四十四話
この街の貧民窟という地域は街の東端にあり、『街』と『貧民窟』を隔てるように裏通りと呼ばれる路が伸びている。
そんな貧民窟近くの裏通り、やはり治安がよいとは言えない。
脅迫や強盗、窃盗は日常茶飯事だ。
普通ならば、そんな場所で商いを行う人間は少ない。ただ、表通りで堂々と商売するわけにいかないものが世の中にはあるのだ。
特定の動物にしか作用しない興奮剤、組み合わせると毒になる類の薬草、壊れた暗器、付与術を施された道具。
錬金術工房“付喪神の寝床”も、そういった店だ。
領主のお触れがあったため、薬類の一部は撤収しなければならないと思ったチャゴは、店主のアンジェ婆との話し合いに赴いたはずだった。
が、店に着くなりチャゴは困っていた。
目の前には土下座する矮人の青年が一人。その傍らには数日前に釈放金を肩代わりしたアンジェ婆が立っている。
まだアンジェが店主をする“付喪神の寝床”の店内。
「えっと、グラディオさん?頭を上げてください」
「それでは、僕の気持ちが伝わってない!」
床に頭を打ち付ける音が店に響く。
──うん、痛そう
「婆を助けていただき、ありがとうございました」
「チャゴ坊、甥もこう言ってるんだ。雇ってみてはどうか?」
アンジェ婆がグラディオの背中をペシリと叩いた。
チャゴから見てグラディオの腕っぷしとその人柄は信用に足ると思えた。アングイスもその腕っ節は「よし」としている。カンタートだけは少し不貞腐れているが、そのうちに機嫌を直すだろうとチャゴは算段している。
「雇いますよ雇いますから、だから立ち上がってください」
「それでは、感謝の気持ちが伝わらない!」
床に頭を打ち付ける音が再び店に響いた。
──痛そう
「ディオ、よかったじゃぁないか。雇ってもらえるってさ」
「婆よ、そうだとしても感謝を込めた行動を示すべきだ」
「なら、さっさと立ちな」
「だから、感謝の気持ちが……」
二人の会話を聞きながらチャゴは苦笑いで頭をかいた。
「叢商のチャゴさんですか?」
グラディオは、チャゴたちの道中に絡んで、雇ってくれと願い出てきた一人だ。
「触れられれば、雇ってもらえるんですよね?」
そう言われて、チャゴは自身で言い出した事とはいえ少し疲れた顔をした。愛想笑いも崩れそうだ。
──なんだか、変な噂になってそうだなぁ
ため息は目の前の矮人には聞こえていないようで、矮人はやる気に満ちている。
「グラディオと申します」
どうやら先日のチャゴと儀紋人とのやりとりを見ていて、チャゴの試験に合格すれば雇ってもらえると勘違いしたらしいかった。
「では、いきます」
結果はカンタートの防御の壁を越え、チャゴに触った一人目になった。
「げ。まーげ」
カンタートの不機嫌の理由はそのせいで、先ほどからチャゴには謝る態度をとり、グラディオには鼻息を荒くする始末だ。カンタートとしては、納得できかねるようだった。
「魔術」とアングイスはチャゴに告げていた。
──魔術を使ってまで合格したいねぇ……
道すがらに試験を受けにきた理由を訊くとグラディオはチャゴが今この街でもっとも稼ぎのよい商人と聞きつけての行動だったらしい。
「実は、お金が必要でして」
切実な様子に、チャゴは一旦納得する。
「あぁ、そうなんですね。それなら、お安くお貸ししますよ」
ニッコリと商売用の愛想笑いをすると、グラディオは「必要になればお願いします」と素直に頭を下げた。
──商売敵が送り込んできたとかじゃなさそうだけど……
「差し支えなければ」チャゴが金策をする理由を訊ねると、錬金術の工房を営む叔母が突然に捕まり釈放金を賄うためだと言った。
商人組合『黄金の卵』の関係者ということにチャゴは納得した。
が、“付喪神の寝床”の店前にきて、牢屋にいるはずのアンジェがチャゴたちを迎え入れたことで、グラディオは混乱した。
混乱したグラディオを見たカンタートも混乱した。
──いや、カンタお前は混乱しなくていい
グラディオに経緯を掻い摘まんで話してチャゴが釈放金を払ってくれたことを知ると冒頭の土下座になった。
「いや、勿論雇いますよ、そういう約束の試験ですし。なにせ、カンタの盾術もかわした体術は、たいしたものです」
チャゴはそう言いながらカンタートの頭を撫でてやる。
「ぐーぐ」
カンタートはすぐに上機嫌に嗤う。どうやら、グラディオがチャゴに土下座したことで優劣が明確になり安心したようで、雇うことにも納得してくれたようだった。
「さて、今日は薬類を売るのを一時的に止める話です」
「まぁ、それは構わん」
アンジェ婆は簡単に同意した。
「ありがとうございます。話が早くて助かります」
「まぁ、ここはチャゴ坊の店みたいなもんだからね」
「いえ、まだアンジェ様の店でしょう」
「あんな大金返せる訳ないだろう」
「いや、返しましょうよ」
「いいや、この店はチャゴ坊に譲るさ」
アンジェ婆が嗤うのをみて、チャゴはため息をついた。
とりあえず売らない物と売る物、それに破棄する物を決める話し合いを始めた。
「それじゃ、お願いします。私は次の店に行きますので」
話し合いが終わった後にすぐに「次」と言ったチャゴの言葉を聞いて、アンジェ婆は眉をしかめる。
「あんた、いくつ店に買ったんだい?」
「買ってませんよ、お金をご融資しただけです」
「どうせ結局、返せない額だよ」
アンジェ婆の皮肉な言い方にチャゴが乾いた笑い声をだした。
「まぁ『黄金の卵』に所属していたお店を二つですね」
「うちを合わせて?」
「えぇ、アンジェ様のお店を合わせて二つです」
「血石は二粒だけじゃなかったね……?」アンジェ婆の呟きにチャゴは苦笑いをする。
「まぁ、その辺りは商売上の秘密というやつです」
誤魔化すチャゴにため息をついてアンジェ婆は微笑んだ。
「……いいさ。言われたとおり、薬剤は控えるさ」
「ありがとうございます」
チャゴは一礼すると、店を出て次の店に向かった。
「ではグラディオさん、行きましょうか?」
「グラディ、もしくはディオとお呼びください」
低頭平身のグラディオがチャゴに耳打ちをした。
ぢゅぢゅ。
チャゴの頭に上にいたアングイスは「ディオはダメ」と拒否反応を示した。チャゴは首をひねったが、この鼠が指し示すことはいい方向に転がるので、解らなかったが了承することにした。
「グラディさん、行きましょうか?」
“付喪神の寝床”の扉を開くと、チャゴは大きく伸びをした。




