第五話「彼女の名前」
「あーやべっ……すげー大事なところで目覚めたなこれ」
起きた。すごく大事なところで起きた。
今頃向こうでは指揮官である魔王が急に寝だして大慌てしているところだろうか。
でもまぁ、作戦指示は出しておいたしあそこまで優秀な部下たちのことだからなんとか上手くやっているに違いない。一応授業の合間に昼寝でもして様子見に行くとしよう。
いつまでもやかましく喚きたてる目覚まし時計をチョップでなだめて着替えを始める。
夢の中で魔王をしているが現実の俺が睡眠不足になるということはない。どうやら脳はちゃんと寝ていて起きているのは俺の潜在意識のみという感じらしい。
案の定、俺の頭の中は寝ても寝なくても快適なことには変わりないのだがな。
十六歳、高校二年、本分は学業。好きなことはスポーツとゲーム。趣味は深夜のランニング。男子高校生と魔王を兼任している。それが今の俺だ。高校生にして中二病を発症したと思われてもしょうがないが、最後の一文だけ隠せば当たり障りのない好青年に聞こえる。現に学校での俺は先生方に良い印象を与えているらしく、多少居眠りをしていても注意されることは少ない。
だがいくら真面目な俺でもやはり朝は眠い。
窓際の一番後ろという最高の環境を得た俺は、毎朝のホームルームをうとうとしながら聞き流す日々を送っていた。
「――最後に、今日は転校生が来てる。いま連れてくるから静かに待ってるように」
転校生?
高校二年生の四月に転校生というのも別に変わった話でもないのにクラスはざわざわしている。
まったく落ち着きのないやつらだ。
「男と女どっちだと思う?女ならワンチャン可愛い可能性も?」
「まー無難に男だろうな。期待して損するやつだ」
俺の前と斜め前に座る二人は表面上平静を装ってはいるが内心ワクワクしているに違いない。先ほどからさりげなく学ランの第一ボタンを外したりシャツをズボンから出して着崩したりしているのがいい証拠だ。ちょい悪がかっこいいと思うのが学生だからしょうがないがな。
「なぁなぁ、漆真は転校生のことどう思う?」
漆真というのは俺のことだ。ちなみにこいつらは田中と斎藤。二人がありきたりな名前ということには触れないでおこう。
「別に興味ないな」
つまらなそうに外を見ながらお茶の入ったペットボトルに口をつけたタイミングで担任が戻ってきた。
「みんな待たせたな。転校生、自己紹介してくれ」
「どもー。転校生の織林真央でーす」
「……ぶふぉっ」
「うぉっ!ぬるい!」
俺の口からマーライオンの如くお茶が噴出された。それも田中の首もと目掛けてだ。
あいつ転校生だったのか。もともと名前は知らなかったから他のクラスか違う学年なのだろうと思っていたがまさか転校生だったとは。
「いや、ほんと、正直すまんと思ってる」
田中には謝罪をしつつも彼女から目を離せない。向こうもこちらに気づくと笑顔で返してくる。
どうやら隣の空席が彼女の席になるようでこちらに歩いてくる。彼女が通った後には視線を釘付けにされ振り返る男子生徒が残された。
それも無理はない。セーラー服からうっすらと伸びた長い手足。歩くたびに揺れる長い栗色のポニーテール。幼い顔立ちだがどこか大人っぽさを感じさせる整った顔立ち。同世代の女子の中では間違いなくトップクラスだろう。
「やぁ魔王くん。昨日ぶりー」
席に着いた織林が小声で話しかけてくる。
他の男子生徒の視線が俺に向けられる。それもやけに殺気がこもったとげとげしい視線だ。
「織林……ね。どうりで名前も知らないわけだ」
「どのみちこうなるとは思ってたからいいかなーって。それはどうあれこれからよろしくねー。あ、魔王くんの名前教えてよ」
「その呼び方を学校でするな。漆真紀生だ」
「ふーん、全然魔王っぽくないね」
俺は田中と斎藤が聞き耳を立てているのに気付いていたためこれ以上夢の話をするのはやめた。
結局、彼女はそれ以降俺に必要以上に絡んでくることもなく一日が終わった。