二話
半刻ほど前、チャゴは行商人の見習いとして中規模の商人団の走る馬車の中、雑用をこなしていた。
慣れたもので、走行の振動の中、器用に自前の小刀でこなす。それも鼻歌まじりだ。
──…ルルベさん、睡眠蝶に気づかずに眠っちまうんだもんなぁ。あぁ昨日の野営は楽しかったなぁ
雑用はといっても、馬車の中の荷物整理や、野営に使う食材の下準備である。
保存がきく芋の皮むき、それが今日の雑用の主だった。今日野営して、明日の夕方には町に着く。そのために、芋を処理するのだ。
今晩の夕食分、樽をようやく一杯にしようかというときだ、突然に天地がひっくりかえった。
目の前の芋を入れていた樽はひっくり返り、持っていた刃物で危うく自分を刺しそうになる。
──初給料で買った鞘付き小刀で自分を刺したら、いい笑いものだ
馬車内の色んな物がチャゴに降りかかってきたが、運良く軽い擦り傷のみですんだ。
急旋回してせいで馬車が倒れたのだと理解したのは、這い出して悲鳴と剣戟の音を聞いてからだった。
──え?悲鳴?
雇われ護衛の誰かの「逃げろ」と声がした。
衝撃に再び襲われ倒れこむ。
今度は、チャゴ自身に衝撃が加えられた。
脇腹めがけて小邪鬼がチャゴに向かって体当たりをしてきたのだ。おかげで土を喰う羽目になった。
幸運なことに体当たりをしてきたのが、武器らしい武器も刃物も持っていない素手の小邪鬼だったことだ。
──痛ってぇ
「なぁ!」
声をあげて、犯人である小邪鬼を睨みつけ、反射的に腰の鞘付き小刀に手をかけた。
ゲゲ、ゴゥゲゲ、ゲブ。
不快感。
緑色の肌が脂ぎり、小刻みで不規則な動きが灰色の体毛を揺らす。
──コイツ笑ってるのか…
ねちゃりと音が聞こえてきそうな笑みだった。
厭悪な感覚がチャゴの中に広がっていく。我慢のしきれない嫌悪と忌避感が、小邪鬼への怒りを刹那に上書きした。
──気持ち悪い
できるだけ早く、この生物から離れたくなる。
「おい、チャゴ!」
徒弟の先輩にして丁稚頭の男が小邪鬼を蹴り飛ばしながら、声をかけてきた。
蹴られ飛んだ小邪鬼は、首が奇妙にねじくれ、鼻から血を出していた。
「動ける徒弟で馬車をおこすが、お前には無理だろう。だから、森の中にでも隠れてろ」
「オ…私も手伝います!」
「いや、無理だろ。小邪鬼ごときにビビって動けないんじゃ、死ぬだけだぞ」
──それは、そうだけど…
チャゴが言い返そうとしたが、新手の小邪鬼がチャゴを狙っていた。
「いいから、森の中で隠れるか逃げ回るかしてろ。半刻経ったら、戻ってこい。いいな」
そう言いながら、丁稚頭の男は小邪鬼を蹴り上げる。
小邪鬼から逃れれるという安堵半分、役立てない悔しさ半分で森の中に逃げ込んだ。