三十話
“鼠人の濁酒”に着くと、チャゴは従業員に挨拶をした。
繁盛してるとはいえないが常連客を横目に見ながら店の奥まで通されると、大柄の鼠人エルザが難しい顔と腕組みをして座していた。
その隣には、見知らぬ人間の男が一人。他には誰もいない。
年の頃は、五十を過ぎているだろうか。草臥れてすり切れている上着に、顎下に蓄えた髭は中途半端で、情けない雰囲気を醸し出している。
男はチャゴを一瞥してニタリと笑った。
「チャゴ殿ですかな?ささ、こちらにお座りください」
愛想笑いをうかべたままチャゴは言われるままに座る。ちらりとエルザを見るが、表情は変わらないようだった。
「はじめまして、私カルムロと申します。存じないと思いますが、この辺りで青果の卸売りをしている者です」
座ると男、カルムロは独り話し始める。チャゴは内心、厭な感じを受けたが、笑ったままでいることにした。
「このエルザさんの店にも卸させて貰ってるご縁で、チャゴ殿ことが耳に入りまして、なんでも頼むと金を融通していただけるというお話で。お若いのに、実に、商いの才覚がおありになる」
チャゴはカルムロを見据えたまま、微笑み続けている。エルザは苦虫を噛み潰したのかそんな様子で、チャゴを見ていた。
「あぁ、えっとつまり、エルザさんのご紹介で、融資を受けたいということですね?」
仰々とした態度と進まない話に、チャゴはつい口を出してしまう。
「えぇ話が早い!このカルムロにも是非とも融通して頂きたい!ご無理は承知していますけれでも、そこを曲げて何とかお願いしたい。突然の申し出で戸惑っておられるのは重々承知しておりますが、お願いも…」
と、チャゴの肩にアングイスが登ってくる。
ぢゅ。
「ひぃ!森鼠!」
カルムロは驚き後ろへとひっくり返り、エルザは突然で中腰で身構えた。
チャゴはアングイスを撫でて、「大丈夫です」と一言。
「私の従魔です、人は襲いません。ご安心を。そして驚かせて申し訳ない。どうぞお話の続きを」
チャゴの変わらぬ愛想笑いにエルザは不審がったが、椅子に座りもどったカルムロは調子を取り戻すべく口をひらく。
「ゴホン。えぇー、そう。金をご融通していただきたいのです。この老いぼれ、もう少し商いの手を広げようと思いまして。まぁ、突然言われても何の話か判らないでしょう。この街『鴛鴦と小麦』は、ゼレフ侯爵領都の隣接していて、物は流れるように集まり領都に流れていきます。チャゴ殿には、いきなりこんなことを話し始めて…わけがわからないとは思いますけれども」
チャゴは笑顔のまま、小さくため息をついた。カルムロは、借りる理由をどうはぐらかすを考えていなかったのか、それともアングイスの登場のせいで飛んでしまったのか、あるいは両方かチャゴに判断はつきかねたが話が見えてこない。
「そこで、チャゴ殿にもそのこの都市の有意義、と言いましょうか、この都市で自分の肥やしになる売買や、取引を、行いたいでしょうか。今日は、この日に、チャゴ殿と取引できるかもしれないことを感謝しながら……」
「二度もお話を遮って失礼しますが、幾ら要りようなのでしょうか?」
“短慮は損。阿るは銀。沈黙は金なり。”という商いの格言に反したチャゴは、口を開いてから「しまった」と思ったが、カルムロの話に付き合うのが面倒になってきていた。張り付けている笑顔が剥がれそうになる。
カルムロの目つきが一瞬で変わった。
「銀貨八十枚」
待っていたかのように、端的に金額を提示した。チャゴは苦く顔をしかめて、自分の失敗に後悔した。
「はち…?銀八十ですか……」
銀貨八十枚はチャゴの懐からだせない金額ではない、失敗は貸せないからではなかった。カルムロが何故そんな大金を用立てたいのかを探り損ねてしまったことだ。そして貸す気があるという旨の言葉を発したからだ。
さきほどの発言を取り消してくれ、とは言えない。それは商いをする人として“信用”を手放すことになるからだ。
相手の目的が自分の利益になる“金貸し”という商売は、見極めが難しい。本人に返す気があるのか、借りる人物のなす事が返金につながるのか、否か。
今回チャゴは、その最低限二つの情報を図り損ねた。
嫌な汗を背中にかきはじめる。
動揺して愛想笑いが剥がれ落ちそうなチャゴに、アングイスの思念が流れてきた。
──それでうまくいくのか?
膝で丸くなるアングイスを撫でながら、チャゴは目の前の人物カルムロは一体何で儲けようとしているのか推測すると、アングイスは撫でられるのを拒否するかのように肩に登る。
「情報が圧倒的に足りない」とアングイス。「交渉事は情報戦だ」と続けた。
──今回は負け……ということか
チャゴは一瞬、愛想笑いをやめてため息をつく。
「わかりました。何にお使いになるか判りかねますが、お貸ししましょう」
チャゴは愛想笑いのままカルムロをみた。駆け出しのチャゴの様な小僧にすら、使い道を隠すとなると余程のもうけ話なのだろう、カルムロはチャゴの言葉を聞いて少し安心しているようだった。
チャゴは自分の失敗を受け入れ、紙を取り出して証文を書き始めた。
「ただ、銀貨八十枚というのは私にとっても大きな博奕になるので、ホショウ…になるものを抑えさせていただきたい。如何ですか?」
「ホショウ?」
「えぇ、もし返金されなかった場合の、人質のようなものです」
カルムロは腕を組んで考え込む仕草をしたが、すぐにそれをやめた。
「確かに…。しかし…」
何にひっかかっているのか、チャゴには想像できなかったが、「説明が残っている」と続ける。
「銀貨八十枚と同じ価値のある物というのは希でしょうから、その半値、銀貨四十枚の値に匹敵するものは何かお持ちですか?」
カルムロは、ぐっと体を強ばらせる。
「土地や建物の場合でしたら、組合に登録している権利書を持ってきていただいて、物品の場合はその品物を持ってきていただきます」
チャゴはアングイスに目線を向ける。
「それと引き換えに銀貨をお渡しします」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
カルムロが声を上げた。
「そこまで言うのであれば、本当に八十枚あるんでしょうね?いえ、チャゴ殿を信用していないわけではないのですが…」
「…確かに、それもそうですね」
チャゴは懐から銀貨二十枚を取り出し、机の上に置いた。
「少なくとも今、二十枚はあります。これで納得いただけましたか?」
カルムロの眼が見開いた。
「では、利息分を差し引いた六十枚を後日お渡ししましょう。返済期日は、…」
カルムロが銀貨二十枚を食い入るように見つめていたが、チャゴの言葉にそれをやめた。
「六十枚?」
「えぇ、金額が金額ですから先に利息分を差し引かせていただきます」
「それは困る。困りますよ、チャゴ殿。私は、今すぐに八十枚頂きたいのです」
「では…」
チャゴが口を開こうとすると、アングイスが一鳴きした。
ぢゅ。
「解りました。…、確かこの辺りに青果の卸をされてると仰っていましたよね?では、運搬用の荷車でも、青果を作っている土地の権利書でも構わないので、銀貨四十枚に値する物品を持ってきてください。その合計で四十枚になってもかまいません。その間に、私も八十枚用意しましょう」
「そんな!土地や荷馬車を売り払ったら、どうやって生計を立てるんです?」
「そう言われましても、こちらも資本には限りがありますから。カルムロさんの命綱が青果の卸売りであるように、私にとっての命綱は、持っている銭ということです。…こう言ってはなんですが、それに借りたいとおっしゃったのはカルムロさん、貴方でしょう?」
「そう、ですが」
カルムロは、小さく呟いた。
「…どうされますか?破棄されますか?今でしたら、証文の紙代の碑銭四三枚ですみますよ」
「金とるのか!」
「えぇ、紙代も無料ではないので」
──つか、紙、高いし
チャゴが笑顔のまま、心で悪態をつく。
カルムロは、机に碑銭四三枚を置いた。
「知ってたのか?」
カルムロが憤慨しながら店を出ていく後ろ姿を並んで見送りながら、エルザが呟いた。
「え?何がですか?」
書きかけの証文を破りながらチャゴがエルザをみた。
「アレな“借り逃げ”、“懐さぐり”って二つ名があったんだ」
破った紙に燧石で火をつけ、半分燃えたところで、竈に放り込んだ。エルザは難しい顔をしながら、カルムロの消えた扉を見続けている。
「あ、そうなんですか」
「なんだ知らなかったのか?」
「えぇ、銀貨二十枚の儲けを掴み損なって、落ち込んでしました」
「貸す気だったんだな」
「もちろんですよ、まぁ、条件をのんでくれれば、ですけど」
エルザはようやくチャゴを見た。それにチャゴはにっこりと愛想笑いで返した。
「お前に金を借りたのは失敗だったのかもしれん」
「……んーまぁ、お金なんて借りないにこしたことないですからね」
ぢゅ。
チャゴの言葉にアングイスが小さく鳴いた。




