第三話
3.
ファスナーを見ると、あの日のことを思い出します。
あれは私がまだ幼く、何も知らない子供だったあの日、遊園地で着ぐるみのファスナーの存在に気づいた私は過ちを犯しました。
今なら中に人が入っていることだって理解しているし、笑い話にすることもできます。
でもあの頃の私には、それは大変なことでした。
ファスナーに気づいてしまった後、そこから目が離せなくなり何のためらいもなく着ぐるみの背後へと足を進めていました。
ただ、恥ずかしながら結局何も見ることはできなかったのです。
確かにファスナーは降ろせたんですが、すぐに周りから叫び声があがり、気をとられている隙に着ぐるみは走り去ってしまいました。
私がどうして突然騒がしくなったのか分からず呆気にとられていると、お母さんが顔面蒼白で駈け寄ってきて、私たちは逃げるようにして遊園地をあとにしました。
そのまま帰宅し、お母さんから散々お説教をされましたが、当時の私には何がいけなかったのかはあまり理解できていませんでした。でも、いつも優しいお母さんからこんなに叱られることなんて滅多にないので、悪いことをしたのはよく分かりました。
次の日、私はお母さんと一緒にクマの着ぐるみの方に謝りにふたたび遊園地へ行きましたが、その日はいませんでした。
その次の日も、次の次の日もいませんでした。
職員の方に聞いたら、あの日以来ぱったり来なくなったらしいのです。
連絡も取れず、どこにいるのかも分からないと言われてしまいました。
それは私のせいに違いありません。
もちろん、悪気のない子供のいたずらではありますが、私の心の中ではずっと、ひっかかり続けています。
それ以来、ファスナーを見ると、中にあの方が入っているのではないかと思い開けずにはいられません。
そして、会って一言謝りたいのです。
もちろん鞄や洋服の中にあの方がいるはずもありませんが、どうしても、まだファスナーの向こう側にいるような気がしてならないのです。
「ちょっと、私の背中がどうかしたの」
急に話しかけられて私の思考は途絶えます。
目の前では女性がこちらに裸の背を向けています。もちろんファスナーなどはなく、白い素肌があるだけです。
そうだった。私はお客さんの着替えを手伝っていたんだ。
すぐに謝りお客さんのドレスのファスナーを上げ、試着室から出ます。
「仕事中はあんまりぼーっとしないでね」
お客さんとの会話が聞こえていたらしく、店長さんから注意をうけてしまいました。
いままでも何回かこのようなことがあったので、心底申し訳なく感じます。
私が謝っているとまた新しいお客さんがやってきました。
それは見たこともないような美しい女の人でした。
気を取り直して、いらっしゃいませ、と声をかけます。
私は、いまでもファスナーを開けずにはいられないのです。