魔女裁判
短編【ショートショート】
教室の雰囲気は最悪だった。窓を開けているのにも関わらず、空気はどこか澱んで、薄汚れた微生物が身体に入ってきているかのような居心地の悪い感覚に陥る。
窓辺で風に吹かれる僕ですらそんな感覚なのだから教室の真ん中で彼らの相手をしている彼女はそれ以上の苦痛を感じているに違いない。
あぁ、可哀想だなぁ。そう思いながらも僕は彼女の助けを求める目を無視し続けていた。
罪悪感があるのかと言われれば、多少ではなく、尋常でないほどのそれを感じている。僕は腐っても人間だ。そこらの性根の腐ったゾンビとは違うんだ。腐っても、腐り切っても、腐って原型が留めていなくても僕は人間としての尊厳を手放してはいない。
だからと言うわけではないが、僕は彼女の目線を避けるために窓の外に目を向ける。
少し雲のかかった実際は大きな太陽が空を青く染め上げ、校庭の芝を透明感のある緑色に彩っている。正直に言ってその光景は綺麗であった。この教室とは全く異なる澄んだ世界であった。
しかし、これを綺麗と感じるのは汚い世界を知っている人だけなのだと思うと少し悲しくなってしまう。普段から綺麗な世界に触れ、汚いものを知らない人からしてみれば、その綺麗な世界が『普通の世界』であり、そこになんの感動もないのであろうことは想像に難くない。
いつでも人は幸せを享受している時には幸せであると感じられないように出来ているようである。
全てにおける帰結は結局は破綻である。
その僕の自論はどうやら、この教室においても当てはまるようである。
娯楽はなく、自堕落はなく、自由はなく、希望はなく、夢はなく、薄汚れた光も届かず、全てにおける破綻も訪れないこの教室は酷く淀み、酷く歪み、酷く醜い。
嫌いなことを嫌いと言えないのは当たり前だ。しかし、好きであることすら自由に言えないのなら、一体僕はなんのためにここにいるのか。
義務として通うことになったこの教室だが、今となってはただの鳥籠である。
僕は空気を吸うために口を開いた。
相変わらずの苦い空気だが、吸わないわけにもいかない。悲しいかな、人間は空気を必要とする生物である。
大きく吸って大きく吐く。所謂深呼吸である。
僕がこれから見る光景に対する準備運動だ。
と、それは唐突に訪れる。
ドアが乱暴に開かれ、1人の生徒が教壇に向かって自然と集まった全クラスメイトの視線の突き刺さる中、立つ。
そして、彼は教壇を大きく叩いた。大きく息を吸うと、大きな声で告げる。
「犯人はこの中にいる!」
ミステリー小説で探偵がよく言う例のセリフだ。
ふと、彼女に目を向けると、彼女もこちらを見ていて、目が合った。
彼女は口を動かす、決して言葉は発しはしないが僕は彼女の言わんとしていることを察した。
『あれは君の仕業?』
僕はその言葉に対して、告げる。
『あれは違うよ』
あれは、違うと。告げることに意味を見出すとしたら、それは僕自身へのある種の謝罪である。
世界を壊した本人が世界を直すというひどい矛盾に対して、僕は過去の僕に謝罪をする。
彼は大きな声で宣言した。
「犯人は、彼だ」
仰々しい動作で指を指される僕は笑って言ってやる。
「そうだよ。僕が犯人だ」
そうだ。僕が犯人でなければならないのだ。
孤独な彼女の世界に光を灯すには、彼ら多数に別のターゲットを用意してやるしかない。
ならば、それは僕が勤めよう。努めて勤めよう。
それは役立たずな僕が僕であるための唯一の存在意義である。
くすくす笑う彼女は魔女なんだから。
お楽しみいただけたら幸いです。