九話
チャゴは夢の中にいた。
──これは夢だな
そう思えるだけの根拠は、はっきりとしていた。
──街道の、しかも森の真ん中で、置いてきぼりをくらって焚き火をしていたんだ。夜になって、焚き火を見ていたんだ。あぁ、そうかそうか。今、うたた寝しているのか
薄ぼんやりとした世界が、ようやく形を成した。
──起きないと、火があるとはいえ森の中、独りきりなんだ
夢だと確信したのは、街道のようで街道でなく、森の中のようで森の中でない、そんな要素が多々にあったからだ。
チャゴが座ってもたれ掛かっていた樽はなくなっていたし、埋葬した三人の遺体の場所もなかった。
チャゴは座りもたれ掛かっていたのは、不思議な形をした馬車の車輪だったし、埋葬した遺体の場所には、不貞不貞しい森鼠と清潔感のある小邪鬼、勇ましい矮人がいた。
だから、これは夢なのだ。
──夢ならもっと現実離れしたやつの方が、楽しいのになぁ
この夢の中で小邪鬼には嫌悪感を感じないし、疲労感からの体のだるさもない。それでもチャゴが置かれている現実とあまり大差ないこの夢に少し不満だった。
遠くに人影があるのをチャゴは見つけて目をこらした。
すると、その人物は途端にチャゴの方へと近づいてくる。
──早い?魔獣魔物の仲間かな?まぁ睡眠蝶なんてモンもいるしな。あとコレは夢だ
いつの間にか、幾つもの小さな鬼火を従えたその人物がチャゴの前に立っていた。
『人の子とは珍しい』
──美しい声の女性だな
両眼を隠す様に帯をまき、手には羊飼いの杖と似た長尺の先には洋灯。上等な緑衣を着ているが、端々は少し草臥れてしまっていた。
──いい生地を使っているのだろうなぁ、草臥れていても下品な感じがしないあぁ、商会長が言ってた出来がいいってのはこういうことなんだなぁ。あ、杖が光ってる訳じゃないんだなぁ、まぁ光ってるんだ、きっと洋灯だろう
『疲れているね、人の子。呼ばれたような気がしたから、来てみたけれど』
緑衣の女はチャゴの顔を覗き込んだ。それにあわせて鬼火たちもチャゴの周りを回り始めた。
それに狼狽したチャゴは、この女性は悪魔悪霊の類かもと疑い思いもしたが、邪悪さを感じないので会話を決め込むことにした。
どうせ目覚めても、する事はないのだ。と、不思議と安心してしまう。
──疲れてますよ。なにせ半刻魔物から逃げまどって、その後は死にかけの小邪鬼を屠って、穴掘りして、…それから…喉渇いた
それを聞いた緑衣の女は、「ほぅ」と感嘆した。
『呼び出して何も望まぬとは、珍しい』
──え?何かくれるの?
『あぁやろうぞ、やろう』
口元だけでもわかる微笑みを浮かべて、チャゴを再びのぞき込む。
チャゴは刹那に考えて、どうせこれは夢なのだと割りきる。
──じゃあ、…生き延びる術が欲しい…かな
お金、食料、飲み物と“物”が脳裏に浮かんだが、次に明日の町に帰ってからのことを考えると、そんな言葉が出てきた。
『術とな?物ではなく術?これは面白きことを言う人の子かな』
緑衣の女が声なく嗤うと、鬼火たちもゆらゆらと楽しげだ。
──あ、無理なの?
『やろうやろう。くれてやろう。ただ、そんな術をやる手だては知らぬ。眷属を遣わす故、それに習え』
──えぇ本当に?稼ぐ方法を教えてくれるの?
『…そうか。そうか、銭か。人の子の世ではそういうことも生き延びる術というのか、よかろう。よかろう』
緑衣の女は声なく笑う。
──ありがとう。夢の中だけでも、そんなことを言ってくれる人がいて、嬉しいよ
よく笑う女性だな、とチャゴは思った。
『そうかね、人の子。この面白い巡り合わせに私も感謝しよう』
と、緑衣の女は両眼が見えていないはずなのに、優雅にチャゴに背を向ける。
──ありがとう
その背に向けてあらためて謝意を述べた。
また声なく笑って、振り返る。
『人の子よ、汝の行く先に、幸あれ』
と、目が覚めた。