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歯車は止まらない  作者: チェリー教授
第1章:黄昏の時代
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プロローグ


 その男は、歴史に埋もれる筈の人間だった。

 勉学と体力に於いては平均よりも僅かに優秀、人柄は少々人間嫌いの傾向があるものの並、喫煙と飲酒は嗜む程度。

 そんな、一つの教育機関に一人は居る様な、何とも面白みのない秀才であった。

 一つ、ほんの少しだけ普通からずれている部分があるとすれば、彼の職業と就職の動機。

 誰もが幼い頃に抱く英雄願望。男児ならば一度は志すヒーローという肩書を、何となく捨てきれずに大人になるまで抱えていた彼は、日本という国を外敵や災害から防衛する為の組織──自衛隊に所属していた。

 熱意があった訳ではない。ただ、将来を決める段階になってやりたいことを自分の中から探した時、何も見つける事が出来なかったために、埋もれた筈の幼い頃の夢を拾い上げたのだ。

 それだけで所属した自衛隊という組織は、彼にとって幸と言うべきか、酷く向いている居場所であった。

 命令を聞き、遂行する。それでいて決して機械的ではなく、人間的な柔軟性を持って物事に対処する。

 損得勘定や理屈を抜きに仲間を信頼し、それでいて好きになる必要もない。彼は特に苦労もなく自衛隊の色に染まる事が出来た。

 そうしている内に理由のない厭人的な性格も翳りを見せ始めた28歳の頃には、3等陸佐の階級を胸に付けるまでになっていた。


「三佐は、神様とか信じる質ですか」


 ふと、隣の運転席でハンドルを繰る青年──富田(トミタ)が口を開く。

 迷彩色の戦闘服に身を包み、その瞳は前方の道に向けられていた。

 彼らの乗る軽装甲機動車の前後には同じ様に10数台の車列が出来ており、総員50名程の自衛隊員が緊張の面持ちで揺られている。

 それら自衛隊員を指揮する隊長の任に就いているのが、富田の隣で市街を眺める男だった。

 彼らが繰る自動車が駆けるのは、東京都港区の市街地。そこにある筈の市民の姿は無く、ただエンジンの駆動音だけが響いている。

 そんな中、男は富田を注意する事もなく、その一見意味のない無駄口にも思える問いに応えた。


「墓を蹴り倒せないくらいには信心深いよ」


 その問いに応えたのは、気まぐれと言うよりも逃避に近かった。

 富田も同じなのだろう。沈黙に耐えられないと、彼の声色がそう語っている。

 決して、富田と男の間に人間関係上の問題がある訳ではない。むしろ、上司と部下という関係の上では良い関係を築いていると言えた。

 しかし、今この時ばかりは男も、富田も、全ての隊員の顔から笑みが失われている。


「俺もです。神様なんて、都合が悪い時にしか祈った事もない」


 富田はそんな言葉を、乾いた笑いと共に吐き出した。

 引き攣った笑みが普段の彼の快活さを道化のそれに貶めてしまっている。

 そんな苦しげに作られた笑みを見て、男は敢えて何も察していない蒙昧を演じた。


「今はどうだ?」

「……」


 返るのは沈黙。富田は言葉が喉に詰まってしまったかのように、口をきつく結ぶ。

 男はそれ以上追求する事無く、ただ助手席の窓に当たる白を見て小さく吐息を漏らした。


「雪だ」


 吐息と雪、2つの白が外気温の低さを物語る。

 言わずとも分かる雪の訪れ。数秒毎に景色を染める白の数が増え、富田はワイパーを起動した。

 フロントガラスに積もり始めた雪が左右に掻き分けられ、前方の景色を広くさらけ出す。

 その先の、前方に続く車列の頭上を見つめて、男は低く唸るように口を開いた。


「……俺は」


 それは、重大な告白のように、緩慢に紡がれる。


「俺は今、神が居るなら祈るよりも聞いてみたい」

「……何と?」


 富田の問いに、男は小さく息を吸った。

 そして、吐き捨てるように神への問いを口にする。


「……これが、“終末”なのか?」


 そう呟く男の視線の先、前方に続く自衛隊の車列の頭上には、天を切り裂くような“塔”が鎮座していた──。

 東京タワーの代わりに其処に君臨する石塔は、雲よりも高く上部は霞がかった空気の向こうに揺らいでいる。

 正午の東京の空は、まるで夜を零したかの様に黒く染まり、先まで静まり返っていた市街地に車両の駆動音以外の音が響き始める。


「クソ……!」


 富田は誰にともなく悪態をつき、ハンドルを強く叩いた。

 男も、富田ほどに態度には出さなかったが、塔を睨みつける瞳が細く、憤怒と悔恨に光る。

 現場に到着した自衛隊を迎えたのは、人々の声。──無数の断末魔の悲鳴であった。

 港区の一角は、先ほどまでのゴーストタウンの様相とは打って変わり、狂乱に満ちている。

 家々は崩壊し、道には横転した車が拉げて倒れ、あちこちで上がる火の手が大気を熱で踊らせていた。

 その中にある人々の姿は、まるで地獄のそれ。

 男の乗る軽装甲機動車が追い越したスーツの男性は、右肩から先を失って子供の様に咽び泣いている。

 前方には、下半身を失い虚ろに口を開閉させている男児を抱きしめて、母親と思しき女性が周囲に助けを求めるように呼びかけていた。

 しかし、周囲にあるのは混乱で逃げ惑う人々か、死体か、或いは重軽傷者のみ。真っ当な思考を持っているものなど存在しない。

 塔が何故現れ、何が起き、やがてどうなるのか。それは、恐らく人類には預かり知らぬ所であった。

 それは、十日前にヨーロッパで“塔”が現れた事を世界中が知った時からそうであったし、一時間前に日本の各地に同じ“塔”が出現した時も変わらない。

 世界中の誰もが混乱と困惑の中に在るのだ。突如出現した、あの終末を思わせる塔については──。

 そんな中で、ただ理性的であろうと務めているのが、男の率いる彼ら自衛隊であった。


『三佐! “敵”出現! 市民が襲われています!』


 突如、焦燥に駆られた無線が響き、男の心臓は強く脈打った。

 しかし思考の猶予は存在しない。常に、自衛隊が求められるのは窮地。故にその隊を率いる隊長は、一々熟考などしてはいられない。

 男は無線を口元に運び、指示を下す。


「──全員、戦闘準備!」


 男は、歴史に埋もれる筈の人間だった。

 しかしこの日、歴史の表舞台に上がる運命を持たぬ筈の男は、世界の崩壊と引き換えに主役の座へと引き摺り出される。

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