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七 問答(2)

 それから踊り場へ向かったのだが、しばらく待っても彼女は姿を見せなかった。

 今までに何度もあったことだし、特に妙な点はない。色々と忙しい時期なのだろう。


 このまま見切りをつけて帰ってもいいのだが、せっかくなのでさっき先輩に押し付けられた本を読むことにした。

 下校時刻までは、まだ一時間以上ある。最初の方を読んで、どんな内容なのかを判断することくらいはできるだろう。


 まずは過去の回想場面から始まっている。「大切な人はいますか?」と読者に呼びかけ、自分の想い人が消えてしまった話へと展開していく。導入としては一般的な手法だ。

 主人公はとある高校に通う二年生。それなりに充実した日々を送っているようだ。

 それでも暇を持て余してしまう日があるようで、そんな時には適当に校内をぶらついているらしい。


 そんなある日、美人生徒会役員として知られる女生徒が、人の気配がしない踊り場へと向かうのを目撃する。

 気になって後を追うと、誰の目もない踊り場で静かに佇む彼女の姿があった。絵画のような光景に、主人公は見とれて声も出せなかった。


 これが二人の出会いだ。

 先輩の話をそのまま文章化したような内容だった。さすがは本の虫といったところか。


 きりがいいので、続きはまた今度にしよう。

 もう四時半を過ぎている。この時間になっても来なければ、今日彼女と会える望みは薄そうだ。もう帰るとしようか。


 本を閉じて立ち上がり、誰もいないことを確認して階下へ向かう。北側の校舎は相変わらず静かで、歩きながらも考えごとが捗る。

 冒頭を読んだ限りでの感想は、なんだかどこかで聞いたような話だということだ。

 身近というか、似て非なる体験を俺もしているわけだし。他にもいくつか身に覚えがある展開もあった。

 実に興味深いじゃないか。自分と似た主人公なんて滅多にいるものじゃない。






「もうすぐ夏休みなんだよねー」


 日時だけが異なるいつも通りの踊り場で、彼女がそんな話題を出した。


「ええ、その前にはテストが待ってますけど」

「啓介くんは、何か夏休みに予定あるの?」

「……いや、ないです」

「ふーん。私も今は特にないんだよねー。せいぜい勉強するくらいしかなくてさ」


 彼女は小さく溜息をこぼす。


「あーあ、どこか行きたいなあ」


 そうして、遠くを見るような目で天井を見上げる。

 その視線がチラチラと俺に向けられているのは気のせいではないだろう。


 雰囲気はなんとなく察知している。これからどうすればいいのかも頭では理解している。

 だが、それは実際に行動できるかとはまた別問題なのだ。


「そうですね……」


 俺の勝手な予想だが、ここで思い切って誘ったとしても、バッサリ切り捨てられて断られたりはしないと思う。期待できるほどには賭けても良いと考えている。

 それでも俺が躊躇している理由は、やはり彼女のことを考えてしまうからだ。

 俺が一歩踏み出すことで、迷惑がかかってしまうのではないかという不安。面倒なことになるならば、今のまま俺が気持ちを抑えていればいい。


 それが一番楽だ。お互いのためでもある。無駄な波風は起こさない方がいい。

 だけど。


「はあ……夏なのに、退屈だなあ」


 それなら、どうして彼女は再び溜息をついているのだろう。

 耳に届く呟きが、俺に誘えと囁いている気がする。

 これは決して自意識過剰ではないと思うのだが、やはり少しは自信を持っていいのだろうか。


 半ばヤケになってみたらどうなるだろう。

 仮に失敗したとしても、彼女なら上手に流してくれるのではないか。


 これが変わるきっかけになるかもしれない。


「じゃあ、その──」


 言葉は出てきたが、顔を彼女に向けることはできなかった。

 それでも、好意的な視線を向けられていることはなんとなく感じられる。


「──今度、一緒にどこか行きませんか?」


 ようやく絞り出した渾身の一言。

 後先考える余裕もなく勢いに任せっぱなしだったので、結果を知るのが怖い。

 手汗が滲み、視界が揺らぐ。やってからする後悔の方がいいと言ったのは誰だ。浮かんでくる答えの予想が断りの言葉しかない。

 これから俺はどうすればいいんだ。


「うん、いいよ」


 たったそれだけの返事で、無数に湧き出る心配が一瞬で吹き飛んだ。

 それはもう、暗闇が光で塗り替えられたと言うべきだろう。


「えっ……え?」


 照れもためらいも全部捨てて、彼女に視線を向けた。

 たった今聞いたばかりの返事が、俺の中で明確な形になっていく。


 これって、もしかしなくても色良い返事なんじゃないか?


「いつにする? 今なら土日、大体は都合つけられるけど」


 どうする。どうすればいい。

 俺は彼女にどんな言葉を返せばいいんだ。こんな展開、予想外にもほどがあるぞ。

 幸いにも、彼女は返事を急かしている様子はない。「どこ行こうかなー」と呟いているところを見ると、考える時間はあるようだ。


 今は六月後半が近い平日だ。

 まず、今日とか明日というのは論外だ。突発的に始めてしまえば、きっとどこかで行き詰ってつまらない結果になる。無計画でどうにかできるほどの発想力など俺にはない。


 しかし七月になれば、期末試験やら夏休みの宿題やらと新たな問題が山積みになる。

 何より、そんなに先の約束をして守られる保証がどこにあるのか。不安で仕方がない。


 それならば、結論はこれしかないだろう。


「……じゃあ、今月の終わり頃とか」


 俺の提案に、彼女は手帳を取り出して思案する。

 やはり日々が充実していると、そういう予定表が必須になるのだろう。頭で覚えられる程度の予定しかない俺には縁がないアイテムだ。


「んーと、三十日が日曜だから、そこならいいよ」

「あの、ホントにいいんですか?」


 なんというか……話がうますぎないか、これ。

 なんで彼女はこんな簡単に返事ができるんだ。自分のこととか考えてないのだろうか。それとも、俺なんか男性として見てないとかいうことか。


「いいの。もう、変なこと気にしなくてもいいんだから」


 完全に納得できたわけではないが、彼女がそう言うのならば従うしかない。

 疑問を持ち続けたら、どこまでも深く切り込んでしまいそうだから。


「それなら、その日にしましょうか」

「オッケー。どこか行きたいところある?」

「……考えときます」


 さすがにそこまではすぐに浮かばなかった。

 実際、そろそろ目が回ってどうにかなりそうなほどなのだ。たった数分の会話なのに、まるで走り込みをした後のような気だるさと疲労感に支配されている。


「楽しみにしてるね。啓介くんのデートプラン」


 一方の彼女は、なぜか満足気に微笑んでいた。

 そんなに期待されても正直言って困るのだが、本音は胸に秘めておくしかないようだ。


 またしても新たな悩みの種が増えたわけだが、今回はそんなに難しい問題ではないだろう。家に帰ってパソコンを使えば、流行を入手することも容易だ。

 根っからの現代っ子。使える物は使っておかないと損だからな。






 ──と意気込んではみたものの、実際に調べてみると簡単にはいかなかった。

 個人的な調べ物をしたついでにパソコンで色々と検索してみたのだが、どうにもピンとこない。


「ヤバい……全然浮かばないぞ」


 周囲に娯楽施設がない都会の片隅で育ったせいか、はたまた経験の差か。デートというのはどこに行けばいいのか皆目見当がつかない。

 おそらくカラオケとかショッピングとか、そういうことをすればいいのだろうが、それら全部を一度にこなせるだけの施設が近くに揃っていないのだ。


 ボウリング場なら隣の駅にある。ただし駅から徒歩十二分。そこから更に八分ほど歩いて国道に出れば、ファミレスや大型デパートもある。

 歩くのもデートの内なのかもしれない。

 だが、今は六月。既に三十度近い気温もちょくちょく出始め、今年も猛暑が予想されている。そんな中で長距離歩かせたりすれば、彼女に良い印象は与えないだろう。


 よって近場という選択肢は消滅する。

 幸いなことに、若者御用達の地域への利便は悪くない。乗り換え一本でJRを使えるので、その気になれば不夜城と呼ばれる駅にだって一時間以内で行ける。


「でもなあ……」


 行けるわけだが、これもまた気乗りしない。

 ああいう所には、独特の空気が流れているはずだ。俺なんかには想像もつかないような、浮足立った空気が。

 明らかに俺は場違いだろう。好奇の視線に晒されて、路地裏に逃げ込むのがオチだ。


 そんな所に飛び込む自信がない。

 ヘタレで結構。俺と奴らは住む世界が違うんだ。相容れない存在ってのはどこにでもいる。それが自然の摂理ってやつだ。


「……どうするかなあ」


 こんな感じで、悩んでは否定してを繰り返していた。

 どこかいい場所はないものか。彼女を楽しませることができ、俺が気後れしない理想郷は。


「そうだ、確か今は……」


 唐突に閃いた。

 検索するのは現在上映中のとある映画。有名作家が書いたSF小説を映画化したもので、公開一か月にしてロングランが決まったという人気作だ。


 その原作が、この前彼女が話していた小説なのだ。

 これなら、彼女も知らないことはないだろうし、楽しんでくれると思う。

 先輩に借りた俺は途中までしか目を通していないが、ネタバレを気にする方ではないので問題ない。むしろ映画と比較して、同じ所や相違点を見付けて楽しむのが好きだったりする。


 検索の結果、一番近い映画館は下野にあった。これなら互いに電車一本で行ける。下野には動物園や博物館などもあり、時間が余ったら立ち寄ってみてもいいだろう。

 駅近くには人でごった返す通りがあるが、メインストリートの国道とは一本外れているので、行こうとしなければ問題はない。


 つまり、不穏な空気に気を揉むこともない。

 国道だって、ほとんど車が走るためにあるものだ。徒歩の人間なんて、休日の昼間でもそこまで多くならないだろう。


 完璧じゃないか。

 あの辺りは飲食店やゲームセンターも多いし、うまく事を運べば一日中遊び歩けるはずだ。


 よし、なんとかなりそうだ。

 まずは今のうちにおおまかな時間を決めて、明日の放課後にでも新しい服を新調して──。

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