十一話
夜の森の中は、暗いの一言につきる。
手を伸ばせば、肘から先はもう見えない。
夜の暗闇の中、声が聞こえてくる。
耳元で囁からているようで、そうでない声。
「この世のをお造りになった神々の中に、“夜”をお造りになった神がいたの」
幻聴が聞こえているとチャゴは自覚していた。孤児院で世話をしてくれた女性の声が聞こえる。
「夜を造った神──黒神様は、“間違えた”のよ」
──間違えた?
「そう、間違って“夜を造ってしまった”の。“夜”がなければ、本当は眠らなくたってよかったのにね」
神様だって間違うんだ、人間が間違わないはずがない。
──こんな状況は、どこで間違ったからなんだろう?
ぢゅう。
疲れ呆けていて、危うく転びそうになるのを手をついて堪える。
チャゴは森鼠を追うために、転びそうになったり暗闇の中から現れる樹にぶつかりそうにと、何度もなっていた。
──たいまつくらい持ってこればよかった
手のひらについた土を払う。
後悔しても明るくなるわけでもない。それでも、森鼠を見失うことがなかったのは鳴くからだ。
ぢゅ。
はっきりと分かる音量で、一定時間の間隔で森鼠は鳴いた。
──あ゛ぁ身体が怠い、頭が痛い
体力が回復していない状態でも、なんとか鳴き声を頼りに森鼠を追うことができた。
もちろん走ってではない。
よろよろと歩いて、もしくは手探りな中腰、四つん這いにもなった。
そんな歩行で追うことができたのは、芽生え始めた商人魂、それに加えて森鼠は、奇妙な行動をとったからだろう。
チャゴが森鼠を見失いそうになると、絶妙な位置で立ち止まりチャゴの様子を窺っているようだった。
ぢゅ。
チャゴが分かるまで鳴き続ける。
追われる者から追う者になったチャゴだったが、いつまでも体力が続くわけでもない。
──もうだめだ限界だ
吐き気と朦朧としてくる思考の中、倒れ込みそうになる。
──あぁ喉が乾いた
地面に手をつく。地面の湿り気が手のひらに伝わってきた。
──ここで魔獣の餌になるのか
おそらくそこに森鼠がいるだろう方を見るが暗く、鳴き声しか聞こえない。
森鼠は基本的に群れで行動する魔獣だ。
弱い魔獣とされている。
一匹の単体ならば、十も過ぎた子供でも簡単に退治できてしまう。
弱い魔獣の代表格だが、歳を重ねるほど体は大きさを増し、人よりも大きくなるといわれている。
ただ厄介なのは、生まれたてでも三匹以上になると大人でも簡単でなくなるし、最悪命を落とすということだ。
そして、名の通り“森の掃除屋”だ。柔らかい骨なら、それすら食す。
自分の荒い呼吸をどうにか整えようとする。
──まったくヘンテコな森鼠だな。…あぁ、夢の女性の眷属だっけ?
チャゴは自嘲気味に笑った。
革の水筒なぞ森鼠にくれて、日が昇るのを待てばよかったのだ。
──命あっての物種…か
自分の浅はかさが悔しく、両手で土を握る。
ぢゅぢゅぢゅ。
森鼠が笑う。
──魔獣は魔獣か
じわりと水気があった。
「え?水?川か…」
顔を上げて、耳を澄ますと水が流れる音が目の前からしていた。
「いいかチャゴ」
丁稚頭の言葉を思い出す。
「水の精ってのはとどまると淀む。淀んだ物を体にいれると、人も同じように淀む。だから淀んだ水は火の精で熱を加えて変化させないと飲めないんだ」
商人団参加の初回、飲み水くみを言いつけられた時にそう教えられた。
「…つまり、この池の水は、つかえない?ということですね」
「店で一ヶ月も働けば頭も回るようになったな。この先に小川がある。そこで飲み水を確保だ」
なるほど川や、湧き水ならとどまっていない、そう言い掛けて飲み込む。丁稚頭は問答するくらいなら行動を起こす人だと知っていたからだ。
慌ててその後を追った。
丁稚頭との会話を思い出しながら、目の前の川から手で水をすくって飲む。
チャゴの中に、一気に気力が戻ってくる感覚が身体で感じた。
ぢゅ。
森鼠は水筒を川の中に落としたようだった。
「おい、その水筒は水妖馬の革を使って一流の職人が何日もかけて作った品だぞ、丁寧に扱え」
チャゴは思わず声を出す。
──魔獣に言っても仕方ない
水筒を手に取るとずっしりと重い。どうやら水を蓄えているようだった。
ぢゅぢゅ。
森鼠はチャゴが水を摂ったとわかると、何も無かったように来た道を引き返していく。
ぢゅ。
「おまえ、なんなの?」
思わず悪態とため息がでた。