辻斬り悪銭
━━━それから1週間近く何の情報もないまま過ぎた。
門下生が今日も今日とて汗を流し、道場の隅ではフウと勝虎がいつも通り何かの練習をしている。
すると今日は来客があった。
「先日はどうも失礼しました」
「あぁ、キミか」
先日、やってきたチンピラだ。
大きな袋を提げて、そこからは温泉饅頭が覗いていてすぐに分かる。
「律儀だなぁ、キミは。」
「折り入って話があります。お話、よろしいですか?」
この手が改まってくる時は大抵、何かある。
とりあえず、今すぐの荒事はない。
「いいよ。あがりなよ。」
門下生らにお茶の準備をさせて、道場にテーブルを引っ張り出し、椅子を引っ張り出し、みんなでそれを囲む。
ただし、恐らくは龍治や勝虎には聞かせられないので別室に彼を案内し、その場には陽助さんとフウが同席した。
「うん。美味しいね!」
「お好きなんですか?温泉饅頭。」
「昔、父が温泉好きでね。よく子供の頃にお土産で貰ったもんだよ。」
お茶を一口飲むと、若干水分のなくなった口を潤し、本題に入る。
「荒事だろう?」
「え………」
「キミ達みたいなのが改まってくる時は大体それだ。基本的には受けないが、一応話してごらん。」
「………実は」
━━━━最初は驚いたようにしていた彼だったが話始めた。
彼は実は最近、上京して故郷に帰ってきた若頭らしい。帰ってきたばかりで私のことをあまり知らず、とりあえず何か成果を挙げるために先日は訪れたらしい。
今はこの界隈で、その手の連中は大きな活動はないと知り、組員も平和的な連中ばかりになっていて精々、町内の用心棒になるくらいだった。
「もうこの辺りで俺達はシオかもしれねぇ。少しくらい丸くやってもいいかもしれねぇな」
頭がそんな風に穏やかになるものだから、離反者なども絶えなかったが彼はそれでもいいとさえ感じていた。
しかし、そんな中…………
事件が起きたのだ。頭である彼の父が路地裏で何者かに殺害されたのだ。背中から鋭利な刃物で一撃である。
何者かというのは少しおかしかった。ここ数日、付近を騒がせる事件がある。
辻斬り悪銭━━━。
成人男性ばかりを狙う通り魔で、誰も姿を見た者はいない。
今のところ、5日間で3人。1人目の時に銭形の何かが犯人を追求する証拠品として落ちていたのでそう呼ばれている。龍治や勝虎には当然、最近は外出をさせていない。
彼は親を殺害された仇を討つことを仲間に約束したが、如何せん情報もない。しかも刃物の切り口からして刀か、あるいはそれに類する何かだ。相手をするには手練れが必要になる。
「それで?」
「報酬はあります。それも大金を。」
「悪いけど引き受けられないね。第一、仇はキミが討たなきゃならない。」
「そこをなんとか!!お願いします!!」
「ダメだ」
頭を下げる彼を余所目に席を立った。
縋るように手を伸ばす彼を見放した。
違う。この時、既に私の答えは決まっていた。
「………どうして、仇討ちがしたいんです?」
主が席を立ったあとにフウは訊ねた。
「オヤジは…………良い奴だった。確かに俺達は、どうしようもないクズの寄せ集めだし、毎日、やったやられたの繰り返しだったが、部下や仲間のことは心配してくれてた。」
「……………。」
「やってたことは外道だったさ。でも、オヤジは昔、俺に言ってた。オヤジは道が選べなかった。俺達はあの家の跡継ぎに生まれて、誰も助けてなんてくれなかった。それが、帰ってきたらあんなに丸くなっててよ………。だから、思ったんだよ。オヤジは本当は………!オヤジの未来は…………!」
「諦めたら終わりだ」
フウは唐突に言った。涙ながらに父を想い、語る彼の言葉を遮るように言った。
「え…………」
「私の唯一の可愛い弟子が、先日、涙ながらに私に師事するための許しを請うためにマスター天風に訴えた言葉です。あなたもあなたのお父さんも、まだまだ諦めるには早いのではないですか?」
「諦めてなんか………!」
「諦めています。このままならアナタ自身も辻斬りの餌食になることすらあるでしょう。アナタは命を授かり、命がある。それを果てまで使わず、アナタは何を討つのですか?」
「………………!!」
思い立ったように彼は立ち上がると席を立った彼女の後を追った!
ふいに、陽助が口を開いた。
「フウさん、どうしてあなたはあんなことを」
「………分かりません。」
首を横に振りつつも、フウは答えた。
「ただ、彼には諦めて欲しくない。そんな気がしたんですよ」
フウは席を立つと、陽助と共に道場へ向かった主の後を追った。
「お願いします!!力を貸して下さい!!」
「……………。」
彼は涙ながらに土下座していた。
情けないと普段なら思うだろう。やってられないと恥じらうだろう。なんでなんだと食いしばり、拳を握るだろう。
「お願いします!!オヤジの無念を晴らしたいんです!!」
「………分かった」
その言葉を聞き、顔を上げる彼の横にはガランと木刀が投げられた。
「名前は?」
「元祐…………です」
「そうか、元祐。報酬はいらない。ただし、賭けろ。」
そう言って、私は右手を上げた。
拳を上げて、それを開いた。この意味は風間道場の門下生なら全員知っている。看板なり、意地なり、食料なり、何かが掛かっているときに使う。
「な、なにを」
「お前の全てだ。本当に父の仇を討ちたいなら、まず私に一撃でも当ててみろ。」
「本当に…………一撃当てたら、協力してくれるんですか」
「私は女だが、二言はない。」
木刀を手に取り、元祐は立ち上がる。
型もヘッタクレもない。隙だらけの立ち方だ。
門下生が立ち会い、周囲を囲む中、彼は涙を拭って見据えた。
そして………
「オラァァァァ!!」
「はぁ………」
襲いかかる彼を容赦なく、ため息まじりに捌いた。
彼の剣先に、剣先をコツリと当てて軌道を反らす。
優しく当てただけに見えるが、それだけで剣はあらぬ方向へ軌道を変え、彼は体勢を崩す。
「ちぃ!」
「そんなものか」
元祐は再び襲いかかるが、またもや同じように捌かれ、足元に蹴りが入り、足払いされてズルリとコケてしまう。
構えが悪く、体勢を崩したせいで変に地に着いたため、衝撃で口を切ったのか、口元からは血が流れた。
「そんなもので親の仇もクソもあるか」
「畜生ォォオ!!」
再び闇雲に振りかかるが、やはり捌かれてしまう。
背を叩かれ、足を払われ、武器を弾かれ、それでも彼は立ち上がった。
かなり手酷い捌き方だ。門下生にも普段はこんなやり方はしない。それでも、誰1人として彼から目を逸らさない。子供の龍治も、勝虎すら不安そうだが逸らさない。
あの合図は「大事なものが掛かった。目を背けるな。見届けろ」と言う意味があった。だから、誰1人として目を背けず彼がズタズタにされていくところを見ている。
「ゼェ………!ゼェ………!」
20分近く粘ると、さすがに元祐もボロボロだった。
あちこち顔に四肢にアザを作り、衣服もほつれている。
口元も腫れ上がり、四肢はガクガクと震え、手にも足にも力が入っていないのが分かる。
「グソォ………!」
限界なのか膝をついてしまう。
もう誰もがダメだと思った。
「しっかりなさい!!元さん!!アナタはまだ何も全て賭けていません!!」
フウの声がかかり、ガクガクしながら元祐は木刀を握り直す。
「俺ばぁ………オヤジのがだぎをどるをだぁ″ぁ″ぁ″!!」
激しい想いと共に振り上げる!
しかし、足が前に出ず、そのまま膝を折った。
そのまま朦朧としながら、倒れようとした時、天風は前に歩み寄る。
すると、その倒れた拍子に振り上げた木刀が額にコツリと優しく当たり、そのまま彼を抱きとめた。
「確かに貰ったよ。アンタの想い。」
━━━━…………。
━━━━目を覚ますと元祐は夜の道場の天井を眺めていた。
「おはようございます!!夜ですが!」
ニッコリ笑うフウと呼ばれた少女は膝を枕に、自分を介抱していると気が付いた。しかし、まず湧き上がる感情があった。
「おやおや?どうしました?」
「畜生ぉ!畜生ぉ!!俺ぁ、悔しい!情けねぇ!こんなんじゃ、こんなんじゃぁ!ダメだ!強くなりてぇ!!」
「情けないなぁ、男がそんなに泣くなよ」
膝を貸す少女の横に彼女は立っていた。
「ようやく気が付いたか。」
元祐は体を起こすと、また土下座した。
「頼む!!俺を鍛えて下さい!!」
「頼み事ばっかだなぁ!キミは!」
ははっ!と笑いながらも、屈んで目線を合わせると言った。
「ウチの門下生になるなら魂を賭けろ。言葉、意思、五体、髪の毛1本足りとも屈しないためにだ。それでも来るか?」
「賭けます!!」
「よし、分かった。なら、稽古は朝と夕方だ。明日からまた来なさい。」
元祐はそれだけ約束すると帰って行く。
夜の帳が降りた道場には2人だけが残った。
「マスター天風」
「ん?」
「初めからこうするおつもりだったのでは?」
「…………どうして、そう考える」
「元さんのお父さんの死に方が、話に聞いたマスター天風のお母上の死に方と一緒だったからです。」
「意外とまともな受け答えもできるじゃない」
「どうなんです?」
「似てたから、かな…………」
フウも薄々、感じていた。
あまりに似ていた。父の死と復讐。決して他人事ではない。
マスターは優しい。優しい方だ。それは周辺の甘い人間ではない。甘さではなく優しさを知っているのだ。必要なものを必要なだけ与えて導く。不思議とメモリはロストしたままで、何も思い出せないのに、彼女の心は、思考は、メモリは、モヤがかかったようだが、それでもそう考えてしまうのだ。
立ち去る主の背を見て、先程までの全てのメモリとユーミルが作る感情が導くのだ。「そのまま感じたままでもいいこともある」。
失われたメモリには新しいものが吹き込まれるようで、フウは嬉しくてつい寂しい彼女を笑顔で追ってしまうのだった。
翌日━━━━
「構えは真半身。そう。あぁ、違う。ほら、これだと獲物が抜ける。小指に力を込めて、他はそんなに力まなくていい。そう、それが基本だ。」
私は道場へやってきた元祐に対して基本的な指導をしていた。
陽助さんでも、フウでもいいと言ったのだが、彼はどうしても私に師事したいと頑なに言うので、仕方なく指導していた。
他の門下生は大体、陽助さんから指導を受けるので平晴眼だが、実質的に私から直接指導を受けるのは彼が初めてだ。
道場長がそれもおかしな話だが、私は長旅で風間の剣技を基礎に様々な武技に染まってしまい、もはや正当な風間の剣技とは言えない。
そればかりか……………
「まったく、お前が初めてだよ。剣術道場でナイフがいいなんて言ったのは」
「へへ!すいやせん!」
「褒めてんじゃないよ。ほら、また小指に力が入ってないよ」
そう。どんな剣術がいいかと聞いたら彼はナイフがいいと言い出したのだ。やはり街のゴロツキはナイフなどの短刀が使いやすく、馴染むらしい。
この手を専門に使うなら、軍人の方が教えやすいだろうが見たことはある。あるいは暗殺者。暗器使い。投擲術。用法はあるが、問題は腕力ではなく、足腰の用途まで使い方の説明が必要な事だ。
「何事もそうだが、まずはつま先だ。重心をかけてみて。どっちでもいい。」
「………っと!」
「そう。イメージとしてはそこに力を溜めて爆発させるイメージ。片足だけで出来るだけ遠くに、早く飛んで。」
「ほっ!」
「バカ。ジャンプじゃない。」
「え?飛べって………」
「飛び方がある。投げられた石じゃなく、低く飛ぶ燕のイメージ。見てなさい」
縮地。文字通り、地を縮める。低く素早く足取りを運ぶ事により相手の距離を詰めたり、離したり、時として他にも応用が利く。
腕回りの技の話もそうだが、まずは手首を柔らかく、足を素早く、体を捌く………。
簡単そうで難しく、修練が積まれて初めて素人でなくなってくる。
「おぉ~……」
「感動してる場合じゃないんだよ。感覚を掴んだら足を鍛えながら、今度は手や腕をやるよ」
「う、うぃっす!!」
かなりハードなメニューだが、彼は嬉々としている。
これなら問題はなさそうだ。
━━━━…………
「で、どうですか?彼は」
「ずぶの素人だね。教え甲斐はあるかな、やる気もあるし、何より楽しんでる。」
「それは心配ですね」
お昼を囲みながら皆と話をする。
「なにが心配なんだぁ?」
「力ばかり得てもいけません。教養も必要なのです。力は使い方を誤れば誰でも傷つけてしまう。」
「それじゃ、ダメなんだよね!」
「そうです。勝虎はえらいですね。龍治はあとでもう一度、私の講義を受けるように」
「は、はぁ~い………」
「ふ、ははは!リュウ、そんなんじゃ龍を治めるのはまだまだ先だね!」
「うるせ~や!いつか姉ちゃん、抜かすからな」
「勢いだけは良いのが、リュウくんの良いところですね!」
「な、なんだよ、フウ姉ちゃんまで!!」
「おや?褒めてるんですよ?もしかして気にしてましたか?」
「フウお姉ちゃん。おにいちゃん、いつも言われてるんだよ?」
「うるせー!俺はイノシシじゃねー!」
最初は上手くいかなかったが、1週間近く時が経ち、大分フウもウチに馴染んできた。思えば私が意地を張りすぎだったのかもしれないが、まだ決して全てを流した訳ではない。
和やかに昼食を囲み、昼過ぎは外に出ることにする。ジョン・ティアーもそうだが、まずは元祐の願いを聞かねばならない。辻斬り悪銭の話だ。
悪銭は神出鬼没ではあるが、辻斬りが行われるのは3件中2件は夜。
それは知っているが、他に情報は少ない。
まずは街へいつも通りフウを連れて繰り出す。