十八話
森鼠は、血塗れで赤い塊に見えた。
ぢゅ。
虫の息の森鼠は、鳴くもぐったりとして動かない。
チャゴは反射的に森鼠を抱く鼠人に駆け寄った。
「あぁなにが…」
森鼠右側の顔面が潰れていた。
眼球はかろうじて残っていたが、完治しないだろうとチャゴは一目見て悟る。
──なにが?あった…んだ?
チャゴが鼠人から森鼠を受けとる。
「この大鼠は、兄ちゃんの従魔でヤンスか?」
冷たくなりつつある森鼠の体に驚いて、チャゴは問いに答えれなかった。
ひどく動揺していた。
──とりあえず温めないと
外套を脱ぎ森鼠を包んで火の近くに座った。
鼠人はペポパの姿を見て指を指す。
「へい!旦那ぁ」
「ダス無事でありましたか?」
ペポパが微笑みをたたえて応えると、ダスと呼ばれた鼠人は大げさなため息をついた。
「こんなところで油売って、何してるでヤンス?」
「“火守女”様に祈りを捧げていたでありまする」
「そうでヤンスか。んで、この…飼い主さんは?」
ダスがチャゴを指さす。
「いやいや、堅気さんでありまするよ、この少年は」
「え?堅気さんでヤンスか?魔術回線を辿って、たどり着いたんでヤンスけど?」
「まぁ、世の中には予測不能、理解できないこともありまするからな」
「答えになってないでヤンス」
ダスは「まぁいいでヤンス」と火の近くに坐って、腰につけていた小鞄から薬を取りだした。
「応急処置は一応したでヤンスけど、コレをかけとくといいでヤンス。鼠人一族秘伝の、…というのは嘘で、町の薬屋で取り扱ってるただの治療薬…でヤンス」
チャゴは受け取ると、言われたとおりに薬を森鼠の傷口にゆっくりかける。
森鼠は痛みで身動ぎ、小さく鳴いた。
「堅気さんは、なんでこんなところにいるでヤンスか?」
「そういえば、聞いていなかったでありまするな」
「旦那のことだから、自分のことをベシャリ過ぎたんでヤンスね」
皮肉っぽくダスに言われたが、ペポパはゲゲと笑う。
──何処まで話せばいいのか…
チャゴは二人に自分の置かれた状況を掻い摘まんで話した。
モス商会の丁稚であること、小邪鬼に追われて殺されかかったこと、いつのまにか森鼠に懐かれていたこと、そして救援隊を待っていること。
道に迷い森鼠に促されるまま、ここまで登ってようやっと自分の位置を確認したこと。
「思ってた以上に過酷でヤンス」
「救援隊を待っていたら、小邪鬼殲滅が始まって、かつ魔術師が二人いるでありまするからなぁ、それは混乱するでありまするな」
ペポパはダスの水筒でのどを潤す。
「それに魔術師が現れたら、従魔が血塗れで帰還でヤンス」
ダスは森鼠を見ながら言うと、ペポパは森の方を気にしていた。
「ダス、何があったでありまするか?」
「商人組合で仕事ひろった連中が大暴れしてるでヤンス。傭兵組合の連中が、やり方に驚いてたでヤンス」
「そんな気はしていたでありまするが、無差別でありまするか?」
「連中、小邪鬼の殲滅って意味を、森の中にいる全動植物の殲滅って拡大解釈してるでヤンス。あいつらアホでヤンス」
ダスはチャゴと森鼠を見る。
「正確に言えば、商人組合『夫婦鳥』が臨時で雇い入れた奴らでヤンス。多分、大方が“流れ”か“溢れ”の傭兵崩れでヤンス。蛮族って言葉があるなら、ああいう連中のことをいうでヤンス」
「鴛鴦と小麦の方でありまするか…。それにしてもダス…よく見捨てなかったでありまするな」
「まぁ同じ鼠でヤンスから」
ダスが言うに森鼠を見つけたとき、商会に雇われているだろう矮人と人間二人に囲まれていたらしい。
短槍と剣の斬撃をかわしていたが、人数差は埋めれず人間が振るった剣先が右顔面に当たってしまった。
それでも森鼠は回避し逃げだして、ようやくダスは森鼠を保護できたのだと言った。
「独りで一度に三人を相手する魔術は、さすがに知らないでヤンス」
チャゴは首をふって、ダスに礼を言った。
「傭兵組合はどちらでありますか?『豆と胡椒』か『鴛鴦と小麦』の…」
「外でヤンス」
ダスがペポパが言うのを遮った。
「外の組合を使っているでヤンス。傭兵組合『胡椒の守り手』、『豆の牙』でも『小麦の盾』でもなかったでヤンス」
「となれば数は、百と少しでありまするかな…」
「百と五十に足りないでヤンス…おそらく」
「それは、…それは、ますますキナ臭くなってきたでありまするなぁ」
目を瞑って眠りそうな声でペポパは言うと、チャゴを見る。
「ペポパの旦那、考えたくないのはわかりヤスが、頭脳担当なんすから、急な現実逃避はやめてほしいでヤンス」
ダスにそう言われ、ペポパはため息をついた。チャゴは大人たちの会話をじっと聞いて思うことがあった。
──悪い人たちではない…のかな…
ぢゅ。
膝上から、弱々しいが先ほどよりも大きな鳴き声が、それを肯定している気がした。
「少年。小生たちと一緒に行動すると、おそらく巻き込まれるでありまする。何に?といわれれば困りまするが…。今回の小邪鬼の殲滅には、何かありまする」
ペポパは、自分の推論に少し苛ついている様だった。
「それでも一緒に行動しまするか?恩人をできれば、危険かもしれない状況に連れ込みたくないでありまする。この討伐…殲滅戦が終わるまで、森の中で隠れていた方が無難でありまするよ」
「そうですか…」
「旦那、はっきり言えばいいでヤンス。足手まといになると」
「ダス…、そういうことは…」
ペポパの言葉をチャゴが遮る。
「いえ、そう言ってもらった方が、諦めもつきますから…、あと、ダスさん、この森鼠を助けてくださって、ありがとうございます」
干し肉を口にし二人の会話を聞いて、チャゴは少し余裕を取り戻していた。
──誰かと話せて少し楽になった…
得意の愛想笑いで礼を言うと、ペポパとダスは辛そうにチャゴを見つめ返した。