第六話「兄」
また夢か。
夢の中でも寝起きの感覚を味わえるのはなかなか貴重だな。
「おはよう、親愛なる魔王様。ふふっ」
「あーおはよう、兄さん……って、え?なんで?」
目を覚ました俺の前に現れたのはよく知った顔だった。
「そんなに驚くことないよ。僕はキオ君が一番大事だからね」
彼は俺の兄で名前は漆真紀伊。年齢は俺の二つ上の十九歳。だが兄弟とはいえ俺とは正反対の存在。顔は俺と少しだけ似ているがいつも絶えず見せる爽やかな笑顔が俺との差別化を図っている。そんな兄は俺とは違い現実ではかなりモテていたのは言うまでもない。
俺が魔王として目覚めた時にはもうすでに首都の外で帝国軍とやり合っていた。だから首都の中のことはなにも分からなかったし、ましてや兄がいるなんて想像もしていなかった。
そんな兄は迷彩柄の軍隊の中にいることを忘れさせるような西洋風の黒い鎧に身を包んでいた。そして右手に持った黒塗りの仮面をそっと自分の額に重ねる。
「ここでは仮面をつけておかないとね。僕の存在を知っているのはキオ君だけだし」
どうやらこの世界でもキオ君と呼ばれているようだ。
「あのさ……聞いておきたいことはたくさんあるんだけど、とりあえず兄さんは覚醒者?」
ベッドから体を起こしながら訪ねる。
「覚醒者?なんのこと?」
兄は右手を顎に当てて首をかしげる。どうやら本当に分からないのだろう。
「じゃあもう一つ。兄さんの存在はなんで俺しか知らないんだ?」
「キオ君は今までのこと覚えてないの?ほら、帝国で弾圧されていた人々を救うためにそういう人たちをまとめ上げて反乱を起こしたこととか、僕が帝国騎士団の隊長だったこととかさ。だから魔王軍に追従するためには帝国に僕が死んだと思わせておかないといけない。魔王軍に元とはいえ帝国軍の人間だった僕がいたら落ち着かないだろうからってキオ君と二人で決めたことだよ?」
「あぁそうだった。ごめんね、兄さん。少し寝ぼけてて記憶が飛んでいたみたいだ。副官と話がしたいんだけどいいかな」
「彼なら先ほどから部屋の前にいるみたいだよ。僕は外で待ってるから呼んでくる」
最後ににこっと笑うと、壁に立てかけてあった剣を腰に差し直して扉から出ていく。入れ替わりにトントンと二回のノックの後に「失礼します」と大きな声が聞こえ、副官が部屋に入ってきた。
「魔王様。撤退途中に寝られるのは大変困りますので次回よりお気を付けください」
「あ、あぁ……あれは、その、すまなかった」
しっかりと上司に意見ができる、そんな職場です。
「報告です。首都からおよそ十キロほど離れたところに帝国軍が駐屯している模様です。こちらとしては首都内で自給自足の生活ができるので長期戦も可能ですが魔王様はいかがなさいますか?」
「んー、数は相手のほうが多いんだよね?」
「我々は全軍で三万、帝国軍は六万と予想されます。また、帝国軍はまだ首都に本隊を残しておりましてその数は十万を超えると予想できます」
「てことは無駄な消耗戦は避けたいところだなぁ……。少し考えるから一人にしてくれ」
「はい、失礼します」
敬礼をして副官は出ていく。入れ替わりに再び兄が入ってきた。
「統率が執れた虫を蹴散らすには頭を潰すのが最善かつ効率的なんだけど肝心な作戦が思いつかないんだよなぁ」
「キオ君がなんで首都から出て帝国軍と戦ってたか覚えてる?魔王様自ら囮になって敵の遠征軍を遠ざけたんだ。だから今回も同じ作戦で陽動すればいいと思うよ」
だから自分はあんなところで敵に囲まれていたのか。どうりでいきなりハードモードなわけだ。
「ちなみに帝国騎士団元隊長の兄さんはどれくらい強かったの?」
「一番」
「……?」
「円卓の騎士団十二人との決闘に勝利して帝国一の騎士って呼ばれてたよ。自分でもいうのはなんだか恥ずかしいね。ただ、純粋な剣技をぶつけ合う決闘だったからあの不思議な力を使われたら分からないけど、少なくともそこらの騎士には負けない。これも全部キオ君を守るために身につけた剣技だからキオ君の剣として使っていいよ」
円卓の騎士なんておとぎ話がまさか本当にあるとは。しかも兄さんはその円卓の騎士全員を倒したというのだから驚きだ。まてよ、円卓の騎士はたしか十三人のはずだよな。
「俺の記憶では円卓の騎士は十三人のはずだけど」
「アーサー王がここ百年間不在だからね。エクスカリバーを抜くことができる騎士が現れないそうだ。僕でも無理だったからよほど強いかそれとは別に条件があるのかもね。アーサー王が不在だから国がここまで荒れてしまったのかもしれない。だからキオ君がアーサー王の代わりにこの国を正しい方向へ導くんだ」
「わかった。作戦は決まった。副官と代わってくれ」
「なにか面白いことを考えている目だね。わかったよ」
兄さんはまた「ふふっ」と含みのある笑みを浮かべると、マントをひるがえして出て行った。
ここからまた命を張る戦いが始まる。自らの命だけではなく他人の命も預かる立場。だがしかし、そう考えれば考えるほど……いや、とても不謹慎だとは思うが、胸に宿る高揚感とワクワクが不思議と止まらなかった。