第四話 呼び出し
放課後、人気のない学校の裏門で、郁弥は石塚に気付いた。
彼は所在なさげに、門のすぐ近くの塀に背をもたせ掛けて立っていた。物思いにふけった様子で、地面をにらむようにしている。
無視するのも何かと思って、声をかけることにした。
「石塚って、家こっち方面だっけ」
問いかけると、驚いたように顔をこちらに向けてくる。
「いや、待ち合わせ」
一拍の間を置いて、石塚が答える。
郁弥は眉を寄せて、ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出した。
先ほど届いたメールを画面に表示して、それを石塚に向かって突き出すようにした。
「もしかして、JEA?」
尋ねると、石塚は郁弥のスマホに顔を近づけて憮然とした。
「何でお前まで」
と、いうことは、石塚も同様にJEAからのメールでここに呼び出されたということだろう。
互いに顔を見合わせた時。
短くクラクションが鳴った。
近くの角から曲がってきた車が、路肩に停車させる様が目に入る。
停車した車から出てきたのは、背の高い男の人だった。
「げっ、加瀬谷」
「加瀬谷さん」
石塚と郁弥の声が重なった。二人に加瀬谷と呼ばれた人物は、JEAの職員だ。主に、JEAに所属する能力者達をサポートする役割らしい。らしいというのは、本人からそう聞いただけで、裏を取った訳ではないからだ。
背も高くがっしりとした体躯だが、威圧感はない。常に柔和な雰囲気を醸し出している人だ。
郁弥は車の横で手を振る加瀬谷に駆け寄った。
「どうしたんですか、こんな所で」
郁弥が尋ねると、加瀬谷は柔らかい笑顔で答えた。
「メール見たんだろう」
郁弥はあっと声を上げた。主に、郁弥に連絡してくるのは月城だったので、今回の呼び出しメールも月城からだと思っていたのだ。
「で、何の用だよ」
後ろから剣呑な声がして、振り返ってみると、石塚が険しい顔で加瀬谷をにらんでいた。
何でこんなに機嫌が悪いんだろう。
石塚は常に不機嫌そうな顔をしているが、これは不機嫌そうではなく、明らかに不機嫌だ。
「君たちに、助っ人を頼もうかと思ってね」
「ああ?」
柄の悪い声を上げた石塚を無視して、加瀬谷は後部座席のドアを開いた。
「ということで、乗って。話は場所を移してからだ」
三十分ほど車を走らせて、雑居ビルの一階に入っている喫茶店へたどり着いた。
駐車場に車を止めてくると加瀬谷が言うので、石塚と二人、先に喫茶店へ入ることにする。
カランとドアベルが鳴り、来客を告げた。
すぐに寄ってきた女性店員に、店の一番奥の席へ案内された。もちろん、その前にもう一人来ることを店員には知らせてある。注文は連れが来てからと言っておいたので、彼女は水の入ったコップだけを二人の前に置いて、去って行った。
石塚は郁弥の正面の席ではなく、隣に腰かけていた。前にも席があるのに、二人で入って、並んで座るというのは、妙に落ち着かない。
しかも、車に乗ってから、石塚は黙りこくったまま一言も発しようとしないのだ。不機嫌丸出しの表情で、こちらからも話しかけ辛い。
だが、こうも沈黙していると、気づまりで仕方なく、郁弥は意を決して声をかけた。
「あの、こっちに座れば……」
前の席を指で示すと、鋭い視線が返ってきた。
「俺は加瀬谷の隣には絶対に座りたくないんだよ」
何で? とは問わず、首を傾げる郁弥に、眉間の皺をさらに深くして石塚は続けた。
「もし、俺がこっちに座ったら、確実に奴は俺の隣に来る」
「何でそんなこと分かるのさ」
疑問を口にすると、石塚は疲れたようにふっと口の端を上げた。
「あいつは俺が嫌がってるのを分かってるからさ」
こちらは意味が分からなかった。
嫌がられているのを分かっているなら、敢えてそちらには座らないのではないか。と思ったのが顔に出たのか、石塚はどことなく哀愁の漂う笑みを浮かべた。
「あいつは、やる。笑顔で人に嫌がらせをするのが大好きな悪魔だからな」
「酷いこと言うね」
突然降ってきた声に、二人してびくっと肩を震わせた。
恐る恐る振り仰ぐと、石塚の斜め後方に加瀬谷が立っていた。
郁弥達は入口のドアの方へ向いて座っている。ここからドアは死角になって見えないが、客が入ってこちらに向かって来ればすぐに分かるだろう。ドアベルだってあるのだから。
入口から入ってきていれば、二人に気付かれず、加瀬谷がこの場に立てるはずがないのだ。
「どうやって入ってきた」
噛みつくように言った石塚に、不敵な笑顔を見せた加瀬谷は、背後を指さした。郁弥が腰を浮かせてみると、そこには、スタッフオンリーと書かれたプレートのついたドアがある。
駐車場からの近道なんだ。と、言いながら、加瀬谷は二人の対面に座った。
「裏口からスタッフ用の通路を通って来たんだよ」
答えを聞いて、納得とともに脱力する。
カッコいい大人の男の人という認識だったが、少しだけ考えを改めることになりそうだ。石塚の言う、嫌がらせ大好きな悪魔という言葉はピンとこないが、悪戯好きではありそうだ。
「そんなことしていいのかよ」
「斗真は意外と常識人だよな。自分は非常識なことを平気でするくせに」
うわっ、さらっと毒を吐いたこの人。しかも笑顔で。と、郁弥が内心驚いていると、石塚の不機嫌な反論が耳を打つ。
「いつ俺が非常識なことしたよ」
噛みつかんばかりの石塚に、加瀬谷は軽く目を見張って見せた。
「なんだ、もう忘れたのか? 郁弥君との見合い。席にも着かず、居丈高に自分の主張だけして帰ったって聞いたけど」
石塚がぐっと詰まる。郁弥とて気まずい。
「見合いを受けたのは自分だろう。見合いしたくなきゃ、する前に断ればよかったものを、わざわざ郁弥君の前で、こいつとは合わない、無理だなんて言うだけ言って帰るなんて。これのどこが常識を持った人のすることだって言える?」
加瀬谷の言葉に、石塚はぐうの音も出ないようだった。
郁弥は郁弥で、お見合い当日の、石塚の断りの言葉を思い出して、胸が痛くなる。とんだとばっちりだ。
「言えないよな。お爺さんが聞いたら、きっと悲しむぞ」
それまで、加瀬谷から顔を背けて押し黙っていた石塚が、慌てたように加瀬谷を見た。
「爺さんにチクる気か!」
あまりの勢いに、ビクっと体を震わせた郁弥の様子をちらりと見て、加瀬谷は、勢いのあまり前かがみになった石塚の肩をたたいた。
「言ったりはしない。だが、言われて困るようなことをしたのは、君自身だということを忘れないようにね」
石塚は加瀬谷を睨んだあと、ふんっと鼻を鳴らし、席に座りなおした。
郁弥はそんな二人を交互に見比べた。まだ争いが続くようなら、お暇したい。
「で、何で俺たち呼び出したんだよ」
不機嫌さは隠しようがないものの、幾分クールダウンした声で石塚が尋ねた。まさか説教だけしに来たわけじゃないよな。と言う石塚に、もちろんと加瀬谷はうなずいた。
「君たちに手伝ってもらいたいことがあるんだ」
だがその前にと、前置きして加瀬谷はマスターと声を上げた。
その声に導かれるようにして、細い目をした男性が現れる。服装と、加瀬谷の呼びかけから察するに、この喫茶店のマスターなのだろう。
寄ってきたマスターが、トレーに乗せて持ってきたのはチョコレートパフェが三つ。
マスターは、郁弥達の前にそれぞれチョコレートパフェを置いて、ごゆっくりと言って去って行った。
満面の笑みを浮かべた加瀬谷は、パフェスプーンを手にしてから、ぽかんとしている二人に気付いたようだ。
「ほら、早く食べないと溶けるよ」
「いや、つうか、何で、パフェ?」
「いつ、注文したんですか?」
石塚と郁弥の問いに、加瀬谷は順番に答えた。
「ここのチョコレートパフェ美味いからさ。さっき、ここへ来る途中で、厨房寄って頼んできたんだよ」
早く食べようと、加瀬谷が言うので、郁弥も柄の長いスプーンを手に取った。
チョコレートソースのかかったアイスと生クリームを掬って、口に入れる。
冷たさとバニラの味と、チョコレートの風味が口いっぱいに広がった。たまにぬるい温度の生クリームが乗っていたりする店もあるが、ここのはちゃんと冷えていて美味しかった。
チョコレートパフェなど食べたのはいつ以来だろう。少なくとも、高校生になってからは一度も口にしていない。
おいしそうにチョコレートパフェを頬張る郁弥の横で、一向に手をつけようとしない石塚に、加瀬谷が再度食べるように促す。
だが、石塚は動こうとしない。
「斗真、お爺さんによく言われてたよな。食べ物を粗末にするな。好き嫌いいうなってさ」
加瀬谷の言葉に石塚が舌打ちする。
「食うよ、食えばいいんだろ」
言うや否や、少し溶けかかったチョコレートパフェを、物凄い勢いで食べ始めた。
顔はどことなく悔しそうだったが。
どうやら、石塚はお爺さんという言葉に弱いらしい。
もしかして、お爺さん子なのかな。
郁弥は、一心不乱にチョコレートパフェをかきこむ石塚を横目で見ながら思うのだった。