確かこの先に直売所があるはずだから、そこでいろんな種を持っていきましょう」と言った。

この戦争が長丁場になると、食料の調達は時間が経つにつれ難しくなる。と考えたのだろう。


今のうちから、全員の食糧を確保するすべを考えて言った。

「家庭菜園でもなんでもいい、経験者を探しましょう」

「そうですね、案外人が集まる場所より山の中で時を待った方がいいかもしれませんね・・」

「彼らの暴虐がいつまでも続く訳がない!希望を捨てずに耐えきりましょう!」

高中は自分に言い聞かせる様に言った。



午後になり、青年に見張りを交代してもらった高中は、一階に降りリビングの空いている場所に、横になった。

子供たちは集団行動が楽しいのか、元気を取り戻し遊んでいる。


高中はその子供たちの声を聞きながら、いつの間にか、うつらうつらとしてきた。その時!


「高中さん!高中さん!」たたき起こされた。

目をこすりながら起き上がる。

「あいつらが来る!逃げなきゃ!」高中はいっぺんに目が覚めた。

階段を駆け上がり屋上に向かう。


青年が指さした。


距離にして2kmぐらいか、明らかにAARFと思われる車両とBRがこちらに向かってくる。


「みんなここにいた形跡をできるだけ無くすように言ってくれ」


青年は階段を駆け下りて行く、高中はAARFを見るとどうしても消し難い違和感を感じた。

あの貧乏国の寄せ集めが、どうしてあれほどの装備を揃えられたのか?

AARFとは軍需物資の供与のやりとりまで行われているのか?


しばらく観察したい気持ちを抑えて階下に降りて行った。

「みなさん!お聞きの通りAARF軍がここを通ります。ここにいては発見されてしまいますので、出来るだけここにいた痕跡を消してください。森の中に潜みます。静かに裏口から私について来て下さい」


そこにいる全員が緊張を隠せない。


扉を開け先導し森に入った。


森の奥に皆を潜ませると、木々の間からわずかにレストランを確認できるほどの近さまで高中と本庄は戻った。


案の定、AARF軍はレストランの前で止まると、建屋内を調べ始めた。

隊長らしき一人が、いろいろと指示を出している。


建屋内に誰もいない事を確認すると出発した。

その方向は高中らが目指している上田の方角だった。


これはもうそちらには行けない事を意味している。

高中の体を例えようもない疲労感を襲ったが、気を取り直し少人数で再びレストランを調べに行った。


特に破壊された形跡もなく、数日は夜露よづゆを防ぐのに申し分なかった。


ある者はここでまたしばらく休める事を喜び、ある者は行く先の見えぬ絶望に打ちひしがれていた。


レストランに戻った一行は会議を開いた。これからどうするか決める為にだ。

「だから言ったんだ、松本に行くべきだって!」

「坂井さん、あんたは松本ではなくこちらを選んだからここにいるんだろう!全ては自己責任じゃないか!」そばにいた中年の男性が言った。


「高中さん、あんたがみんなを先導せんどうしてこんな山深い所まで連れてきたんだ。どうしてくれるんだ?」

矛先を高中に定めて言い放った。


高中に答えがあろうはずがない。黙っていると笠に着て攻め立ててきた。

「黙っていたんじゃ解らないでしょ!何とか言ったらどうなんだ?」

本庄が割って入った。

「あんた後からなんだかんだと言って、どうして皆で話し合った時なにも言わなかったんだ?」

「なんだと?」

「無責任にもほどがあるって言ってるんだ!」

今にも二人がつかみかかろうとした時、見張りに立っていた青年が口を開いた。

「たぶん・・松本に行った人達もなんらかの形で奴らと遭遇してるでしょう・・今あの人達がどういう状態かまったく解らないんだから、何言っても始まらないでしょう。

今我々は無事でいる。これからどうするか、どう生き残るかを話し合いましょう」


坂井と本庄は浮かした腰を落とした。

今まで黙っていた高中が口を開いた。

「どうでしょう、水を確保でき潜伏出来る場所を探す。とりあえず腰を落ち着かせてから、食料確保チームを選抜し交代でそれにあたる」


「どうやって食糧を確保しようってんだ?!ここで救助を待った方がいいだろう!」坂井が先ほどの興奮が収まらない様に言った。


「どこの誰に救助を求め様っていうんだ?!そんなの待っていたら餓死するだけだ」と本庄。


高中は本庄を手で制すると、

「ではあなたはそうして下さい。どの選択が正しいのか誰にも解らない。あなたはあなたの信じた道を行けばいい」


「あぁそうさせてもらうよ、もうあんた達には付き合いきれない」

「分かりました。じゃあここから出てもらえますか?」

「なぜだ!?なぜのけ者にする!」

「用心の為です。あなたが拘束された時、我々の行く先を知らない方がいい」

「拘束などされない!」根拠のない希望論しか坂井は言わない。

「だから用心の為です。あなたも我々の知らない場所に移った方がいい」

「だからここに残るって言ってるだろう!」

「じゃあ我々を信じてもらうしかない」

「きたないぞ!俺を信じろ!」

「拷問を耐えきれる人間はいない、悪いけど教えられない」

「俺はここに残ると決めたんだ、出ていく奴は他で話し合ったらいいだろう!」

「分かりました。とりあえずあなたとここに残りたい人がいるかもしれません。それだけ決めましょう」と言うと全員に向け大きな声で聞いた。


「ここに坂井さんと残りたい人は手を挙げて下さい」


「私はここに残ります。みなさんと行きたいんですが、もう体が動きません。これ以上はご迷惑をかけてしまいます」と細井が言った。

「大丈夫、みんなでサポートしますから一緒に行きましょう」


「いぇ・・・もう限界です。ここに残ります」細井は決意を固めたようだ。


「そうですか・・解りました。残念です」高中は目をつむった。

「他にここに残る人はおられますか?」


他に5人ほど手を挙げた。やはりこれ以上の移動は無理だと思ったのか、高齢の男女が多かった。

「分かりました。ではここを離れる事に賛成の人は、どこへ向かうか話し合いたいと思いますので外に出て下さい」多くの人が重い腰を上げた。


森の中に入り、それぞれ座ったり木にもたれかかったりして円座をくんだ。


「それでは始めたいと思います。このあたりに詳しい人はいますか?」

誰も答えなかった。

「それではなにか案がある人は?」誰も何も言わなかった。


「では私から・・漠然とはしているんですが、谷間をめざしましょう」

「なぜです?」と本庄。

「まず、川が流れている事が前提ですが、水を確保できます。そして夜火を起こしても、遠くから視認される恐れがありません」

「なるほど・・」青年がうなずいた。

「健一君、君はなにかいいアイディアはないかい?」


「そうですね・・谷間は賛成なんですが、あまり川に近いと湿度が高く健康上あまりよろしくありません。川から少し上がった南斜面がいいと思います。孫子にもそう書いてあります」

「孫子?君は読んだ事があるのかい?」

「えぇ、かじる程度ですが・・軍を駐屯させる場所についてそう書いてありました」

「すごいな、そうしよう」


彼らは地図から最も適した場所を探した。

「ここらあたりがいいんじゃないか?」

「山の湯温泉渓流荘」

「いいな・・・みなさんよろしいですか?」全員と目を合わせながら高中が聞いた。

全員がうなづく。他にいい考えもなかったからである。

「ではみなさん、出発します。準備して下さい」


疲れ果てた老若男女が重い腰を上げた。

彼らの尻から砂や小石がパラパラと落ちる。



体力的に余裕のある人は尻を叩いてそれらを落としたが、多くの人はそのまま歩き出した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回は舞台が変わって地球、そして日本ですか! 2061年、割と近未来。かなり悲惨な状態ですが、ディストピアサバイバル作品みたいな雰囲気になってきましたね。 南北分裂で思い出す作品は『ガン…
2021/01/24 14:17 にゃんこ聖拳
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