五話
チャゴが商人団にいたのは、選択肢がなかったからだ。
それまでは商業都市モスワートの貧民窟にある孤児院を兼ねる十一神教の教会で過ごしていた。
そこに至る理由は知らないし、知るすべなど持たない。
物心つく頃には、もう孤児院にいた。
孤児院では事ある毎に「お父様お母様には、やむにやまれぬ事情があったのよ」と孤児たちに言って聞かせていた。
そしてチャゴもそう言われ育った。
おそらく少額の寄付金と一緒に引き取った、ただそれだけ。孤児院側は親の事情なんぞ、知ったことではないのだろう。
たまに「おれはとある貴族のオトシダネだ」と言いはる孤児がいたが、歳を重ねるにつれチャゴは同情するようになっていった。
──そう思い込まなければ、やっていけないのだろう
孤児が貴族の落し胤なんて夢物語は、酒場で吟遊詩人が謡う中だけだと彼らも重々わかっているはずだ。
──この状況から抜け出したい、そういう反動じゃなかろうか
どこか冷めた感想を持ちながら、チャゴは彼らを哀れまなかった。
十歳を過ぎたあたりで同じ境遇の少年少女は、スリや窃盗を犯し憲兵に捕まる者もちらほらと現れた。
そして、彼らはそれを自慢しあっている節があったが、チャゴは非行というものには走らず、孤児院内の手伝いにひたすら精を出した。
「度胸無し」や「鈍足」「穀潰し」などと蔑まれ冷やかされ、時々に仲間外れにされたが、極力気にしないようにした。
──憲兵につかまれば、殴られたりもする。痛いのは嫌だな
非行にはしらなかったのは単純に、盗みをする度胸がなく、憲兵から逃げ切る足がなかっただけなのだが、チャゴはその素振りも出さず院内の雑用をこなした。
手伝っても駄賃はなかったし特別扱いもされもしなかったが、料理の下拵え、洗濯、掃除、そして最低限の作法と読み書きは覚え、一番重要な愛想笑いを手にいれた。
──笑っていれば、当たり障りなく過ごせる
そう悟り、いつもニコニコとしていた。
するといつの間にか「祥鬼人」と陰で侮蔑された。チャゴにはその悪名を気に入り内心満足していた。
十二歳も終わりそうなとき、とある日の夕暮れ、商隊の隊長が形骸化したお布施の帰りに話しかけられた。
「君は読み書きができるというのは本当かね?」
「はい、少しだけなら。小さい子供に読み聞かせをするので」
「そうかい。うちの商隊にこないかね?雑用を一人増やしたくてね」
思わず孤児院の職員をみると笑顔だった。
その時、悟った。つまりチャゴは売られたのだ。お布施の代わりに。
もし断れば、職員はチャゴの仕事量を増やされるか、逆に別の孤児を世話役として育てるだろう。あるいは両方か。
──そもそも、選択肢なんてないじゃないか。
断れない、と分かってしまうとチャゴは職員にするいつもの作り笑顔で商人に言った。
「願ってもないことです。よろしくお願いします、この御恩一生かけてお返しいたします」
商人は少しぎょっとしてから、仰々しく頷いた。作り笑いと解っているのに、チャゴの無垢な笑顔に驚いたからだ。
そうしてチャゴは『鴛鴦』商会の雑用丁稚になった。
『鴛鴦』商会は、モスワートに拠点をおく中型馬車二、三で行商を行う中規模の商会で、商会長自ら商隊を率いていた。
急成長、上り調子の商会で、あと少しで四件目の店を出店できるかどうかのところだった。
チャゴははじめ自分を買ったのはとんでもない傑物の商人かもしれないと思った。いや、そういう願望があった。
はじめの一ヶ月は、拠点の町モスワートで帳簿つけの手伝いをさせられた。帳簿の下準備(項目と表をつくるだけ)、書類の整理(書面から日付をさがし必要かそうでないか)、簡単な代金の計算、掃除、洗濯、料理の下準備。
数字を使って計算しなければならないという新しいことがあったが、なんてことはない孤児院でやっていたことの延長に感じた。
──会計帳簿はみていて面白い。
そんな生活の中で数字、算術、貨幣の種類、各貨幣の強弱、簡単な帳簿の付け方などを憶えた。数字というのがチャゴに合っていたのだろう。
生意気な言葉遣いをすると先輩丁稚から殴られたが、そのかわりご飯はたらふく食えた。
ご飯の内容は、孤児院とは雲泥の差だった。
たまにでる肉は必ず取り分はあったし、毎朝パンと野菜が入ったスープにありつけた。
次の二ヶ月目は荷運び。到着した荷馬車から、荷卸積み込み。その合間に帳簿の手伝い。
そうして二ヶ月目の終わりに、給金をもらえた。
数ヶ月後、積み込み作業も楽に出来るようになると、商会長に呼び出され、ガシガシと頭を撫でられた。
「チャゴ、来月からお前も商人団配属だ」
ニッカリと笑う商会長。
「…だから、さっさと起きろ」