第四話
4.
仕上げのルージュが上手く引けたのを見て、鏡の中の女は満足そうに微笑んだ。どうして私はこんなにも美しいのかしら。
確かに、彼女ほど美しい女性はなかなかいないだろう。
顔はまるで作られたかのように整い、スタイルも美の極みにあると言っても過言ではない。
だが、そんな彼女にもただ一つ気に入らない部分がある。彼女がウェーブがかった長い髪を掻きあげると、そのうなじからはファスナーがのびていた。
彼女がとある遊園地で男に着られてから、もう随分な年月が過ぎた。
あれから彼女は彼のアパートの部屋で、普通の女性と変わらぬ生活をしていた。 最初のうちこそいつばれるかと不安に思ったが、元々この部屋の主は独り暮らしで周りとの交流もなかったらしく、心配する必要はなかった。
唯一、バイト先からは何回か連絡があったが、無視しているとそれも程なくして途絶えた。
もう一つの心配事、背中に存在するファスナーについても、今のところ気づくものすら現れない。
不安の種がなくなった彼女は、まず部屋を彼女好みに変え、おしゃれをして街へと出歩くようになった。
着られて操られながら生きるのなんて、うんざり。
これからは「私」として生きていくの。
こうして、彼女は着ぐるみとしてではなく、彼女自身の人生を歩み始めたのであった。
生きるために働き、働いた代償で自分の欲望を満たす。そんな人間にとっての当たり前の行為さえ、人に操られなければ生きられなかった彼女には、素晴らしく思えた。
遊園地を出てからの歳月は、彼女に自分が着ぐるみだということを忘れさせてしまうほど充足した日々だった。
しかし、そう全てが上手くいくはずもない。
「痛っ」
彼女が小さく悲鳴をあげる。
見ると彼女の右手が、爪が食い込んでしまうくらいに強く握られている。
「やめてよ」
彼女の意思などお構いなしに、握られた拳には更に力がこめられていく。
「やめてって言ってるでしょ!!」
激昂した彼女は、いうことを利かない右手をあらん限りの力で壁に打ち付けた。
それでようやく、右手は大人しくなった。
どうも、長く着られていたせいか、たまに中身を操れなくなってきている。
新しい中身を探さないと。
彼女はそんなことを思いながら、腫れ上がった右手と鈍い痛みに舌打ちをした。