十三話
──眠たい
チャゴは森の中を朦朧としながら歩いていた。
はやく何処かで休みたいと思っていた。
──だめだ、さっきの休憩からまだ半刻も歩いてない
ぢゅ。
それを感じ取ったのか森鼠が心配したように鳴く。
──あぁ、大丈夫。まだ歩ける
チャゴは森鼠に返事をした。その奇妙な状態に疑問を感じれないほど、チャゴは消耗していた。
──眠りに落ちて魔物…小邪鬼に襲われたらどうしようもない
チャゴは一つの場所に留まらず、森の中を転々としていた。
休憩という名の仮眠をとって、森鼠に起こされればまた移動を開始する。
たき火の明かりを確認しながら、それを中心に円を描くように一定の距離を保つだけだ。
──朝まで、昼までの辛抱だ。きっと夕方には迎えが来る
そう信じて、遺体がある場所から離れようとはしなかった。
切り込みを入れた厚手の布を外套にしてくるまって寝るが、目を瞑ると瞬時に眠りに落ち、「ぢゅ」と起こされる。
“一集団(四~五匹)の小邪鬼みたら、五十はいると思え”なんて格言がある。
馬車を襲ったものとは別の小邪鬼を見てしまってから、チャゴは不測の事態に用心をするようになった。
この森には小邪鬼が住み着いたと思い、洞窟や大岩の近くに近寄らないようにした。
人が休めそうな場所は、小邪鬼たちにとっても住処になりやすいからだ。
チャゴは黙々と歩く。
数回目の仮眠から目覚めると、森鼠が睡眠蝶を咥えていた。
ぢゅ。
いそいそと食べる森鼠。
どうやら長い時間、寝ていたようだった。
頭がすっきりしている。
──腹減ってたんだなぁ
「腹壊すぞ」
ぢゅぅ。
「問題ない」と、あっという間に食べきってしまう。満足そうに手足をなめて簡単に毛繕いをしている森鼠をなでる。
ぢゅ?
森鼠は気持ちよく撫でられていたが、そのうちに眼を閉じて眠ってしまった。
──ずっと起きてたからか…
チャゴは森鼠をそっと抱えて、懐に入れる。
しらみずみ始めた空、ようやく森の中を見渡せる明るさだ。森鼠がいなくても大丈夫だろうとチャゴは気持ちを切り替える。
街道の方向を見ると、たき火の明かりは消えているようだ。
空にも煙は見えない。
──戻ってみるか?いや、駄目だ。日が昇りきるまでは隠れていないと
考え事をしていると、腹の虫が鳴った。
森鼠の食事を見たせいだろう。チャゴは木にもたれ掛かって、空を見上げる。
「腹減ったなぁ」
思ったより声がかすれてでない。ため息をつく。
──あぁ、領都のあの飯屋の鳥の焼き物が食いたいなぁ。あの飯屋の名前なんだっけ。モスワート本通りの露店の豚串焼きでもいいなぁ。あ、串ならビーンペパーの露店の蛯串も旨かったもんな。…、はらがヘったなぁ
水筒の栓を抜いて、上を向き水を口に流しいれる。
──孤児院の飯でもいいなぁ。薄いスープに固いパン…、あぁ落ちている芋、拾っておけばよかったなぁ
腹の虫をどうにか誤魔化したかったからだ。
腹をさすると森鼠の温かさが感じられた。
──魔物は、…さすがに喰えんしなぁ…あと、恩もある
もう一度水筒を傾けた。チャゴは丁稚の先輩たちから教えられた通り、飲み口を離して飲む。
理由はよくわからないが、水筒と水が長持ちすると教えられた。
──あぁそうか水筒の中も“水の精”が淀むからか…
思い至って納得すると、もう一度腹の虫が鳴った。
──今食いたい物を考えたって、目の前にない物を考えたって…仕方ない…な。森から出れたら、食べよう。必ず食べるんだ
ふぅっと息を吐き出す。周囲を見渡して、耳を澄ませる。
魔物の気配はないようだった。
できるだけ静かに歩き出す。
目的の隠れる場所を見つけて、そこまで移動する。
途中食べられそうな木の実が何度かあったが、生で食べれるのかが判らなかったので、手をつけず進む。
──あとしばらくの辛抱だ。あとすこし
しばらく、そうして歩いていくと運悪く小川にたどり着いた。
おそらく森鼠が真っ暗な中連れてきてくれた小川だろう。
たき火から距離は最適だったが、拓けていて身を隠す場所がない。
顔を洗う。
心地よい冷たさが顔の火照りをとっていく。寝不足と空腹で鈍っている思考が少しだけ動き始める。
ついでと思い、水筒袋の中身を小川に流し入れなおしはじめた。
──しまった。水汲みは完全に無防備になるな
周囲を見回しながら、水を入れていく。死角になる真後ろは時より見るしかない。
今襲われたらと想像してとチャゴの心拍数はあがっていった。
──水筒を背負って、いや背負いながら小川を飛び越えて…、いや靴が濡れたら、足跡がつく…から駄目だな?だったら、左からきたら右に転がって、そのまま走れば何とかなるか…?もしくは左に転がるか?いや、それだとたき火と反対方向だから…、いやそんなこと言ってられないか…
想像上の敵で模擬的検証しながらも、何事もなく水を汲み終わる。
安堵で自分の取り越し苦労にチャゴは気の抜けた苦笑いしてしまった。
──よし、移動しよう
たき火の場所から少し離れることになるが、ここは身を隠せるところがないと判断する。
もう少し歩くことにして立ち上がると、近くの草むらをかき分ける音がする。
身構えて振り返り、反対側の逃げ道を探すが、小川が横たわっている。
急な緊迫状態で思考が追いつかない。
──どうする?どうする?どうしたらいい?
焦ったチャゴは思わず小川を渡ってしまう。
──命あっての物種!
渡りきって音が鳴る方向から身を隠せる場所を探していると、草むらから鹿が現れた。
子鹿だろうか、さほど大きくない。
鼻をひくつかせ、周囲をうかがっているようだった。
それを見たチャゴは大きなため息をついて、今度こそ苦笑いをした。
──ぁあ、靴が濡れて、あぁもう。はやまったなぁ
チャゴは自分の失敗を子鹿のせいには出来なかった。勝手に焦った自分が悪いのだ。
何処かで渇かさないとな、と思いながら子鹿をみる。
──お前もはぐれたのか?
と、目を細める。子鹿は水を飲もうとしているが、何かを警戒しているようだった。
──あぁ、俺がいるからか
チャゴはゆっくりと子鹿の視界から消えようとしていた。
──驚かせないようにしないとな…
それは突然だった。
子鹿の頭が胴から切り離される。
倒れていく子鹿の身体。
「は?」
その背後には、肉厚の山刀を持った、小邪鬼がいた。