六話
夢現の中、馬車に取り付けられた集合の鐘が聞こえた。
合図だ。
焦り目を覚まして、チャゴは虚の中で頭をぶつける。
「い…!」
──ったぁぁあ!
まどろみが一気に覚める。
睡眠蝶の死骸が足元に落ちているが、チャゴは気がつかない。
痛がっている場合なんかじゃない、と。
今すぐに馬車の方へと向かわなければ置いていかれる、と。
チャゴは焦っていたのだ。
鳴っている鐘の音を頼りに森の中を隠れ逃げながら走り、チャゴは馬車のほうに向かう。
焦っていたが、追いかけられた恐怖がよみがえり足がとまる。
──あの大型の小邪鬼に出会ってしまったら、いや大型じゃなくても…小邪鬼に見つかってしまったらお終いだぞ
小邪鬼たちはすでに倒されているかもしれないと頭の中の隅では考えたが、チャゴは慎重に…臆病になっていた。
時より木の陰に隠れ周囲をうかがったり、音をできる限りたてないよう気をつけた。
逃げ回っていたときよりも、自分の鼓動を感じる。
見える脅威より見えない脅威の方が恐怖を感じるものだ。
鐘の音がはっきりと聞こえる処まで来たところで、鐘の音が止んだ。
──え?ちょ、まさか!!
チャゴは走った。
森を抜け、街道へとでる。
「は?え?嘘だろ」
チャゴは呟くが、その声はチャゴが思うほど大きくない。
走り去っていく馬車の小さな姿に絶望感に襲われていく。
絶望に染まる心をよそに、馬車はすぐに見えなくなった。
──まだ残ってるぞ!
そう大声を出しながら走って追いかけたかったが、疲労感と目の前にある半死半生の小邪鬼たちが、その行動の邪魔をする。
それに小邪鬼への嫌悪感で嘔吐しそうになった。
馬車の中から飛び出したのであろう、商品、物資の樽や木箱が散らばる中、小邪鬼に殺されたのか、それとも馬車から投げ出された時なのか分からないが、遺体があった。
目の前の光景に呆然としていたが、死に体の小邪鬼が這いずり近寄ってくる。
──…気持ち悪がってはいられない
忌避感に近い嫌悪感はだいぶ薄れたが、その醜悪さへの憎しみと怒りは増したようだった。
──お前らせいで!お前等の!
チャゴは近くにあった鉈に似たボロの剣を手にとって、小邪鬼に振り下ろす。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、振り下ろす。
上半身の形をなくした小邪鬼に気がついたのは、剣が壊れてしまったからだった。
剣を捨て、粗末な武器を探そうとして足にコツリと何かが当たった。
普段なら気にしない感覚だが、その時のチャゴは探し物をしていたせいだろう。
何ともなしに摘み上げる。それは自体が赤黒く、鮮血色の蚯蚓が幾つもはしる石ころだった。
と、別の小邪鬼這いずってきていて、チャゴは考える間もなくそれを懐にしまった。
それから、チャゴの復讐が始まった。
そうして小邪鬼たちの呻きは、小さくなっていく。
そして、木々の葉が擦れ合う音だけになった。
チャゴ以外に動く物がなくなって、チャゴは自分の息があがっていることに気がついた。
辺りを見渡し、持っていた血まみれの武器を投げ捨てる。
視界の端に遺体がある。
あえて見ないようにしていた、考えないようにしていた遺体の方にゆっくりと近づく。
──アレは、…誰…なのか?
いや、チャゴは解っている。見覚えのある服装。
荒くなる息。
チャゴは認めたくないだけだった。洒落た装飾品。
今日何度目かわからぬ、早くなる鼓動。
人の形をかろうじて残す肉塊を、チャゴは見下ろした。
「商会長…」
出会った日、帳簿の付け方を教わった日、給金をもらえた日、ガシガシと頭を撫でられた日、たったほんの数ヶ月だけだったが、様々なことを思い出していた。
──もしも親がいたならば、こんな感じなのだろうか
そう思っていた。
いや、思いはじめいただけなのだろう。
チャゴはグッと歯を食いしばって、近くのボロの武器を使って街道の脇に穴を掘り始めた。
──この人を、このままなんかに…して…おけない
チャゴは落ちていたボロの槍で地面を突いた。
そうしてから転がる板切れで、穴を掘った。一時でも親と思えた人の遺体を曝すのは無性に嫌だった。
無心で掘った。
小邪鬼を殴り続けるより簡単な作業だ。
ただ、涙はとまらなかった。