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第一話 お見合いにて

 闇と聞いて、何を思い浮かべるか。

 たいていは、夜とか、黒とか、暗いとか。人によっては、負の心なんて言う人もいるかもしれない。

 だが、早坂郁弥(はやさかいくみ)にとって、闇とは身近で、迷惑なものであり、時には人を害する危険なものだった。


 なんで、こんなのが見えるんだろう。

 郁弥は空中を漂う黒い靄のようなものをゆっくりと目で追った。

 黒い靄はこの広い日本間のあちこちを漂っていた。

 座布団の上で正座しているのだが、ここへ到着して五分。既に足がしびれている。

「ねえ、母さん。足崩してもいい?」

 隣に座る母を見る。母はちらりと郁弥を見、持ち上げていた湯呑みに口を付けた。息子よりお茶が優先らしい。

 母はたいてい、今日のようにお見合いへ来る時は普段の倍は派手だ。

 この日のために買った一張羅を着て、普段よりもメークが濃い。母が目を細めると、いつもよりも長くて多い睫がバサッと音をたてそうだ。

「何言ってるの。もう少し我慢なさい。もうすぐ先方も来られるんだから」

 母に怖い顔をされて、郁弥は目を伏せた。テーブルに置かれた湯呑み茶碗が目に入る。お茶は、一度も口をつけていないので、出された時のまま少しも減っていない。光の加減か、少し埃が浮いているのが見えた。

 黒い靄が顔の前を横切り、郁弥は口元に手をやった。

「ここ、ちょっと息苦しい」

 呟いた声が聞こえたのだろう。母が片手を郁弥の額に当てた。

「熱はないわね。ここ、老舗の旅館だから、闇はいないんじゃないかと思ってたけれど、いるのねぇ」

 母は部屋をぐるりと見回す。

 だが、彼女の目には、この黒い靄が映ることはないだろう。この靄が見えるのは、ごく一部の人間だけだ。

「靄みたいに薄いから大丈夫。ここは古い建物みたいだから、いろんなものが溜まってるのかも」

「そういうものなの?」

 郁弥はうなずく。

 この黒い靄のようなものを、郁弥と母は闇と呼んでいた。闇は濃度が濃い程力を増す。今は靄のようだが、力を付けると、あるいは、個々が一つに集まると、濃度をまし、霧のように、そして、一つの塊へと変化する。まあ、塊になるのは、まれだが。

 この靄は、心の闇を好む。人の心の闇に入り込み、力を増す性質がある。

 闇に憑かれた者の末路が大抵悲惨なものになるのは、想像に難くないだろう。

 郁弥は闇の者の影響を受けやすい。特に小さい頃は邪気にあてられて、昏倒することも多かった。

「成功するかしら、お見合い。今回こそ、成功させないと。協会の人にも申し訳ないもの。ね、郁弥」

 母の笑顔を前に、乾いた笑いが漏れた。

「今度で何回目のお見合いだっけ?」

 母の問いに、げんなりして答える。

「十回目だよ」

「あら、そんなにしてた? よく数えてたわね」

「まあね」

 郁弥が自棄を起こしたように声を上げた時。

 障子戸の向こうにある廊下から騒がしい声が近づいてきた。

斗真(とうま)、ちょっと待ちないさい!」

「うるせぇ。ここだろ開けるぞ」

「待って、私が先に……」

 止める女性の声と、それに答える男の声が耳に届いた瞬間、障子が開いた。

 スパーンと大きな音のおまけつきである。

 そして、その音とともに、部屋に漂っていた黒い靄が消えた。

 まさしく、一掃という感じだ。

 郁弥は、呆気にとられて、障子戸を開いた人物に目を向けた。

 そこには、高校生くらいの少年が立っていた。まだ、幼さが残るものの、精悍な顔立ちと言ってしまってもよいだろう。

 目が合い、郁弥と相手が同時に声を上げる。

「え?」

「あ?」

 互いに見つめ合ったのはほんの一瞬。

「ちょっと、斗真。あんた何やってるの」

 少年を押しのけるようにして、女性が現れた。長い黒髪を後ろにくくり、地味なスーツを着ているが、その顔立ちの美しさは隠せない。

 今年十六歳になる郁弥とは、十程年が離れているはずだ。

 彼女はこの見合いの、仲人だった。

「すみません。早坂さん。本当に無礼な子で。斗真。こちらが今回のお見合い相手よ」

 胸の前で腕を組んで、そっぽを向いて立っていた斗真の顔を、無理やり郁弥達の方へ向けさせる。

 あ、見合い進めるんだ。

 と、思った矢先、母が声を上げた。

「まあ、イケメンくんじゃないの。良かったわね郁弥。お母さん嬉しい」

 母が言葉通り、嬉しそうな声を上げる。

「お母さんが喜んでどうするの」

 郁弥のつっこみに、母はペロッと舌をだした。

 年齢よりも若く見えるので、そんな仕草も似合ってしまう。

「てことは、やっぱ相手はおまえか」

 斗真は値踏みするような視線で郁弥を見据える。

 そう、今日は母の見合いではなく、郁弥の見合いなのである。

 それも十回目の。

 彼の眉間の皺がどんどん深くなる。

 委縮して顔を伏せた郁弥の耳に、斗真の声が届いた。

月城(つきしろ)さん。俺、こいつ無理。ぜってぇ合わねぇわ。そっちのお母さんならまだ、守ってやってもいいけどさ」

「あらぁ。嬉しいこと言ってくれるわね」

 見なくても、母親がにこにこしていることが分かる。

 郁弥は顔を上げることができなかった。

 何度聞いても、断りの言葉は胸に堪える。

「てことで、俺帰るわ」

 斗真が歩き去る音が聞こえる。

 慌てたように、仲人の声が追いかけた。

「ちょっと、帰るって、まだ座ってもいないじゃない!」

 郁弥は、遠ざかっていく二人分の足音を聞きながら、大きく溜息をついた。

 母が郁弥の肩に手を置く。

「大丈夫よ。郁弥。そのうちきっと、郁弥に会う相手が見つかるわ」

 郁弥はもう一度盛大な溜息をついた。


 早坂郁弥、十五歳。

 十回目のお見合いは、一分もたたずに終わった。

 新記録だった。

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