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私的哲学

喧嘩といじめの違い

作者: 羅志

これはあくまで私の考えです。それをご理解いただいたうえで、お読みください。

喧嘩といじめは違う。

当たり前のことで、誰もが理解していることだろう。


だが、その違いとはなんなのか。

それを考えることは、あまりないように思える。


私は、相手への理解があるかないか、の違いだと思う。



喧嘩は互いを理解しようと、言葉や行動で行うもの。

よくゲームや漫画などで、男性と男性が拳で語り合う、という熱血シーンがあるものだが、それはこの典型的な例なのではないだろうか。


相手を理解したいが為に、相手に対し行動するもの。

それが喧嘩ではないだろうか。

仲の良い者同士で行われることが多いのも、これが理由のように思える。



対し、いじめというものは、理解しがたい相手を排除する為に行うものだ。

喧嘩と違い、一方的に行われ、それがまわりに伝染する。

誰か一人の小さな行動が元になっていることが多いように思える。


誰しも理解できないこと、ものには恐怖を覚えるだろう。

知らずにうちにその恐怖に飲み込まれ、それを排除しようと一方的に行う行為。

それがいじめではないだろうか。

いじめられる者が、まわりから浮いている者などが多いのは、これが理由のように思える。



理解するのは難しいことである。

この世のありとあらゆる物事を理解するのは到底無理なことだ。

だが、身近なものを理解するのは、誰にでも出来ることだ。

たとえ時間がかかったとしても、理解しようとする努力は、無駄ではないと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] いじめと喧嘩は確かに違います。 喧嘩は《戦争を考えればわかる通り》意見の相違からなる抗争です。二人以上の人が存在し、互いの思想の違いを相手に理解もしくは植え付ける為に行うもの。 しかしイ…
[一言] 本文の内容に概ね同意ですね。 「まわりから浮いている」のが悪い意味でだけじゃないことは自身の体験でよく分かっています。
[一言] 全てが全てこの枠に収まるわけではありませんが、確かにと思いました。 となると、喧嘩に『排除』が混じったり、いじめの気持ちが一方通行でなくなれば、それは抗争であり戦争になってしまうんですかね。…
感想一覧
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